第1話 日輪の国の咲七《さな》

文字数 1,998文字

 日輪(にちりん)と呼ばれる極東に位置する小国では白桃色の花びらが舞う季節に成人の宴が催され、その宴にて執り行われる成人の儀礼により当主から名を下賜(かし)されるのが仕来りだ。
 名を持つと言う事は義務と権利を背負う事を意味し、それは氏族(しぞく)の一員として生を受けた者にとって誉れ高き事であり、咲家(さきけ)七番目の子、咲七(さな)にとっても例外ではなかった。 

 しかし、咲七(さな)が敬愛する父から名を授かる事は無かった。何故なら、宴の最中に来襲した魔のモノによって、この日、咲家(さきけ)は滅亡したからである。

 魔のモノの呪いにより【存在感】を奪われてしまった咲七(さな)は、咲家唯一の生き残りとして氏族(しぞく)の務めを果たそうと粉骨砕身(ふんこつさいしん)するのだが、誰一人として咲七(さな)の存在に気付ける者は現れなかったのである。
 疲弊し憔悴しきった咲七(さな)であったが、一族の為にも諦める事は出来なかった。
 咲七(さな)は住家に戻ると形見となってしまった品々を集め旅支度をし、自身の存在に気付いてくれる者を探して旅に出るのだった……

 
 無情に時だけが流れていった。
 日輪(にちりん)では咲七(さな)の存在に気付ける者は現れず、海を渡り異国の地をも彷徨った。

 十指に余る国々を巡り、いつしか生きる目的さえも見失った咲七(さな)は名前すら知らない街の路地裏に座り込むと、母の形見となった小刀の刃先を自身の喉元に向け力を込めた。
 虚ろな視線の先には無念ではなく、解放の二文字が浮かんでいた。然れど、咲七(さな)の喉元を刃先が刺し貫く事は出来なかった。

 久しく感じる事さえ許されなかった温もりが、小刻みに震えながら小刀の柄を握る咲七(さな)の手を包み込んだからである。

「南門の外にある建物へ……」

 それが現実だったのか幻聴だったのかは分からない。咲七(さな)がその言葉を受け取った時には既に温もりの主は立ち去っていたからである。

 しかし、その言葉は目的を与えるのには十分であった。咲七(さな)は母の形見を見て頷くと、よろめきならも立ち上がるのだった……


 あの声が示した建物は古びた要塞のような造りの食事処だった。
 咲七(さな)は導かれるように空いていたカウンター席に腰掛けるが、店に居合わせた客の誰もが咲七(さな)の存在に気付いていないようである。

 咲七(さな)は力なく俯いたまま、暫く無言で座り続けた。やはりあの声は幻だったのだろう。今更死を恐れるなんて恥でしかなかった。枯れ果てたはずの涙が零れ落ちる程悔しかった。
 
「大丈夫ですか?」

 その声の主は涙を流す咲七(さな)にそっと手拭いを差出す。

「すみません。注文を待っていたら突然泣き出したものですから……」

 驚いた咲七(さな)が顔を上げると、声の主は困った様な表情を見せていた。

「私が見えるのですか?」

 咲七(さな)の素っ頓狂な質問に声の主は戸惑いながらも優しい表情で答える。

「勿論ですよ。ご注文はお決まりですか?」

 実にお粗末ではあるが、咲七(さな)にとっては七年ぶりの会話だった。

「あっ、あの……すみません……今、お金を持ち合わせていないです」

 あたふたした挙句に絞り出した言葉がそれだった。先程とは全く別の意味の恥ずかしさで逃げてしまいたい衝動に駆られるのだが、追い打ちを掛けるように咲七(さな)の腹の虫が壮大に鳴り響くのだった。

 声の主は優しく微笑むと、本日の賄い料理をご馳走してくれた。
 そして声の主は咲七(さな)を奥の個室へ通すと、ポプリと言う小柄な女の子を紹介し魔のモノの討伐に協力すると申し出るのだった。

 魔のモノを誘き寄せる手立ては全てポプリが行ってくれた。ポプリは魔のモノは今夜、間違いなく咲七(さな)の命を奪いに来るだろうと言う。
 咲七(さな)は自身の覚悟を伝え、一族の仇討ちを願い出るのだった……


 夜が更け魔のモノ達の時間が訪れると、咲七(さな)はあの日持ち出した家門の入った装束を纏い、父の形見となった刀を携え魔のモノを迎え撃った。

「いざ、参るっ」

 咲七(さな)は掛け声と共に畏怖(いふ)の感情を振り払うと、魔のモノに切り掛かる。

 あの日から七年、咲七(さな)は一度も鍛錬を欠かすことはなかった。宴の場でなければ敬愛する父が魔のモノ如きに後れを取る事がなかったと証明する為に。

 何十、何百と兵刃(へいじん)が交わる。一進一退とはこの事を言うのだろう。
 次第に焦りの色を見せ始めた魔のモノは、瘴気を発生させる為に間合いを取ろうとした。
 咲七(さな)はそれを見逃さなかった。

 次の瞬間、敬愛する父の得意とした剣技が魔のモノを薙ぎ払い、刀に付与された破魔の炎が魔のモノを焼き尽す。

 魔のモノは断末魔を上げながら跡形も無く消滅し、後には煌々(こうこう)と輝く発光体が残っていた。

 咲七(さな)が想いを馳せながら発光体を抱き締めると、その想いに反応するかのように囚われていた愛すべき人達の魂が解放され天に召されていく。

 そして最後の一人が天に向かった後、白桃色の花びらのような光体が舞い降り咲七(さな)の体に溶け入った。
 それは咲七(さな)が奪われた【存在感】を取り戻した瞬間であった。

 呪いを打ち破った事を祝福するかのように、故郷の方角から顔を出した日輪が咲七(さな)を照らすのだった。
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