百合棺

文字数 4,733文字

私は、決してこの世を厭忌しているわけではありません。人間を唾棄しているわけでもありません。かと言って、その双方を恭敬しているわけでも、またありません。

私はただ空虚だったのです。

人は皆、赤子として生を受け、無垢であり無知であり、良い意味で、何も無い状態から始まることと存じます。何かを感じ、何かを知るということは、その空虚な心を埋めることに他なりません。そうやって人は、自我を形成し、ようやく個人として、自身の存在を認識し、構築することが出来ます。
つまり、無知でいることや、無垢であることというのは、必要な事柄なのです。
幼い頃から数多の物に触れ、親から愛育され、やがて他者と接点を持つようになり、良き友を作り、極めて社会的な人間関係を築いていく営みこそが、人間という生物の成長において、最も重要な事であり、関門である事は、疑いようもありません。そしてそれらの過程を超克して初めて、人間というものは、ようやく真面な人間に成り得るのだと、私は考えています。それが出来なかった人間、或いは、しなかった人間というのは、それは私にとって、人間の皮を被った、伽藍堂の何か。ということに、私は思えてならないのです。

そして私は、この短い生涯の中で、到頭人間になることが出来ませんでした。残念ながら、これはもう、ひどく手の施しようがないくらい、私という人間の皮を被った異形は、私が気付いた時には既に、醜怪で、卑陋な姿をしていましたし、私の心もまた、修羅の道のような生涯に、些か疲弊しておりましたし、それ故に、私という異形はどうしたら人間になれるのか、などと考える余地すら無く、そしてそのまま、死ぬことにしたのです。

私は、私がいま生きている世界というものが一体何なのか、些かの猜疑心を持たざるを得ませんでした。それはつまり、どういう事かと言いますと、私にとって、この現実と呼ばれる世界は、余りにもグロテスクで、卑しい物だと、思えてならなかったからなのです。(しかし、何故人間という者達は、何の根拠や裏付けも無く、ここを現実だと確信しているのでしょうか、私にはそれが分かりません。)

私が生きているこの場所は、あくまで私にとってですが、およそ叫喚地獄や阿鼻地獄にも遠い、無間地獄の様相を呈していて、呼吸という無意識下の運動でさえも、ひどくえがらいものでした。

私は人の良心という物に、触れたことが一度もありません。良心という物は、恐らくは万人が共通して持つ、言わば人間に必然的に組み込まれた、極めて原始的なロジックであるのでしょうが、どういう事なのか、私の元に、その良心という物が、他人によって、私の元へと姿を現すことなど、この生涯で有り得ませんでした。故に、私は良心という物が、如何にして姿を現すのかを知らないし、それが一体どんな温度で、どんな形をしているのかですら、私には分かったものでは無いです。

親という物があります。これもまた、人間に及ばず、生命全てに関して共通している普遍性の物なのでしょうが、私の親は、どうやら世間で言う所の、毒親だったようです。私は毒でない親という物を見たことがありませんので、本来の在るべき親の形というものを、やはり知り得ないのですが、私の親という物は、私に対して、ひどく痛みを伴う、懊悩煩悶を与え続け、今思うと、彼らは悪魔か何かだったのではないかと、勘繰る程なのでした。
私は日夜そうして、難苦だらけの針の山々を歩き続け、常に、孤独という漆黒の亜空間に浸漬していた訳なのですが、遂に私は、他人という存在を知覚出来る社会空間、所謂、学校と呼ばれる場所に、えてして入学をすることになったのです。

私がこうして、自らの命を天に投げうる事を決心するに至った、最大の要因というものは恐らくここにあったと思われます。こうして遺書という形でしか、私は私の生涯について語る事は出来ないし、それが結果として、私の生きた証として、世に知らしめられる事を、内心期待していなくもないわけですが(最も、遺書という物を執筆している時点で、私は恐らく、この無間地獄に、不本意ながら未練があるのでしょうけれど。)やはり、学校という場所は、私にとって、この結末を確固たるものへと変貌させるに相応しい、いかめしいものであったということなのは、疑いようもありません。

私は学校内においても、終始孤独でありました。幼い頃から、例に依て、毒親の影響を受け続けた私の精神は、人間という存在を、既に不信していました。私に接するおよそ全ての人達が、どんな笑顔で話しかけようとも、私は、彼らのその顔の裏には、禍々しい悪意の渦が蠢いているのではないかと、常々思っておりましたし、やがて彼らは、私の不信心を悟ったのか、まるで空間そのものを切除したみたいに、私の周りには、人が寄らなくなってしまったのです。考えてみれば、それは非常にまずかったのでしょう。当時の私は、悪意ある者達(それは単なる私の思い込みで、きっと彼らは、私と友達になりたかった、純粋で無垢な心にて、私に声をかけてくれたのでしょうが、当時の私は、そんな事など思いもよらない程に、毒親に依て構築された人間不信が、根強く心にへばりついていたのです。)が、私から離れていく姿を見て、心底安堵していたのですが、例えば、授業。私はさほど、勉学というものに関して、向上心のある子供ではありませんでした。しかし、成績だけは、何故か、学内で首位以外を取ったことがありませんでしたし、それに対して、これもまた不可解なのですが、私は一欠片の矜恃も無ければ、自尊心ですら、私の心には生まれなかったのです。

