第1話

文字数 8,072文字

今日もあの日と同じような暑い日だった。
 数年ぶりに帰省した僕は、当時あの山があった場所に立っていた。
 ジリジリと照りつける太陽と蝉の声。小学三年生の夏休み。僕は母の実家に農業の手伝いをする為、一週間泊まり込んでいた。
 朝六時に起き祖父と畑仕事をして昼過ぎに帰って、昼食を取るという毎日。ある程度畑仕事が終わると祖父は山に行くのが日課だった。理由は分からなかったが僕も毎日祖父に着いて行った。
 その日は特に日差しが強く、畑仕事を早々に切り上げ早めの昼食を取りのんびり横になっていた。
 扇風機の風に当たりながらテレビを見ていると
「リョウタ!山に行くぞ!準備しろ!」
 軽トラに乗り込んだ祖父が外から呼び掛けてきた。軽く返事をすると身支度を整え軽トラに乗り込む。
 山までは車で二十分程かかる。山に近付くにつれ道は険しくなり、ひんやりとした空気が窓から入り込んでくる。
 普段から人が出入りしているのか、山の中はある程度整地されていて、自由に動き回れるだけのスペースが十分にあった。
 祖父はいつものルートを巡回するように歩いていく。僕もその後に着いて歩いていくのだが、何かいつもとは違う森の雰囲気に違和感を感じ、辺りを見渡していると、茂みの中に人が通った後の様な空間がある事に気付き、吸い込まれるようにそこに入っていった。
 進むにつれ道は徐々に狭まって行き、顔や上半身にツルや葉っぱが当たる。一体自分がどこを歩いているのかも分からない。迷子になるのではないか不安を感じるはずなのだが、何故か祖父が近くにいる様な安心感を感じていた。
 茂みの中を進んでいくと突然茂みが途切れ、広々とした空間が目の前に広がった。あれだけ鬱蒼としていた木々が急に無くなり、そこだけぽっかりと何もない広場に出たのである。
 ほとんど日光も通らない森の中なのに、その空間だけは燦々と太陽が照り付け、住むために整地されたとしか思えない様な広場だった。
 真夏だというのにポカポカと暖かく、花も無いのに色とりどりたくさんの蝶が舞っていた。呆気に取られながらもどこか居心地の良いその空間に僕は魅了されていた。
 中央にポツンとある切り株に腰掛け、自分だけの秘密基地を見つけたような気分になり、周りを飛び回る蝶を見渡しながら呑気に鼻歌を歌っていた。
 見たことのない大きな蝶や色鮮やかな蝶、留まることなくただ舞う光景に、心地よさとどこか気味悪さを感じていた。
 本当に現実なのだろうか?夢でも見ているのではないだろうか?早く帰らないと暗くなってしまう。でもずっとここにいたい。そんな矛盾した気持ちにさせる空間。
 ボーッと蝶に見惚れていると突然、声のようなものが聞こえた気がした。切り株から立ち上がり周りを見渡すが誰もいない。子供?動物の鳴き声?
