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文字数 5,492文字

 それからはぐれ者同士、放課後や下校途中に毎日二人で話すようになった。二人で話すといっても話すのはもっぱら桂木君で、僕は桂木君が用意した数学の面白い逸話(数学者の奇行だったり、特別面白い特徴をもった数字の話だったり、見かけは全く異なるのに数学的には同じ性質をもった図形の話だったり、毎回話の方向性も難しさも様々だった)を、ときどき合いの手を入れながら、ニコニコしながら聞くだけだった。
 ある日の放課後、いつものように桂木君の席まで行き、前の席に後ろ向きに座った僕に、素数(1より大きい整数で、1と自分自身でしか割り切れない数、例えば2、3、5、7、11など)を見つけだす方法について話してから、桂木君が言った。
「最後に数学クイズを出題するから解いてみてよ。いい? いくよ。問題、91を素因数分解せよ」
 素因数分解とは正の整数を素数のかけ算で表すことをいう。4とか6であればすぐに素因数分解できる。4なら2×2だし、6なら2×3だ。だが、91ともなると即答はできない。
 僕が難しい顔をして考えていると、桂木君がつけ加えた。
「解けたら教えて。どうだろう、三日くらい考えてわからなかったら答えを解説するよ」
 そんな風に桂木君は言ったが、この問題はそこらへんの中学生でも勘が良い生徒なら十分か、せいぜい十五分もあれば解くことができるもので、とても三日もかかるようなものではなかった。僕は桂木君の言葉をそのまま受け取り、翌日の朝礼の後、桂木君に問題が解けたことを興奮気味に報告した。桂木君はニコニコ笑いながら、すごいよ、センスあるよ、なんて嬉しそうに僕をほめた。僕は大喜びして、もっとこういう問題出してよ、とすぐに次の問題を催促した。
 その日の放課後、桂木君は、今度は難しいよ、と予告してから次の問題を出題した。
「9991を素因数分解する、というのが次の問題。難しいからヒントを出しておこう。91の素因数分解は7×13だったわけだけど、ということは(10―3)×(10+3)とも書くことができるよね?」
 僕が、へぇー、と声に出して驚くと、嬉しそうに微笑んでから、じゃあがんばって、と言って、桂木君は帰り支度を始めた。
 僕はすぐに考え始めた。
 帰り道、途中で別れるまで、桂木君の話に適当に相づちを打っていたが、頭の中ではずっと数字が駆け巡っていた。家に帰って部屋着に着替えるとすぐに机に向かって、9991を2から順に素数で割り算していった。しかし割り切れる数など一つもない。もしかしたら、9991自体が素数で、素因数分解はできない、というのが答えなのかもしれない。それでもお風呂に入り、夕食を食べると、また机に向かって割り算を再開した。駄目だ、全くわからない。ベッドに仰向けになり、両手を頭の下にもっていき、天井を見る。ぼーっと桂木君の言葉を思い出す。そういえばヒントをくれていた。91は7×13だから、確かに(10―3)×(10+3)と書き直せる。けど、こう書き直して何が嬉しいんだろう? 10と3だけで書けるのは面白いけど、結局同じようにかけ算しているだけじゃないか。だけど桂木君がわざわざ言ったんだから何か意味があるにちがいない。じっと天井を見ながら考える。待てよ、この式を展開していったら……。
 僕はすぐに起きあがって、ノートに式の展開を書いた。
 91=(10―3)(10+3)=100―30+30―9=100―9
 ようやくヒントの意味が分かった。
 9991も10000―9と書ける。それで10000―9は(100―3)×(100+3)だ。つまり、9991を素因数分解すると、答えは97×103。だが、97も103も素数なのか? 分からない。分からないけれど、9991を二つの数のかけ算で表すことができて、僕は嬉しかった。その日気持ちが高揚して、なかなか眠れなかった。
 次の日の朝礼後、桂木君に答えを報告すると、桂木君は、凄いよ、頑張ったね! と声を弾ませて、我がことのように喜んだ。答えはやっぱり97×103だった。僕はすぐに桂木君に問題をせがんだ。あの答えが閃いたときの喜びをもう一度味わいたかった。
 こうして桂木君が放課後に出題する問題を解くことが、僕の日課になった。楽しそうに数学の話をしている僕たちを、クラスメイトたちは珍しい生物でも見るように遠巻きに眺めていた。僕は日ごとに桂木君と二人の世界にのめり込んでいき、それまで付き合いがあった友人が離れていっても、口の悪いクラスメイトから、きもいだの、あいつらホモなんじゃねぇーの、だのと陰口を叩かれても、一切気にしなくなった。