そうしてだらだらと続けてきた孤独な学生生活は、およそ数年に渡り継続し、その間ですら、私はほとんど他人との会話をせず、ひたすらに、闇の中を彷徨っておりました。

私がいよいよ、この無間地獄に屈し、命を投げうる決心をしたのは、大学に進学してからのことでした。私がいつものように、私の中にある勉学への才能を、遺憾無く発揮している最中、ある女が、私の元へと寄ってきました。それはまるで、クヌギの木から滴る、甘味な樹液に引き寄せられた甲虫のように、いやしかし、どちらがクヌギで、どちらが甲虫なのか、今となっては、正直どちらがどちらなのか、分かったものではないのですが、とにかく、私達はそうして、あたかもそうなるべくしてそうなったかのように、互いに誘引し合い、邂逅する事となったのです。

その女は、とても奇怪な女でした。彼女の黒い瞳には、何一つとして、生の輝きというものを感ぜられませんでしたし、最も、それは私も同様なのですが、私はその女と、共に時を過ごす事が多くなりました。私は昔から、閉鎖的な人間でありましたので、することと言えば、読書くらいしかありませんでした。月に三十程の本を読み続け、私の自室はと言えば、本以外の物質など存在しませんでした。本棚という物を利用していた時期もありましたが、やがて八畳程度の狭苦しい空間には収まりきらなくなって以来、そこら中の床などに放り投げたりして、もはや足場などなくなってしまいました。私は大学でも、図書館に足繁く通い続け、本などを読んでおりましたが、女は、その向かいに座って、何を話すことも無く、ただひたすらに、本を読んでおりました。私が本を閉じ、帰ろうかと腰を上げると、女もまた、腰を上げて、私と共にその場を去るのでした。私は、その女の事について、あまり良く知りません。どうやら彼女も、私と同じく、人間になり損ねた何かだったようで、交わす会話と言えば、読んだ本について、感想を述べるくらいのものでした。

ある日、その女は自殺をしました。
前触れなどなく、いつの間にか、死んでいたのです。どうやら女は、どういうわけか買い付けた棺の中に、無数の百合の花を敷き詰めて、そこに仰向けになり、蓋をし、緩やかにその生を終えていたそうです。そんな事で人が死ぬのか、私は疑問でなりませんでしたが、後で調べてみると、百合の花には、そういった成分が含有されているようで、密閉空間においてそれに曝された日には、人間は眠るように命を失うとの事でした。

私はもしかしたら、その事で、ひどく傷心していたのかもしれません。女と交わす会話は少なく、性交渉もしたこともなければ、肌に触れたこともありませんでした。それなのに、妙に、私はその女の顔を、忘却することが出来ませんでした。大学に通い続ける中、女の死は、私をひどく苦しめるものとなっていました。その呪いは、私の伽藍堂の心に、まるで釘で打ち付けたように痛みを与え、そして私は、途端に、自分の存在意義に、異を唱えるようになっていました。そして同時に、あの寡黙で儚い、泡沫の夢のような女に、置いてけぼりにされたような、虚無感に苛まれることとなり、私は到頭、生きる気力を喪失してしまったのです。

女が一体どういうつもりで、私という男に近づき、何も言わずに死んだのか、未だに私は理解出来ません。そもそも、理由などないのかもしれませんが、結果的に、私は彼女の手によって、殺されたも同然なのです。今までの自分の生涯が、如何に凄惨で、虚しいものであったのか、あの女の存在が、どうやらそれを知覚させてしまったようです。ですから、私は今から死ぬことになります。

ですが、あの女のように、誰にも何にも、その心中を伝えることなく、世間に対して何の文句も垂れずに、沈黙を貫いたまま死ぬのは、それはそれで後味の悪いものを後世に残しかねないので、私はこうして、誰宛でもなく、遺書を書きしたためているということなのです。

自殺の手法は、既に決まっております。数多の手法が存在する中、私は出来るだけ、苦しまずに死にたいと思いましたので、やはり、そうすると、あの女と同じ、棺の中に百合を敷き詰めて眠る以外、どうやら方法は無さそうです。しかし、存外、棺という物は、簡単に手に入ってしまうものなのですね。想像するに、私は棺という物は、葬儀社を仲介して、多額の金銭を支払い、入手するものだとばかり思っておりましたが、思いのほか、すんなりと手に入ってしまいました。その明くる日に、私はそこら中の花屋という花屋から、百合の花を買い付けて、それらを棺の中に敷き詰めました。

その棺は今、私の横にあり、静かに私がそこへ入るのを待っております。まるで人喰い草のようなその様子は、ひどく恐ろしいものに見えましたが、私は同時に、高揚してもおります。あの女の死を追体験出来るという楽しみが、私の自殺を後押しするようでした。
冒頭にも申し上げましたように、私はこの世を、厭忌などしておりません。私はただ、人並みの環境に恵まれず、黒い底なし沼に全身を囚われたまま、人間という境界から逸脱してしまった、哀れな子羊だったという、ただそれだけの事なのです。
自殺というものは、本来、それ自体に意味を持たせるものですが、私の自殺は、意味という体のいい理由付けは、微塵も存在しません。
私はただ、死ぬのです。
それだけの事なのです。
私にとって、それはさほど重要な事ではありません。ですが、きっと、これを読む不特定多数の貴方達人間にとっては、重大な案件になり得てしまうことでしょう。ですから、私はこの遺書を書いております。

さて、そろそろ逝く事にします。

そう言えば、私がこの二十数年間で、物事を楽しみに感ぜられるのは、これが初めてですね。

私は狂っているのでしょうか。

最も、今はそんなこと、どうでもよろしいのですがね。
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