障壁問題

文字数 3,484文字

・冒頭
 ここまで来て言語問題からようやく外れるが、つまり横道に逸れるとするが、それにも増して枢要である障壁問題の解消へ向けての方針を検討してみることにしたい。もちろん、本当は到底一回の内容で語り尽くせるものではないのだが、本稿はできるだけ簡潔にとどめ、ややもすれば少し物足りないと思われる階層まで叙述を削った。結果として標準的で古典的な異世界ファンタジーにしか当てはまらないような記述も多々見受けられるが、たとえ地球が舞台の作品であっても、魔界や魔境などのいわゆる異世界を置く作品は多く(「魔人探偵脳噛ネウロ」など)、この説明装置の適用範囲は意外と広い。
 「魔人探偵脳噛ネウロ」は、本質的に異世界で生きていくことの困難さをよく表した作品だと思われる。主役のネウロは魔界からやってきた強大な存在であるが、しかし万能ではない。主食である”謎”を食べ続けなければ、たちまち地球の過酷な環境では魔力が減少して衰弱していってしまうほど、本来魔界の生物であるネウロにとって地球というものは生き辛い。にもかかわらず、現代ファンタジーにおいて、反対にわれわれが地球から他の異世界へ赴くとき、このような重大な環境上の障壁が立ちはだかってくることはほとんどまずもってない。これはどうしてかという問題には答えることができる。
 もちろん答えないこともできる。これは重要なことであるが、すべての説明装置はフロム脳の考え方あるいは理念にしたがって選択的に導入されなければならない。だからつねに「魔人探偵脳噛ネウロ」のような世界観を説明することもできるし、またそのようでない異世界ファンタジー作品の世界を説明することも可能なのである。 

・時間問題
 時間問題はこの問題に属するものであり、異世界間の時間の流れる速さの相異を障壁として論ずる。まず、このようなことを決定しなければならない。「主人公はある異世界と現実世界との間を(しばしば何度も)行き来することになる」というストーリー(日帰り異世界ファンタジー)の場合、異世界と現実世界の時間の流れる速さは「同じ」、「違っていて前者は後者より遅い」、「違っていて後者は前者より遅い」の3通りある。
 もし「同じ」ならば、これはもっとも直観的かつ単純なパターンであると言える。向こうで3時間過ごしたらこちらの世界でも同じだけの3時間が経過しているということであり、こういう作品には時間問題は殆ど発生しない。が、そうでありうる根拠は何であるか?
 もし「違っていて前者は後者より遅い」ならば、異世界で10時間過ごしたときにこちらの世界では10日間が経過しているかもしれない。なんとも厳しい話だが、そういうことになる作品も無いことはない。有名なところが「浦島太郎」の竜宮城である。もし、前もってこのような性質の異世界であることを知っていたら、浦島太郎は竜宮城に行くことを躊躇っただろうに。このような概念を指して時間障壁があるという。
 最後に「違っていて後者は前者より遅い」ならば、向こうで10日ほど過ごしてから戻ってきてみると、現実世界では僅か3分ほどしか経っていないことになる。この場合、時間障壁はマイナスであり、様々な都合から非常に便利な設定であるとも言えるが、もちろん3日もしないうちに異世界の様相が大きく変わっていることもあるため何度も行き来するにあたってはむしろ不適であるかもしれない。

