第1話

文字数 1,649文字

交友関係の広い夫は海外赴任中だという友人から戸建ての家を借り受け、家の管理も兼ねて私たち夫婦は暮らしている。人様の持ち家なので気は遣うが、先方も助かるからと破格の家賃で住まわせてもらえるので、私もまずまず満足している。
まずまずというのは、夫が家に独り身の男友達を三人も出入りさせていることが関係している。彼らは我が家にしょっちゅう寝泊まりし、朝帰りすることもしばしばあった。私たちの結婚式にも出席してくれた私もよく知った間柄だが、新婚だというのに夫という人は、本当に人付き合いのいいことだ。
この家の本来の持ち主は大変な服好きらしく、家には大人が両腕を伸ばしたくらいの幅のクローゼットが一階に3つと二階に4つで合計7つある。それでもまだ服を掛ける場所が足りないらしく、家中の壁の手すりにまで服のかかったハンガーがぎゅうぎゅう詰めになっている。バリアフリーが聞いて呆れるし、服の裾が床をこすってみっともない。階段の斜めになった手すりにまでハンガーがかかっているが、ぎっしり埋まっているため滑りもしない。赴任先へは服はほとんど持っていかなかったようだ。
私がもし家主なら、バリアフリーなど関係ないのだから、まず最低ラインとして服が床につかないように手すりを高く設置するだろう。長期プランとしては、服の断捨離を強行して手すりの間にスペースを設け、濡れた服をかけたハンガーを滑らせるだけで乾燥させるか、アイロンがけしてくれるような装置を手すりの途中に作るべきだろう。家中の服を見るたびにいかがですかと大声で持ち主にプレゼンしたくなるのだが、夫が服までしょっちゅう拝借するので、おそらく実現はしない。
服といえば、先日知人のスーツの上着を誤って持ち帰ってしまい、それを詫びると知人は今日わざわざ家まで取りに来ると言ったのだった。思い出してよかった、上着を用意しておこうと二階へ上がると、何やらいなげな声がする。いなげというか、喘ぎ声?これはまさか…とおそるおそる寝室へ入ると、部屋の真ん中では夫が腕を組んで立っており、声の主たちはクローゼットに入って何かやらかしているようである。声は一人や二人ではない。一体何人いるの。夫が私に気づき、そろそろいいかとクローゼットに呼びかけると扉が一斉に開き、息をはずませ、かわいくて柔らかそうな女の子たちが笑いながら出てきた。気色ばんだ肌、上気した頬とほんの少し汗のにおい。夫の友人たちは揃ってクローゼットから出ないつもりらしい。夫には何も言わなかったが、借り物の家なのに、クローゼット中を拭かないといけないではないかと目で訴えた。
しかしそれよりも、知人の上着を探さなければならない。よりにもよってクローゼットを引っ掻き回すのだが、目当ての上着は見つからなかった。目星をつけたクローゼットになかったので、全てのクローゼットを暴くことになったが、それでも上着は見つからない。散々探し回った結果、行為に及ぶにあたって邪魔な衣服はクローゼットから締め出されたと判明し、探していた上着も壁の手すりに追いやられていたが、上着が宝物のように思えた。見つかってよかった、一安心だ。それにしてもブランド物と間違えるなんて私ったら恐れ多いと上着を掲げると、首元のラベルに違和感を覚え、思わず手が止まった。ラベルにはブランドのロゴとは明らかに違う、イニシャルのようなものが隅に小さく縫われていた。私はラベルをさらに見つめ、イニシャルが知人の名前に当てはまらないことを認識した。
チャイムが鳴ったので窓に近寄り見下ろすと、体を両手で抱き寄せた知人が玄関に立っていた。寒がるような時期でもなかったが、知人は確かに何かに震えているようだった。
こちらに気づいていない様子だったので、私は一呼吸置いてはぁいと返事をし、階段を降りた。
知人は高級車に乗って羽振りがよさそうに見えるが、案外そうでないのかもしれなかった。
だが、実際どうであろうと関係ない。
クローゼットというのは他人がむやみに暴くものではないのだから。
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