 声の主を探してしばらく周りを見渡しているとある事に気付いた。入ってきたはずの道が見当たらない。広場に入ってくる時には確かにあったはずの道が見つからない。
 一体自分がどこを向いているのかさえ分からない。その円状に広がる空間は子供の方向感覚を狂わすには十分過ぎた。
 入ってきた辺りの藪を手で捲るが、ツルや大きな蔦で覆われていて道は見当たらない。ここに滞在した時間は体感では十分程度。だがすでに太陽は傾き始めていて、ポカポカと心地よかった空間はジメッとした蒸し暑い空気に変わっていた。
 更にあれだけ舞っていた蝶たちも一頭残らずいなくなっていたのである。今更ながらこの空間の異様さに気付き全身から汗が吹き出してきた。
 何とかしてここから出なければと焦り、目についた藪に飛び込んだ。とても人が通れる様な道ではなかったが、無理矢理突き進みようやく開けた場所には出たのだが、ここが山のどの部分なのか全く分からない。
 その間にも日はどんどん傾いて行き、焦りから僕は走りに走った。険しかろうが厳しい傾斜だろうが力の限り駆けた。
 どれくらい走ったのだろう、気がついたら山頂付近へと辿り着いていた。気付かないうちに上へ上へと向かっていたのだろうか。日はほとんど沈みかけていて周りは薄暗くなり始めていた。もう走る気力もなく倒木に腰掛け泣いた。不安で胸が押しつぶされそうだった。
 誰か探しにきてくれるだろうか、夜の山を一人で過ごせるのだろうか、もし野生の動物が出てきたら。様々な不安が一気に溢れてきて
「じいちゃーん!じいちゃーん!!」泣きながら叫んでいた。
 その時だった。後ろの草むらがガサガサと音を立てたのに気付き咄嗟に口を両手で塞いだ。動物か何かが声に釣られてやってきたと思い、声を殺し涙を流しながら震えていた。
「……い」
「おーい!」
 誰かが呼びかけている。人の声という安心感から涙が溢れ出し、振り返りながら声にならない声で泣いた。
「リョウタ?リョウタか?こんな所で何してるんだ」
 僕のそばに駆け寄り声をかけたのは、見た事も無い子供。だが僕の名前を知っていた。
「あーほら!兄ちゃん!じゃなくてじいちゃんの弟のノリオだよ!お前さっき広場にいただろ?あそこは危ないから早く出て行けって言ったのに!」
 ノリオ?聞き覚えのない名前だった。何より僕とほとんど年の変わらないくらいの見た目なのにじいちゃんの弟?広場で聞こえた声はこの子?頭の中にグルグルと疑問符が浮かび上がる。
「ノリオ君はこんな山の中で何をしてるの?」
 グスグスと泣き声で尋ねてみた。
「俺はこの山が庭みたいなもんだからな。遊んでたんだよ!」
 ニカっと大口を開けて笑いながらそう答えるノリオ君はどことなく祖父に似ている気がした。
 とはいえ、すでに日が暮れている山の中に子供が二人。余計不安な気持ちは膨れ上がっていった。
 そんな気持ちを察したのか
「なんだよ!大丈夫だって!この山は庭だって言っただろ?ほら?手を握れ!山の入り口まで連れて行ってやる」
 そう言って微笑むノリオ君の手を取り真っ暗な山の中をゆっくり降っていく。
 ノリオ君は色んな事を話してくれた。
 子供の頃の祖父の失敗談や武勇伝。真っ暗な森の中、太陽の様に陽気に笑いながら話すノリオ君の話に、僕は少しずつ笑顔になっていった。
 山の中腹あたりまで降って来た時だった。
「おっ。兄ちゃん達じゃないか?ほら!見てみろ!」
 そう言って指を差す先にライトがチラチラと光っているのが見えた。微かだが複数人の声も聞こえる。
「タ!!リョウタ!!」
 その声が祖父や母が僕の名を呼ぶ声だと気づいた瞬間、走り出そうとした。がノリオ君はそこから動かない。
「じいちゃん達の声だよ!行こうよ!」
 僕の呼びかけにノリオ君はゆっくり首を振り微笑んだ。
「俺はダメなんだ。もうあの広場に行っちゃダメだぞ!兄ちゃんを。じいちゃんを大事にするんだぞ」
 そう言うとにっこりと笑い、僕の手を離して再び森の中へと歩いていった。不思議に思いながらも
「また遊ぼうね!」と声をかけたが、すでにノリオ君の姿はそこには無かった。
 こちらに向かってチラチラと照らされるライト、声。その全てが力となって、疲れ果てていたはずの体を動かす。
