物産展

文字数 4,154文字

 紀男(のりお)にとって、物産展は熱い。
 物産展自体、熱気で暑いこともあるが、そういう意味ではない。
 心の底からわき上がる、熱いものが込み上げてくる。
「らっしゃい、らっしゃーい」
 物産展の活気が好きだった。
 会場内にいる誰もが購買欲に満ちている。
 買う気満々で、財布のひもはどこかへ飛んでいる。
 お客の差し出す札ビラが舞っている。
 行列に並び、買えるかどうか、不安になりながら財布を握りしめてドキドキしている。
 お目当ての品物を手に入れて、ほくそ笑んでいる。
 そんな物産展の雰囲気が紀男は好きだった。
 本日も物産展という戦場へ乗り込む。
 今回、開かれている催しは、九州物産展。
 泣く子も黙る北海道物産展ではないが、人気の物産展だ。
「一番人気から攻めるよ」
 物産展初日、開店30分前。
 紀男は、デパートが開くまで、エレベーターの前に並んで待っていた。ここが最も物産展会場に近い。会場まで直通のエレベーターなのだ。みんなもよくご存知だ。
 そして、その間に作戦会議をする。
「モンブランは外せないわね」
 お付き合いしている彼女、寛子(ひろこ)が言った。
 今回の最大の狙いはモンブランだった。
 求肥の上に生クリームとマロンクリームがかかっている、最近出て来たモンブランである。
 残暑は厳しいが、今は9月。栗の季節、到来だ。
 チラシにはデカデカとモンブランが載っていた。これを買いなさいと言わんばかりの目立ちようだった。
「なら、私が先にモンブランに行くから」
「頼んだよ。俺は梅ひじきに行く」
 梅ひじきとは、カリカリ梅干しとひじきでできた、ご飯のお供のことである。
 開店15分前。
 デパートの店員がチラシと会場図を配りだした。
 否が応でも、盛り上がってくる。
 チラシなど、穴が開くほど見てチェック済みだが、もう一度、復習のためにもらっておく。
 再度、きれいなチラシで、あらためて見直してみるのだ。
 新たな気持ちで見つめてみる。
 やはり今回の目玉はモンブランだ。
 2人は見つめ合うと、互いに無言のままうなずいた。
 間違いない。
 モンブランとご飯のお供が手に入れば、こっちのものだ。
 あとは、テキトーに会場を流し見すればよい。他に気になったものを買うまでだ。
 1つ、2人は決め事をしていた。
「あまり欲張らない」
 欲張ると、ろくなことがない。
 欲張ってもいいことは1つもない。
 お目当ての品物をトントンッと買ったら、あとは撤収でもいいくらいだ。
 どういうものか、わかっている品物ならいいが、よく知らないもので自分たちが美味しい! と思えるものはなかなか出会えないものだ。
 確かに、買わなければ味との出会いもない。
 だが、自分たちの直感を信じて、2人は選んでいた。
 これは! というものでなければ買わないつもりだ。
 開店3分前。
 エレベーターが光り出す。
 いよいよである。
 盛り上がって参りました。
「お待たせしました。ごゆっくりとお進みくださいませ」
 いよいよエレベーターに乗り込む。
 店員は心得ている。
 早く来た人ほど、後ろに並ばせるのだ。
 そうすれば、エレベーターの先頭に踊り出て、早く来た人から先に出られる。
 そういう、ちょっとした気遣いに気がつくのも、楽しいイベント事ならではである。
 みんな、静々とエレベーターに乗り込んでいく。
 ピリピリしたムードはない。
 あくまでも冷静に乗り込んでいく。そう装っているのかもしれない。
 目一杯、お客を乗せたエレベーターはすいーっと、いつものように上がっていく。
 エレベーターにとっては、変わらぬ日常だ。
 だが、乗っている人間の心臓の音は高鳴っている。
 心の中で、カウントダウンが始まっている。
 2階、3階、4階・・・。
 チンコーン。
 着いた。
 7階、催事場。
 思いの外、みんな冷静だ。
 走り出すものなどいない。
 慌てず騒がず、静々と進んでいく。
 ところが、紀男はあせっていた。
 会場図を頭に叩き込んでくるのを忘れたのだ。
 どっちが前なのか後ろなのかもわからない。方向音痴がここに来て炸裂した。
「ん? ん?」
 場所がわからない。
「落ち着け、落ち着くんだ!」
 自分に言い聞かせる。
「遅れをとった! 遅れをとった!」
 頭の中で反響している。あせりがつのってくる。
「まずい! まずいぞ!」
 朝早く起きて、朝早く出て、朝早く並んで、とすべての行程がムダになっていくような、絶望感に襲われる。
「待て、待て! よく見ろ! こっちは逆方向じゃないか!」
 なんとか、冷静さを取り戻し、現在の状況を把握する。
 すると、一気に状況が見えてきた。
「全く逆だ! もっと、入口に近い手前だ!」
 思わず一番奥まで行ってしまい、場所を見失って冷静さを失っていた。
 なんのことはない、お目当ての場所は入口に入ってすぐだった。
 興奮して奥まで突っ込んでしまったのだ。
「しまった!」
 梅ひじきにはすでに長蛇の列ができていた。
「あかん!」
 一時の遅れが命取りになるという教訓だ。
 すぐさま最後尾に並ぶ。
 第2陣のエレベーター軍団が来るまでには間に合ったかもしれない。
 整理番号17。
 迷ったのが悔やまれた。
