第1話<完結>

文字数 1,430文字

記憶とは実に曖昧で、しかもやっかいな物だ。
忘れたいことほど、こびりついた油のように落ちやしない。
僕は今、君を思い出すために、この海辺に座っている。
潮の匂いと冷たい風を感じながら夕暮れに君を思う。
ロマンチストを気取るつもりはないが、君を思い出す時は、いつもきれいな風景の中でありたい。
キラキラ光る海面と、ゆらゆら行き戻る波を見ながら、君がまだ隣にいるような気がする。
今も後悔や悲しみがこの波の様に行き来し、渦を巻く。
でも、僕はその後悔や悲しみよりも、君とみた風景や君と遊んだ楽しかった頃の事を、その渦に飲み込ませたくはない。
何をするにも一緒だった頃、君はいつも隣にいて、それが当たり前だった。
流行にのって流行の場所へ行き、流行の服をきて、一通り遊び尽くしたら、また2人で新しい遊びを探す。
そんな毎日に僕は幸せなんて感じてはいなかった。だって、当たり前のことだっただろ?
楽しいとは思っていた。でもそれが幸せなことだなんて、考えもしなかったんだ。
あの夜、君は久しぶりに飲もうと言った。
大人になって、社会人になった僕たちは、一緒にいることが当たり前ではなくなった。
いつの間にか、離れていることにも慣れて、電話やメールもなくなっていった。
そんな君から突然の電話で驚いたけれど、君がまだ僕を覚えていてくれたことがうれしかった。
「この何年か、元気にしてた?」
決まり文句のようにそう聞いた僕に、
「色々あるけど、元気だよ。」
と君はいつものように笑顔で答えたはずだよね?
後は一緒にいた頃の思い出話や同級生の近況や会社の話で盛り上がって、楽しく飲んだはずだよね?
そんな誰にでもあるような日常の一環として、他愛もない思い出に、いや忘れてしまうほど、本当に普通の2人飲みだったよね?
でも、次に君に会ったのは、四角い白い箱に眠っている様に横たわる君だった。
気づきもしなかったんだ。君があの日、全てを決めて僕に会ったことに。
何もなければ忘れてしまうような、あの夜の時間は、君のせいで僕の心から一生消えない記憶になった。
そして、君と過ごしたあの懐かしい日を僕の記憶から引っ張り出したんだ。
誰にでも訪れるその瞬間を、君は自ら招いてしまった。
僕は本当に気づかなかったんだ。君のそばにいたら、気づけたのかな。
今更、そんなこと考えていても、僕に答えは分からない。まったく君は僕に解けない問題を残して、困らせるつもり?
君は覚えているかな。
ここではないけど、家の近くの海岸で柄にもなく将来の話をしたことを。
君は覚えているかな。
いつかお互いの家族を連れて、あの海岸でバーベキュウでもしようと話したことを。
僕も君がいたときには、すっかり忘れていたよ。そんな約束。
でも、今は思うんだ。君がいて、僕がいて、平凡でどこにでもいるような、どこにでもあるような出来事も、全て君がいたから思い出になっているんだって。
だから僕は君と過ごした、短すぎる時間を忘れたくない。
大切な友達とのその平凡な思い出も、悲しみなんかに埋もれさせはしない。
僕が生きている限り、君は僕の友達なんだから。
幸せなんて当たり前だけど、そこにあるときには気づけなくて、でも君を思い出すと僕は幸せな気持ちになるんだ。
君がいたことを僕は忘れない。君がくれた幸せも忘れない。
夕暮れ時のオレンジと淡い紺色が混ざる空と海を眺めながら、僕は今日も君との時間を一時過ごす。
そしてまた、日常へ戻って平凡な一日を送るよ。
また明日、ここで会おうね。思い出の中の君・・・・
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