第1話
文字数 2,356文字
nuzzle into the side of your neck
⌘性的な表現を含んでいます。お子さまと性的な表現に嫌悪を感じる方はスルーなさってください!
はじめは、ほんの遊びのつもりで2人が会話している様子を烈しく妄想して小説に書いた。それがそもそものはじまりだった。
なぜきみのことが気になるのか、そんなことはぼくにはまったくわからないのだが、きみのことを小説に書いてから、そんな風になってしまったのは、たしかなことのようだった。
そして、さらに確かなことは、きみへのこの想いは、奇形児のように異形で哀しみに溢れているのだった。
たとえば、ぼくの想いがきみに伝わり……そのことをぼくが望んでいるのかすらわからないのだが……ぼくときみがリアルで実際に会うことになっても、ぼくはきみに恋人になってほしいとは思わないし、別にセフレになってほしいわけでもなく、じゃあ、ただの茶飲み友達かといえば、まったくそんなこともなく、ぼくはむろん、会ったその日にきみとHするだろうし、iPhoneできみのあられもない肢体をガンガンに撮りまくるだろうとは思うのだが、それは、やはり一回限りのことで、二度とぼくらは会うことはないと思う。
ただナンパみたいに、やりたいだけなのか、といえばそんなこともなく、うまくは言えないのだが、ぼくはきみの身体を抱かない限りは、収まりがつかない、そんな気がするのだ。
実に下卑たいいかたをすれば、きみを思っていったん痛いほど勃起してしまったぼくの陰茎は、きみの中に入らないことには、収まりがつかない、そう表現をしても大きく誤ってはいないかもしれない。
きみのことが好きなぼくが、きみのことを抱きたくなるのは、当然すぎるほど当然だろうが、なぜかきみとは、まさにドロドロと表現するのが相応しい関係となってしまうことが、今からでも容易に想像できるので、ぼくはきみと二度三度と逢瀬を重ねることは決してしてはいけないと思っている。
だから、いちばんの得策は、きみとリアルで会わないという、ごく単純でシンプルなものなのだが、それが相当難易度が高いのだ。
きみは、ぶっちゃけ、とっても弱い人だ。まるできみの心臓は、ガラスで出来ているのではないか、としばしば思うことがある。だから、傷つけないようにあまり接触してはならないのだが、きみの名前を見つけると、どうしたって、ちょっかいを出したくなってしまうのだ。
さて、ここで前回の「きみ」について少し書いてみたい。前回の「きみ」は、むろんきみではなく、まったくの別人ではあるのだが、ぼくと会う際の参考程度に考えてくれたなら幸いだ。
ぼくらは、「ラ・パロマ」のリバイバル上映を観て、映画館を出た時点で、すでに険悪な感じになっていた。
「ラ・パロマ」は、とても良かったのだが、きみが好きだといった別な監督を、ぼくが、めちゃくちゃにけなしてしまったからだった。
金曜日の喧騒の波間に海月のようにたゆたいながら、ぼくは、腹のなかにむらむらと黒雲が湧き上がってくるのが、わかった。どうしようもないくらいにきみのことが憎々しくて、きみを傷つけてやりたいという、紛れもない真実の声をぼくは聞いた。
なにかこうきみをやっつけてやりたくて、いじめてやりたくて仕方なかった。
がむしゃらに道玄坂を歩いて、ヤマハが左に見えた辺りで横道に入り、坂を上ってラブホ街に紛れ込むと、まだ灯りの点ったばかりのラブホに、きみを強引に連れ込んだのだ。
有無を言わさないぼくの、固い決心の現れた瞳を見たからか、意外にもきみは、抵抗しなかった。肩透かしをくらったような感じのぼくは、さらにカッと頭に血がのぼった。
泣き叫ぶまではいかないにしても、嫌悪感丸出しで抵抗してほしかったのだ。その拒絶を、絶対の拒絶で、拒絶してやりたかったのに。
しかし。
こういった流れでありながら、いざというときになって、肝心なものが勃たないということが往々にしてあるのだから、人生は面白い。
男は、それほどにデリケートでバカな生き物なのだ。
だが、残念ながら、ぼくは、それほど繊細ではなかったようだ。
冷蔵庫に、安物のワインがあったので、ぼくらは飲んだ。安物でも、キンキンに冷えた白ワインは、それなりにうまかった。
葉月。そう、そのときの「きみ」の名は、葉月といった。
その葉月を強引にラブホに連れ込んでしまったにもかからわず、もしかしたなら勃たないかもしれないという恐怖と、そんなことに恐怖している自分が腹立たしくて仕方なく、安物のワインをがぶ飲みしてしまったのだった。
フェリーニの「甘い生活」でマルチェロ・マストロヤンニ演ずるところの主人公の父親が、いざ若い女性と一戦まじえようとした際に、肝心なものが反応しなかったという、哀しいエピソードを思い出していた。
明け方近く、ぼくは阿鼻叫喚のような女の声で泥のような眠りからふと目覚めた。壁を伝わって女たちの悦びとも哀しみともつかぬ声が、真っ暗な地の底から這い上がってくるように聞こえてくるのだった。ぼくは、この女たちの剥き出しの本物の声にぞくりとした。
葉月は、ぼくに背中を向けて眠っていた。ぼくは、その背中にぴたりと抱きつき、脚も葉月のようにくの字に曲げると、目覚めたときからはちきれんばかりにきつく勃起していたものが、どうしてもお尻にあたってしまう。そして、もう我慢できなくなって、下穿きをめくってぬるぬると突き挿していった。
葉月は、うーとかあーとか何か言いながらも、まだ夢の中のようで、ぼくは、葉月の名を繰り返し囁きつつ、寄せては返す波のようにゆっくりと腰を使いながら、夢見心地で、再び奈落の底へと堕ちていった。
⌘性的な表現を含んでいます。お子さまと性的な表現に嫌悪を感じる方はスルーなさってください!