「ちー」
 彼女の寛子とはエレベーターを降りてからそれぞれ別の方向へ進んだが、並んでるだろうか。
 紀男自身がポカをやったものだから、心配になってくる。
 肝心の梅ひじきの列は一向に進まない。
 店員が2人だけでこなしていることもあるが、クレジットカードやら会員カードで買うたびに、店員がどこかレジの方向へ走っていくからだ。
 カードで買う場合、その場で処理できないらしい。催事ならではの光景だ。
 紀男はイライラしてきた。
 あまり短気な方ではないと思って生きてきたが、自分がこれほど気が短かったのかと思えてくる。
 財布を出して待っていても、遅々として進まない。
「作戦失敗?」
 お得用サイズを買うために並んでいるが、他に回った方がよかっただろうか。
 お得用サイズは30箱限定で、お一人様1箱限り。
 整理番号は17番なので買えることは買える。
 だが、朝イチなので、並んでいないところも間々ある。
 先に並んでいないところで勝負して、そこの限定品を買ってから、並んだほうがよかっただろうか?
 そんな別作戦が頭をよぎる。
 財布を握りしめる手にも汗がにじむ。
「しいたけは並んでない!」
 買う予定だった、しいたけお得用の売り場がすぐ目の前にあった。
 しかも、まだ誰一人並んでいない。
「ちー」
 しいたけをさっと買ってから、並んでも買えたはずだ。
「しまった!」
 だが、今からではもう遅い。
 紀男の後ろにはすでに10名くらい並んでしまった。
 時すでに遅し。
 遅々として進まぬ、この列にとどまるしかない。
「くっ」
 早めにトントンッと買っていく予定が、もろくも崩れ去った。
 イライラしながら、状況を見守るしかない。
「なんと?」
 この期に及んで、前の人間が梅ひじきの大量買いときた。
「早くしてくれい!」
 心の中でギリギリした思いにかられる。
「お次の方〜」
 来た! やっと紀男の番が来た!
「お得用サイズ1つと普通サイズを2つ」
 ささっと、購入する。
 なんとか、お目当ての梅ひじきをゲットできた。
「ふぃ〜」
 安心しているのも束の間、次はしいたけだ!
 目と鼻の先の店にすぐさま並ぶ。
 先ほどまで、誰も並んでいなかったのに、もう並んでいる。
 油断も隙もあったものではない。
 こちらも限定のお得用サイズを2袋購入。
 限定だが、お一人様の数は自由らしい。
 こちらはすんなりとゲットできた。
 さて、次は何を買おうか。
 ふと、寛子はどうなっているか、気になった。
 買えているだろうか?
 彼女の方は、人気商品ばかりなのでまだ並んでいるはずだ。
 ふと、スマホの画面を見ると、
「ややや!」
 メッセージが立て続けに10件も入っていた。
 寛子からだ!
 見ると、状況を逐一、報告してくれていた。
「モンブラン、買えました!」
「カステラ、買いました!」
「現在、串焼きに並び中です」
 なんと!
 寛子は要領よく、ポンポンと人気商品を次々とゲットしていた。
「さすがだ・・・」
 紀男は何も言えなかった。
 しかも、寛子はメッセージで状況まで逐一、報告してくれていた。
 紀男は目の前の状況が気が気でなく、ただただ、あせるばかりだった。
 紀男は自分の不甲斐なさを認識した。
 そして、寛子には勝てないなと、痛感した。
 おっと、こうしちゃいられない。
 お目当てのモンブランは彼女がゲットしてくれた。梅ひじきもなんとか買った。
 あとは、気になったものを流し見して買うだけだ。
 コロッケ、購入。
 はんぺん、購入。
 押し寿司、購入。
 ほぼ並ばずに買えるものを次々とゲットする。
 欲張ってはならないとはいえ、気になったものはここぞとばかりに購入。
 2度と出会えないかもしれないからだ。
 物産展ならではの一期一会に乗っかっている。
 主催者側の目論見にハマっている。
 それでも楽しいからいいか。
 紀男は自分に言い聞かせた。
 しかし、なぜだろう。
 並ばずに買った物は、並んで買った物より、ありがたみが薄いと感じるのは。
 物に上下などない。値段が違うだけだ。
 なのに、並んで苦労して買った物は、どういうわけか、手に入れた実感がより尊いものとなっている感じがする。
 並ばずに買った物でも、自分たちにとっては、とても美味しい尊いものがあるはずだ。
 にもかかわらず、並んで買った物の方が上位というのもおかしな話だ。
 並んで買ったとしても、食べてみると、
「ふーん」
 というものも実は多い。
 ランクをつけること自体、おかしな話かもしれない。
「モンブラン、よく買えたね」
 彼女と合流した紀男は寛子に声をかけた。
 現在、モンブランの行列は、さらに長蛇の列となっており、物産展会場を出て階段まで伸びて、上の階まで続いていた。
 30人どころではない。
 50人くらい並んでいるかもしれない。
「一番先でよかったわよ。すぐに買えたから」
「さすが」
「カステラもみるみるなくなっていったわ」
「さすが」
 紀男はさすがを繰り返した。それ以外、言葉がなかった。
 紀男は、自分の不甲斐なさを感じるとともに、物の価値について考える、いい機会となった。
 
  終
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