- 2 -

文字数 1,039文字

 そんなある日のことだった。

 珍しく、その老婦人が、夕食にあたるような時間に、ヤマブキを訪れた。

 梓はちょうどカウンターの奥でまかないを食べていたところだった。

 老婦人はいつものように洋二に会釈をしてから、一言添えた。

「今日は、イチゴソーダフロートだけで」

 梓からは洋二の背中しか見えなかったが、その身体はかすかに揺れたように見えた。

 動揺、というほど大袈裟なものではないが、ちょっとした戸惑いに似た感情が、そこに現れているように見えた。

 いつもの席で、ゆっくりとイチゴソーダフロートを飲む老婦人は、なんだかいつもと雰囲気が違っているようだった。

 いつもは落ち着いた品の良い雰囲気なのだが、まるで、イチゴソーダフロートをキャッキャと撮影する若い女性たちと同じように、華やいだ雰囲気に見えたのだ。

 コーヒーを頼まなかったことから、もしかしたら、新しい恋でも始まったのかな、などと、梓はついつい想像力を働かせてしまった。

 自分がまかないを食べ終わると、今度は洋二の番になるので、交代のためにちょっとバタバタしていたあいだのことだった。

 老婦人の姿が、いつの間にか消えていた。

「おじいちゃん、あの人、いないよ」

 梓が指摘すると、洋二は席を確認しに行った。

 しばらく席の周辺を色々と調べていたが、そのまま、戻ってきた。

「どうだった」

「わからん。席を外してるだけかもしれないし、もうしばらく、あのままにしておくか」

「まさか…食い逃げ?」

 声を潜めて梓が訊くと、洋二は慌てて首を振った。

「そんな人じゃないと思うよ」

「うん、まあ、そうは見えない人だったよね…」

 あの上品な雰囲気からして、お金に困っているような人物には見えなかったし、なにしろ、洋二ががっかりした表情をしているのが見ていられなくて、梓はそう答えるしかなかった。

 しかし結局、閉店時間になっても、老婦人は姿を現さなかった。

 途中まで飲まれたままになっていたイチゴソーダフロートを片付けたのは、梓だった。

 カウンターを拭いている洋二は、肩を落としていて、なんだか一気に老け込んだように見えた。

「なにか事情があったのかもしれないよ」

 そう声をかけると、小さく頷いた。
 ただ、納得した、というよりは、そうとでも思わなきゃやってられない、といった様子ではあった。

 梓も、洋二をこれ以上落ち込ませたくなくて、そういう言葉をかけたのだが、実のところ、内心ではけっこう腹を立てていた。

 そして、その日から、老婦人が姿を見せることはなくなった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み