はじめは、ほんの遊びのつもりで2人が会話している様子を烈しく妄想して小説に書いた。それがそもそものはじまりだった。
なぜきみのことが気になるのか、そんなことはぼくにはまったくわからないのだが、きみのことを小説に書いてから、そんな風になってしまったのは、たしかなことのようだった。
そして、さらに確かなことは、きみへのこの想いは、奇形児のように異形で哀しみに溢れているのだった。
たとえば、ぼくの想いがきみに伝わり……そのことをぼくが望んでいるのかすらわからないのだが……ぼくときみがリアルで実際に会うことになっても、ぼくはきみに恋人になってほしいとは思わないし、別にセフレになってほしいわけでもなく、じゃあ、ただの茶飲み友達かといえば、まったくそんなこともなく、ぼくはむろん、会ったその日にきみとHするだろうし、iPhoneできみのあられもない肢体をガンガンに撮りまくるだろうとは思うのだが、それは、やはり一回限りのことで、二度とぼくらは会うことはないと思う。
ただナンパみたいに、やりたいだけなのか、といえばそんなこともなく、うまくは言えないのだが、ぼくはきみの身体を抱かない限りは、収まりがつかない、そんな気がするのだ。
実に下卑たいいかたをすれば、きみを思っていったん痛いほど勃起してしまったぼくの陰茎は、きみの中に入らないことには、収まりがつかない、そう表現をしても大きく誤ってはいないかもしれない。
きみのことが好きなぼくが、きみのことを抱きたくなるのは、当然すぎるほど当然だろうが、なぜかきみとは、まさにドロドロと表現するのが相応しい関係となってしまうことが、今からでも容易に想像できるので、ぼくはきみと二度三度と逢瀬を重ねることは決してしてはいけないと思っている。
だから、いちばんの得策は、きみとリアルで会わないという、ごく単純でシンプルなものなのだが、それが相当難易度が高いのだ。
きみは、ぶっちゃけ、とっても弱い人だ。まるできみの心臓は、ガラスで出来ているのではないか、としばしば思うことがある。だから、傷つけないようにあまり接触してはならないのだが、きみの名前を見つけると、どうしたって、ちょっかいを出したくなってしまうのだ。
さて、ここで前回の「きみ」について少し書いてみたい。前回の「きみ」は、むろんきみではなく、まったくの別人ではあるのだが、ぼくと会う際の参考程度に考えてくれたなら幸いだ。
ぼくらは、「ラ・パロマ」のリバイバル上映を観て、映画館を出た時点で、すでに険悪な感じになっていた。
「ラ・パロマ」は、とても良かったのだが、きみが好きだといった別な監督を、ぼくが、めちゃくちゃにけなしてしまったからだった。
金曜日の喧騒の波間に海月のようにたゆたいながら、ぼくは、腹のなかにむらむらと黒雲が湧き上がってくるのが、わかった。どうしようもないくらいにきみのことが憎々しくて、きみを傷つけてやりたいという、紛れもない真実の声をぼくは聞いた。
なにかこうきみをやっつけてやりたくて、いじめてやりたくて仕方なかった。
がむしゃらに道玄坂を歩いて、ヤマハが左に見えた辺りで横道に入り、坂を上ってラブホ街に紛れ込むと、まだ灯りの点ったばかりのラブホに、きみを強引に連れ込んだのだ。
有無を言わさないぼくの、固い決心の現れた瞳を見たからか、意外にもきみは、抵抗しなかった。肩透かしをくらったような感じのぼくは、さらにカッと頭に血がのぼった。
泣き叫ぶまではいかないにしても、嫌悪感丸出しで抵抗してほしかったのだ。その拒絶を、絶対の拒絶で、拒絶してやりたかったのに。
しかし。
こういった流れでありながら、いざというときになって、肝心なものが勃たないということが往々にしてあるのだから、人生は面白い。
男は、それほどにデリケートでバカな生き物なのだ。
だが、残念ながら、ぼくは、それほど繊細ではなかったようだ。
冷蔵庫に、安物のワインがあったので、ぼくらは飲んだ。安物でも、キンキンに冷えた白ワインは、それなりにうまかった。
葉月。そう、そのときの「きみ」の名は、葉月といった。
その葉月を強引にラブホに連れ込んでしまったにもかからわず、もしかしたなら勃たないかもしれないという恐怖と、そんなことに恐怖している自分が腹立たしくて仕方なく、安物のワインをがぶ飲みしてしまったのだった。
フェリーニの「甘い生活」でマルチェロ・マストロヤンニ演ずるところの主人公の父親が、いざ若い女性と一戦まじえようとした際に、肝心なものが反応しなかったという、哀しいエピソードを思い出していた。
明け方近く、ぼくは阿鼻叫喚のような女の声で泥のような眠りからふと目覚めた。壁を伝わって女たちの悦びとも哀しみともつかぬ声が、真っ暗な地の底から這い上がってくるように聞こえてくるのだった。ぼくは、この女たちの剥き出しの本物の声にぞくりとした。
葉月は、ぼくに背中を向けて眠っていた。ぼくは、その背中にぴたりと抱きつき、脚も葉月のようにくの字に曲げると、目覚めたときからはちきれんばかりにきつく勃起していたものが、どうしてもお尻にあたってしまう。そして、もう我慢できなくなって、下穿きをめくってぬるぬると突き挿していった。
葉月は、うーとかあーとか何か言いながらも、まだ夢の中のようで、ぼくは、葉月の名を繰り返し囁きつつ、寄せては返す波のようにゆっくりと腰を使いながら、夢見心地で、再び奈落の底へと堕ちていった。