 問題は一ヶ月もすると高校で習う内容にまで踏み込んだ数学になり、十二月から三ヶ月ほどは中断したものの、高校受験が終わると(桂木君は有名私立高校、僕は学区三位の公立高校に合格した)、卒業までの間、平日は毎日、休日は土曜日、また卒業後も高校入学まで毎週末、桂木君の授業を受けた。
 二人が休日に数学の勉強をするのは、もっぱら数学の専門書が多くある市立図書館だったが、たまに僕の家で勉強することもあった。
 初めて家に来たときの桂木君の驚きようは凄かった。
 僕の家は急な坂の上にあり、隣家の屋根は僕の家の玄関よりも下に位置していて、僕の家からの眺めを遮るものは何もなかった。桂木君は僕の部屋に入るとすぐに部屋の奥、机の隣にある窓に向かい、窓を開けると声を弾ませた。「富士山が綺麗に見える。いいところに住んでるね」
 僕は桂木君の家には行かなかった。
 一度桂木君の家を見てみたいと僕がねだったときも、父親が自営の運送業をしていて、昼間は親の仕事の邪魔になるからと、桂木君は残念そうに言うのだった。「仕事があるし、弟たちの世話も大変でね。本当は僕の家でやれれば一番いいんだけどね。家におもしろいガロアの伝記があるんだよ、持ってくれば良かったなあ。今度貸すね」
 数学の話をするとき、桂木君は数学に対する情熱を僕に叩きつけるように熱く語りかけてきた。
 高校入学前に僕の部屋で勉強したときも、こたつ机に隣り合って座り、ノートに問題を書いて、僕にノートを渡すと、開いた左右の腕を上下させ、七三に分けた前髪が眼鏡にかかるほど体を揺らしながら、眼鏡の奥の目を見開いて僕の方に上体を傾け、桂木君は話した。
「1から100までの数字を足し合わせるといくつになるかという問題だよ。いいかい、これは高校で習う数列の問題なんだけど、数学の天才ガウスは小学生の時にこの問題を解いたんだ。小学生だよ、凄いよね」
 普段の大人しい姿からは想像もできないほど、興奮して語りかけてくる桂木君の様子が、当初僕には芝居がかって見えていたが、この頃にはすっかり慣れてしまっていて、何も奇異なところを感じなくなっていた。
 僕に問題を出すと、桂木君は数学の専門書を読み始めた。
 桂木君はいつも一言も発さず、本を睨みつけていたかと思うと、黙とうしているように目を瞑り、それからカッと目を見開き、何やら黙々とノートに書きつける、ということをひたすら繰り返して読んでいくので、僕の方でも集中して問題を考えていると、桂木君が隣にいるのも忘れてしまい、ときどき桂木君が、どう解けそう? とか、なんかヒント出そうか? とか訊いてくると、驚いてしまった。あーあ、と桂木君が上げた大きな声にびっくりさせられたこともある。十月中旬のある放課後、学校の図書館の机に向かい合わせに座っていたときのことだ。僕が視線を上げると、桂木君は明らかに苛立っている様子で、しかめ面をして後頭部の、いつも寝ぐせになっている辺りを掻きむしっていた。
 ふと桂木君のノートが目にとまった。僕はそれまで桂木君のノートを見たことがなかった。
「へぇー、見せてよ」と言って、ノートを手にとって見てみると、見開き二ページにびっしりと複雑な記号を用いた長い数式が書かれている。こんな難しい数式で何を証明しようというのだろう? ノートのそばにあった専門書を引き寄せて、専門書の開いているページとノートを見比べた。えっ、思わず声が出た。完全に一致している。桂木君はいつもこんな長い証明を、本を見ずに再現していたのか。僕には本を見ながらでも正確に書き写せそうもない。
「返してくれ!」桂木君は僕からノートをひったくった。
「すげぇ、本と全く一緒だった」
 と僕が言うと、桂木君は左右に大きく頭を振った。それから僕にイライラをぶつけるように言った。
「いやいや全然一緒じゃないよ。本では記号を使ってるところを、分かんなくて言葉で書いてるところがいっぱいある。もっと証明を短く簡潔にできるのに、こんなに長くになっちゃって。こんなんじゃ全然駄目だあ。ああ才能がないと苦労するよ」