「リョウタ!!」
 はっきりと見えた祖父の姿に涙は溢れ、大声で泣きながら祖父に飛びついた。
「じいちゃーん!!」
「リョウタ!よかった!」
 わんわんと泣く僕をしっかりと抱きしめた祖父の声は震えていた。
「よかった!本当に無事でよかった」
 そこからの記憶はほとんどない。疲れて寝てしまったのだろうか。祖父の優しい声と大きな背中の温もりだけを微かに覚えている。
 けたたましい音で目を覚ました。
 祖父が畑から帰ってきたのだろう。古いトラクターが納屋へ進んで行くのが見えた。
 全身が痛かった。体を起こすのも苦痛だったが、何とか体を起こし自分の体を見て驚いた。
 腕、足を始め様々な場所が包帯で覆われていた。必死に藪の中を走ったせいで体中怪我をしていた。
 しかし体は痛くても空腹には勝てない。痛む体を無理矢理起こして食卓へ向かう。誰もいなかったがテーブルには昼食が準備してあった。
 みんなが揃うまで待ちたかったが空腹に耐えられなかった僕は、ラップを取り先に昼食を済ませた。しばらくすると祖父、祖母が座りその後母が食卓に着いた。
 山で祖父から離れてしまった事、そこで見つけた広場の話をして母と祖母からはしっかり怒られたが祖父は
「無事だったんだからいいじゃないか」
と微笑みながら聞いていた。
 しかしそこで祖父の態度は一変した。
「山の上の方でノリオ君に助けてもらって下まで一緒に降りてきたんだよ」
 ノリオと言う言葉を聞いた瞬間、その場にいた三人の表情が固まった。急に黙り込み表情を凍り付かせた祖父を見て、祖母と母は顔をこわばらせた。
「それは……よかったね!ほら!もう上に行って寝てなさい」
 祖父はしばらく黙り込んだ後、静かに口を開いた。
「ノリオの話はするな」
「なんで?ノリオ君もじいちゃんの話を楽しそうにしてたよ!優しくて頼もしい兄ちゃんだって」
「喧嘩でもしたの?ノリオ君もじいちゃんに会いたいに決まってるよ!」
 最後まで言い切る前に祖父は激しく机を叩き付けた。
「いい加減にしろ!ノリオの話はもういい!」
 祖父は怒号をあげそのまま部屋の奥に消えていった。今まで優しい祖父の姿しか見たことがなかった僕は、その声に驚き、怒鳴られた事へのショックからその場で泣いてしまった。結局そのまま祖父と顔を合わせることなく僕は祖父宅を後にした。
 車の中でもやはり祖父から怒鳴られた事へのショックが拭いきれず、頭の中で怒号が鳴り響いていた。と同時になぜ怒られたのか、そんなに怒らせる事を言ったのか?その疑問を拭えずにいた。
 その後、そのモヤモヤとした気持ちが祖父への恨みとなり、じいちゃんは僕の事が嫌いなんだ。だったら僕もじいちゃんの事は嫌いだ。顔も見たくない。という歪んだ回答となり僕の中で沸々と燻りを起こしていた。
 そんな気持ちを抱えていてもまだ子供。祖父宅に行きたくないと思っていても、正月とお盆は絶対に顔を出さないといけない。
 祖父は何事もなかったかの様に接してくるのだが、僕の中に燻る思いは、祖父を無視するという態度に出て小学生、中学、高校時代とほとんど口も聞かない、目も合わせないという最低最悪の態度をとったまま過ごしていく。
 そんな態度の僕を、祖父は一度も怒る事も無く、嫌な顔一つせず温かな笑顔を浮かべ変わらず接してきた。盛大に捻くれていた僕は、そんな祖父の接し方にも苛立ちを覚え、尚更祖父への態度はエスカレートしていく。
 そんな姿に母も我慢が出来なくなっていたのだろう。ある日晩飯を食べ終わり、自分の部屋に戻ろうとしている僕を呼び止め、おもむろに母は話し始めた。
「あんた、小学生の頃山で迷子になったの覚えてる?」
 僕は口を開くこともなく頷く
「なんでじいちゃんが怒鳴ったか分からないんでしょ?」
祖父の事かと不機嫌に鬱陶しそうに黙っていると
「お母さんもノリオおじさんの事はばあちゃんから少し話を聞いた程度の事しか知らない。二人に何があったかも知らないし話したくないノリオおじさんの話があんたから飛び出したからつい怒鳴ってしまっただけなのよ!じいちゃんだって触れられたくない事があるのを理解してあげなさい」
 理解なんて出来なかった。僕は心のどこかでノリオ君と祖父を会わせたかったのかもしれない。それを頭ごなしに拒否されたのが許せなかった。
