一期一会

文字数 1,023文字

ある日の昼下がり。
喫茶店で、砂糖を多めに入れたまだほかほかと湯気が立つ珈琲を前に一人。
窓越しの道行く人波を眺めやりながら
ふと思う。

この世に生を受けたと同時に、人はその余命を消費し始める。
あらかじめ与えられし余命は百年の者もあれば
わずか数時間の者もあろう。
その自己に与えられし余命は何人たりとも知り得ないが、
否応なしにこの世を生きていると実は様々な知り得る状況がある。

例えば癌。
発見時の進行度により人は大体の己の余命を知り得る。
例えば暴走。
走行車の間をそれもスレスレに縫いながら猛烈なスピードで走り去るバイクの若者。
己の運転技術を過信し更にアクセルを強く強く握りしめる彼らの後ろ姿に
その余命を垣間見る。
例えば同窓会誌。
毎年半ば機械的に送付されてくる同誌。
たまに気が向いて自己の卒年の旧友の名を懐かしく見る時、
最後に小さく記された物故者一覧に思わぬ名を見つけて、小さく悲鳴を上げるその瞬間。
数分後落ち着きを取り戻し、当初の驚きの時間はゆっくりと
自己の重ねてきた年齢を振り返り、
そしてまた実はそう長くないであろう残された余命を想像する時間へと変わっていく。

喫茶店ですっかり冷めてしまった珈琲を前に一人。
窓越しの道行く人波を眺めやりながら
更に思う。
自己がこの世に生かされてきた時間と、あとに残されし時間と。
志半ばに病死した彼。
若くして事故死した彼女。
そして死因は知る術もないが既にこの世にない友。
彼らに思いを馳せる時、思い出す言葉がある。
「一期一会」
人と出会う、言葉を交わす、目線が合う、心が通じる、
その全てが奇跡なのだと感じる。
なにも相手は人とは限らぬ。
愛犬との死別。
いつのまに姿を消した愛猫。
かつて夏の日に夢中で掴んだあの甲虫。
そっと小さな羽をつまんだ触角を震わせていた蝶。
忘れられぬ旅先に在ったあの大樹。
雑草茂る空き地で遊んで手を切ったあの草。

自己の与えられし時間の中で、それは実はすべてが奇跡の出会いだったのだと。
神や仏の存在をうっすらと感じる瞬間。


いや待てよ。
うるさい会社の上司、けち臭い同僚、対応が横柄な取引先の社長、
口を開けば他人の陰口ばかりのあの奥さん、
嫌味しか話さない婆さん・・・。

そうか。それもこれも一期一会なのか。

そう思い至ったところで
カップの底に残った珈琲の滓を飲み干し、
小さなため息と共にレシートを手に席を立つ。
冷たいガラスドアを開けて雑踏の中を歩き出しながら
ふと思う。

まだまだ悟りには程遠い。
自己の余命では悟り得まい、きっと。
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