ダークチョコレート

文字数 1,241文字

パンドラの箱を開けてしまったことを知った。今を今だけを生きるにはどうすればいいのだろう。

音の鳴らない目覚まし時計が私だけを起こすように響いている。三度目の振動で布団から出られた。今日は寒さが和らいできたように思う。
コーヒーメーカーで二杯分のコーヒーを作っておく。変わらず私の朝は甘いシリアルと果物。今朝は昨日父がくれた、いびつな形や小さい苺達。いびつな形のほうが甘くて美味しい。新聞に目を通しながら全てを体に取り込む。

朝のうちに今日するべき小さな家事や掃除をすませた。一日はあっという間だ。
今夜は少し冷え込むらしい。おでんにしようと決めている。出汁はうどんスープで手軽に。ゆで卵を作ってさっと白滝を湯通しする。大根は面取りをしてから十字の切り込みを入れて、少量のお米と一緒に柔らかくなるまで煮る。この三種類は早めに作っておくと味がよく染みて美味しい。

束の間の一人の時間。彩子(あやこ)おばあちゃんのストールを羽織って庭の芝にあるベンチで少し本を読んだ。ジューンベリーに蕾が芽吹き始めている。春に白い花を見せてくれて、初夏にはたわわに実る果実を食べさせてくれる。秋には紅葉。四季を感じさせてくれる素敵なシンボルツリー。今日の天気は風がなく、暖かく、心地良い。
猫だ。私を見ている。二件隣に住む、綺麗な目をした白い猫。家の敷地には入らず、時々出会すと路地から私を見ている。猫は好きだ。子供の頃から。全てを見透かしたような瞳と甘え上手なのに孤独そうなところが好き。子供の頃の記憶。あまり思い出さないようにしたいのに。猫は少し私を見てどこかへ行ってしまった。

あの頃。ちょうど今頃の季節だった。
(あき)と一緒に過ごしたあの家をあの場所を離れた。今、私は秋に会いたい。でも、今私がここに居ることは、全て決まっていた。私はそう思うようにしている。
ぶつ切りの骨付鶏を鍋に入れておこう。本を閉じて再びキッチンへ行く。牛すじは手間がかかるので私は鶏肉でよく作る。それと油抜きをした厚揚げも入れておこう。後は、食べる少し前からちくわと餅巾着を入れて、直前にはんぺん。私はおでんとご飯を一緒に食べられる人なので、もち麦を多めにしたお米も炊いておこう。

食べて、飲んで、眠って、本を読む。
私は何も変わってない。人は変われないそうだ。
朝起きてからと眠る前に白い錠剤を飲む。それはあの頃と変わったことだけれど。
愛する人ができた私は、パンドラの箱を開けてしまったようで歯止めが効かなくなった。寂しさや悲しみは憎しみに変わり、最後には狂気になって絶望へと変わる。人には産まれた時から可能な限りの愛が必要だと思う。できる限りたくさんの必然的な愛。

私には愛する人ができた。でも愛するというのは楽ではなく、楽になりたくて愛せなくなれるものではなかった。それでも私は、愛するこの小さな手の温もりに生かされて、なんとか今日を生きている。
あの日のホワイトチョコレートを今の私ならきっとうまく受け取ることができるだろう。パンドラの箱が開かないように。
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