 まただ。一気に気分が悪くなる。初めて話したときに僕が不用意に発してから、何度も桂木君が「才能」という言葉を口にしては、自分のふがいなさを嘆くのを聞かされてきた。それを耳にすると心臓がバクバクしてくる。そのバクバクが収まると、今度はもやもやっとした感じが前面に出てきて、それが長く胸に留まる。僕は何とかしてそのもやもやを追い払おうとする。桂木君に才能がないわけがない。桂木君にないなら、才能がある奴なんていない。いるはずがない。これまで何度も頭の中で唱えてきたその言葉を、このときはとっさに口に出していた。
「あればいいんだけどね。少しはあってもらわないと困るんだけどさ」
 桂木君はさっきまでの苛立った様子から一転して、微笑みながら和やかに返してきた。顔色をうかがうように、優しい眼差しでこちらを見ている。桂木君が心配するほど、僕は酷い形相をしていたらしい。
「自分でも病的だって思ってるんだけどさ、まあ持病みたいなもんなんだ」
 桂木君は消え入るような声で話すと、ゆっくりと、これまで桂木君がどれほど「才能の問題」に苦しめられてきたかを、僕に語った。
 桂木君にはすでに、自分がどんなに頑張っても到達できない高みがあるということ、つまり自分が天才ではないということがよくわかっていた。中学一年の頃には、自分に数学史に燦然と輝く天才たちのような才能の片鱗も見られないことを悩んだりもした。だけど今では、もうそのことで悩むことはほとんどなくなった。問題は一人の数学者として生き残れるだけの才能が、自分にあるかどうかということで、この問題は桂木君を心底苦しめた。桂木君は数学の専門書を丹念に読み込んでいて、それこそ本当に数学を学ぶ道だと信じていたから、塾や学校で学ぶような数学は別物と考えていた。だから高校受験を見据えて、数学を良い点を取るための道具としか考えていない塾の連中にテストで負けることがあっても、気に病むことはなかった。それでも、そんな連中の中で明らかにずば抜けた数学的センスをもった奴がいて、桂木君が思いつかないような解法を一瞬で思いつくのを目の当たりにすると、「自分には才能がないのではないか」「数学を道具としか見ていない連中にも劣る自分には、数学者を志す資格がないのではないか」と、桂木君は酷く落ち込んだ。自分のやっていることの価値や、自分の数学への思いを否定されたように感じたという。「そういうときはいつもこんなおまじないを唱えるんだ。覚えておくといいよ」と言って、桂木君は僕に教えてくれた。「もしかすると彼は僕より優秀かもしれない。だけど彼は、数学が好きなわけではない。もし彼が、数学に本気で取り組めば素晴らしい業績を残すかもしれないが、数学が好きな僕には数学を志す資格がある。確かに才能はないかもしれない。だけど才能がないということは無用ということではない。才能がなくても何かは残せるはずで、そういう才能のない人間の努力の上に、輝かしい成果があるに違いないのだ、ってね。たいてい数日もすると不安がどっかにいってる」
 ──どう? 解けそう?
 声に驚き、びくっと身を震わせる。部屋の掛け時計を見ると二時間が経過していた。
 僕が全く見当違いな計算をしているのを確かめると、桂木君はねばり強く考えたことを褒めてから、ノートに正方形を積み重ねて階段を(100段までは描けないので、1段から10段まで)描き、その階段の中にある一辺1の正方形の面積の和が、1から10までの数字の和になることを説明して、ついで逆さにした階段を描き、二つの階段を合体させた。
「ほらっ、一段目は元の階段の正方形は十個で、逆さにした階段の正方形は一個、二段目は元の階段の正方形は九個で、逆さにした階段の正方形は二個、そんな風に二つの階段を組み合わせると横に十一個の正方形が並んでいて、全体はそれが十列、縦に並んだ長方形になるだろ?」
 あとは僕にもすぐにわかった。求める元の階段の正方形の面積の和は、長方形の面積の半分だから、1から10までの和は11×10÷2=55となる。この方法を1から100までに適用すれば、すぐにその和は5050だとわかる。
 僕はその解の美しさに惹かれ、この解を小学生で思いついたというガウスや、本人の死後も何百年もの長きに渡り、まだ見ぬ美しい世界に君臨する天才たちに思いをめぐらせた。それはそれまで桂木君とのやりとりで繰り返されてきたことで、その思いは、僕と桂木君を馬鹿にして、数学になんの関心も示さない周囲の生徒に冷ややかな視線を向けさせ、そんなクラスメイトに囲まれていても、自分と桂木君だけが意味のあることをしているのだと、僕の気持ちを優越感で満たすのだった。
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