 ただ成長するに従って少しずつ理解しなければいけない事も分かっていた。
 明らかに子供の姿だったノリオ君が本当に祖父の弟だったのか。あの日あの山で起こった出来事は現実だったのか。本当は広場で眠って夢を見ていただけで、自力で下山したのではないだろうか。
 思い返そうとしても、顔もはっきりとは思い出せないしその姿は薄らいで行っている。
 もうどうでもいいや。
 考えるのも面倒になった僕は、目を閉じあの山で起こった出来事をこの日限り自分の中に封印した。
 社会人になって一人暮らしを始めた僕は、仕事に忙殺され、実家や祖父宅へ行くなど面倒でしかなくなっていた。
 それから数年経った年末、仕事に人間関係に疲れ果て深夜に帰宅した時にふと思った。
 正月実家と祖父宅に顔出そうかな。なぜそう思ったのかは分からない。急にそんな気持ちが芽生えた。精神的にもすり減っていて誰かと話したい、そんな気持ちもあったのかもしれない。
 今まで何年も顔を出していなかったのに今更とは思ったが、ふと芽生えたこの気持ちは実行しなければならない。何故かそんな気持ちになったのだ。
 そして正月を迎え、実家へは何の問題もなく帰れた。だが、いざ祖父宅へ向かおうとすると気が重い。今更祖父に会って何を話すと言うのだ。いや。話したい事はたくさんある。
 酒だって酌み交わせる年齢だ。酒が大好きな祖父だ。酒を買って飲みながらたくさん話したい。今まで空いていた祖父との時間を取り返したい。
 それが正直な思いだった。
 子供の頃に芽生え沸々と燻っていた祖父への憎悪の火は、大人になり社会に揉まれる事によってすっかり消え失せていた。
 祖父に会いたい。たくさん話したい。でもどうしても向かう事が出来なかった。
 次の年のある暑い日。汗をダラダラかきながら仕事をしていると急にスマホが鳴った。母からの着信だった。
 珍しいなと思いながらもどこか不安を覚え電話に出た。
「もしもし」
 母の声は震えていた。
「じいちゃんが死んだ……」
「……え?」
 頭がひどく混乱していた。何を言っているのか分からない。じいちゃんが死んだ?なんで?
 時が止まった様だった。ひとまず電話を切り急いで車に乗り込んだ。悲しいとか寂しい。そんな感情は一切無くただただ空っぽだった。
 車を走らせて祖父宅へ向かう。懐かしい風景が目に飛び込んできて様々な思いが蘇ってきた。
「この道母さんの車に乗ってよく通ってたな」
 気がついたらそんな言葉が口から出ていた。思い起こされる子供の頃の記憶。
 様々な感情を乗せてこの道を走っていたな。思い出に彩られた懐かしい道を、今度は自分が運転して祖父宅へと走っていく。
 祖父宅へ着くともうすでに母や親戚などがバタバタと祖父を迎える準備をしていた。
 僕は挨拶もそこそこに久しぶりに会う親戚と話をしていた。
 そこで今年の初めに病気が見つかりずっと入院していた事を知った。やっぱり顔を出しておくべきだった。後悔してもしきれない。
 庭にゆっくりと黒塗りの車が止まるとみんながいそいそと集まり始めた。
 祖父が帰ってきた。居間に準備された布団に寝かされた祖父の姿に僕は驚きを隠せなかった。
 子供の頃に見ていたがっしりとした体付きの祖父の姿とは程遠い、痩せ細り小さくなってしまった祖父。
 母や祖母、親戚達がシクシクと音を立てる空間に居心地の悪さを感じて逃げるように庭に出ると、家の裏にいた親戚達に連れられ先に斎場に向かって準備をする事になった。
 あまり母や親戚達と顔を合わせたくないというのもあったので通夜をそのまま斎場で過ごした。
 その夜、横になった僕は夢を見た。
 あの山の夢だった。あの不思議な広場にいる。蝶が舞い温かな日差しが降り注いでいる。
 中央の切り株に腰掛けているのはノリオ君だった。僕がゆっくり近付いて行くと、それに気付いたノリオ君がニッコリと笑い何か話しかけているが声が聞こえない。
「なに?聞こえない!」
「ノリオ君!なんて言ったの?」
 何か語りかけていたノリオ君がふっと視線を僕の後ろに向けた。何かに気付いたノリオ君は急に立ち上がり僕の横を走り抜けて行った。ノリオ君が向かった先にはもう一人子供がいた。
 じいちゃん?