・異世界時間論
 ここで述べる異世界時間論では、ある世界の時間が異世界よりも速く進む場合、ある世界の時間が異世界よりも遅く進む場合、またある世界と異世界の時間の流れる速さが全く同一である場合、あるいは二世界間の時間の進み方が途中で逆転する場合といったあらゆるパターンがいずれも不自然ではないような宇宙観を構築することができる。
 その要約はこうである。宇宙の中にいくつもの異世界があって、それらが天体のように空間を半無秩序に飛び回っているとせよ。宇宙空間にはある一点だけの中心Pがあり、このPまでの中心間距離の長さに応じて、その世界内の時間の流れる速さが決まる。つまり、中心から近い位置にある異世界は時間がより速く進み、中心からより遠い位置にある異世界は時間がより遅く進む。そうすると、内側の世界から外側の世界へと移動しまた帰ってきたときには、向こうでは一週間しか経っていないのに、元の世界では3年経っていたということになり、反対に外側の世界から内側の世界へと移動してまた戻ってきたときには、向こうで一年過ごしたのに、元の世界では3日しか経過していないというようなことになる。もちろんPからの同じ距離上に存在する2つの異世界間をワープしてまた元の世界へと帰ってきたとしても、時差は存在しないのだから、向こうで3日過ごしたなら元の世界でもきっちり3日分経過しているはずである。ただし、これは世界が比較的静止していた場合で、言い換えれば宇宙空間をPからの距離を変えるような方法で2つの世界が移動しなかった場合に限る。もしそのようなことがあれば、依然として多少の(そして極稀に大規模な)時差は存在することになる。つまりこの異世界時間論の下では、時間の進み方が速い世界はいつまでも速いままであるわけではなく、時間の進み方が遅い世界はいつまでも遅いままであるわけではない。時差の逆転という現象も起こりうる。それは中心との距離1だった異世界が宇宙空間の中を天体のように絶えず動きまわることによって、いつのまにか中心との距離3となり、反対に中心からの距離3だった世界が中心からの距離1の距離関係にいつの間にか移動しているなどということで、二世界の時間の流れは反転する。中心Pからの距離によって時間の進み方の速さが変わるのだから、このような仮定の下で2つの異世界を行き来した場合、その過程によって様々な結果が生じうる。

・異世界時間論の長点
 これに加えて異世界時間論では、異世界間の距離によって重みづけて移動にかかるコストを割り振っている。近くにある異世界ほど移動しやすく、遠くにある異世界ほど移動は困難である。近くにある異世界の時差は必然的に小さい。
 最もシンプルな考え方――もしその物語の世界観内では1000個の住居可能な異世界が存在するが、その時間の流れ方はすべて同一である――をとるならば、異世界間移動に際してこのような何の問題も起こらないと同時に、竜宮城などの伝承が各所に残っている理由も説明できない。瑣末に見えて、この事実は非ユークリッド的な異世界時間論の説明装置を導入する積極的理由である。
 一方、その単純な発展の考え方として、1000個の異世界すべては固有の時間の流れ方を持っているが、それらは変化せず固定のものであるという考え方は、大きすぎる時差によって特定の異世界間の移動に支障を来たし、また時差の矛盾を説明することができない。時差の矛盾とは、A世界よりB世界のほうが時間の進み方が遅く、B世界よりもC世界のほうが時間の流れが遅い場合、C世界よりA世界のほうが時間の流れが遅いということはありえない、という束縛である。これは異世界時間論では二世界間の時間の進み方が途中で逆転するような場合にあたる。つまり、そのようなことは限定的条件を付加すれば可能である。よって異世界時間論は固有時間論と比べてより自由度の高い説明装置にあたることがわかる。また最初から時差の大きな世界に移動できる確率は微小であると定めている異世界時間論の下では、実際的に大規模な時差の問題に悩まされることはほとんどない。これは素朴な固有時間的世界観が考え得なかった利点である。
 ただし、大きすぎる時差に悩まされたいと思ったときには、問題なくこれに悩まされることもできるのであって、2点をつなぐワームホール(距離の羃乗に反比例する移動可能性の例外点、現実の物理的宇宙におけるブラックホールのような現象)などの概念の追加的に導入すればよい。逆説的だが、発展前の理論で起こり得た問題的事柄が、発展した理論でもはや説明できなくなっては困るのである。

 異世界時間論で引き合いに出される天体モデルが実在するわけではないことに注意。あくまで理論的に考えるためのモデルであり、異世界がそこを浮かぶ天体という様相によってのみ実在するということを表明した理論ではない。モデルを天球儀にした理由(円盤にしなかった理由)は、付録の中で述べている通り、モデルが二次元であれば順序関係のようなものが容易に成立してしまうからである。
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