第4話

文字数 972文字

 磯部もちを出されてからは、他愛のない話をした。
 おばあちゃんは、今の仕事や暮らしぶりのことを何も聞かなかった。
 やんちゃしていた宗介だが、初めて公園で遊んだ時はブランコを怖がっていただとか、初めてケンカした相手は女の子で泣かされて帰ってきただとか、そういうくだらない思い出話ばかりだった。
 おかげで、透もボロを出さず頷いているだけで乗り切ることができた。

 「磯部もちって初めて食べたかも……」
 「え?」
 「あ、いや、なんでもない」
 宗介は磯部もちが好物だったらしいので、矛盾はまずい。
 とりあえず笑って誤魔化した。
 ……磯部もちって、食べたことのない味がする、と透は思った。
 大体、今までひとりで生きてきてもちなんか食う場面がなかった。
 カップ麺、コンビニ弁当、ファーストフード、たまに気まぐれで女が作る塩っ辛い、もしくは味の薄すぎるご飯。それが覚えのある味だ。
 それだって美味いと思っていたし充分だが、こういう普通の、優しい食べ物を口にしたことはなかった。
 「……家を飛び出してから、一度だけ玄関まで来てた時があったでしょう」
 ぽとりと掴んだ磯部もちを落としてしまった。
 「そう……だったっけ」
 「そうよ」
 宗介が家を出て少し経ち、おばあちゃんはじっと玄関に立ち尽くしている影を見つけた。
 ボロボロで小汚くなった宗介が、じっと睨むように帰りを待っていたらしい。
 「あの時、こうして家に入れておもちを焼けばよかったのに。母ちゃんったら、あなたに怒鳴ってしまって……」
 あんたなんて息子でもなんでもない。もう二度とこの家の敷居を跨ぐな。
 そんな古い言葉で怒鳴りつけると、宗介はそのまま消えてしまったらしい、

 「本当にごめんなさいね。本当に……」
 ぽろぽろとおばあちゃんが涙を流す。
 女の子とケンカして泣き出す子ども時代。父が女を作り出て行ってからグレはじめた少年時代。そして、「もう戻ってくるな」と母に言われた二十歳……。
 宗介の人生をじわりと噛み締めた。
 「……ばあちゃん、ごめん」
 透は勢いよく頭を下げた。
 おばあちゃんは目を丸くする。
 「俺、宗介じゃないんだ」
 「え?」
 驚いた表情で透を見つめる。
 透はテーブルに手をついて謝った。

 「俺、宗介なんかじゃない。本当の名前は透っていうんだ。似てるのかもしれないけど……違う。俺泥棒なんだ」
 
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