 とても祖父とは似付かない姿だったが、僕はそれを祖父だと認識した。
 祖父はノリオ君に何か伝えるとニッコリと笑い、振り返って僕に手を振り二人仲良さげに手を取り合い目も眩むような光の中へ歩いて行った。
 不思議な夢だった。なぜあの子供を祖父と感じたのかは分からない。何かがそう感じさせたのかもしれない。
 まだ辺りは暗かったが、眠る気分にもなれずしばらく外の空気を吸っていた。
 空虚な心に何かが流し込まれた感覚だった。
 そして朝を迎え葬儀は慌ただしく始まった。とにかく弔問者が多かったのだ。
 顔が広く人望もあったのだろう。結構な広さの会場だったのだが入りきれず式場の外、受付の手前まで急遽椅子が用意されるまで人で溢れていた。
 式は進みお焼香を済ませお別れの儀へと移ろうとしていた。別れ花を手向ける母達はシクシクと泣きながら棺に花を入れて行く。
 この時まで不思議と悲しいと言う気持ちもなく涙一つこぼさずにいた。
 いよいよ僕の番となり花を手に取り祖父の棺に近付いた。棺の中で綺麗な花に囲まれて祖父は眠っている。
 ふと一枚の写真が目についた。写真嫌いだった祖父が僕と唯一写っている家族写真。
 祖父は嬉しそうに笑いながら僕の頭を撫でている。
 心に色んな感情が注ぎ込まれる。楽しさや嬉しさ、怒り様々な感情。居ても立っても居られなくなり急いで花を祖父の顔の横に添え、立ち去ろうとしたその時だった。
 チラッと見えた祖父の顔が一瞬笑ったように見えた。何一つ変わらないあの優しくて暖かい笑顔だった。
 その顔を見た途端、僕の心の中で何かが溢れた。
 ワッと泣き崩れ、人目も気にせず祖父の眠る棺にしがみついてワンワン泣いた。
 まるであの夜、祖父を見つけた安堵感から飛びつき泣いたあの時のように泣きじゃくった。
「ごめんね!じいちゃん!本当にごめん!」
 幼過ぎて祖父を逆恨みし、一緒に過ごす大事な時間を捨てた事への後悔、祖父の言葉に耳を傾けようともせず、無視を続けた事への後悔から僕は泣きながらひたすら謝罪の言葉を叫び続けた。
 その後僕は親戚に棺から引き離され、火葬場に向かうことも出来ずにソファーに腰掛けうなだれていた。
 今更後悔しても遅い。何でもっと早く謝る事が出来なかったのか。落ち着かなくなった僕は屋上に向かった。
 今日も暑い。ジリジリと照り付ける太陽を避けるように木陰に腰掛けた。
 しばらく物思いに耽っていると、祖父と幼少の頃から親しかった親戚が屋上にやってきてあの山での話をしてくれた。
 祖父の弟のノリオ君と祖父はよくあの山で遊んでいたらしい。ある日祖父が目を離した隙にノリオ君は迷子になってしまった。
 数日間、警察やボランティアによる捜索が行われたが発見する事は出来なかった。捜索が打ち切られてからも祖父は必死に探し続けた。そして見つけた。
 深い森の中にぽっかりと口を開けた広場の切り株に腰掛け、眠る様に亡くなっているノリオ君を。
 とても暑い日だったのだがそこはポカポカと暖かく、不思議な色合いの蝶が舞っている広場で、祖父はノリオ君を抱き締め泣きじゃくった。
 その日以来祖父は毎日欠かす事なく山に行き、ノリオ君を弔っているのだと。
 話を聞き終える前に僕は走り出していた。車を走らせ山へ急ぐ。すっかり周りの景色は変わってしまっていた。
 あれだけ木々に覆われて険しかった山は姿を変え、何もない広大な平地になっていた。立ち入り禁止の看板が立ち、入り口はロープで厳重に封鎖されていた。変わってないのはうるさい蝉の声とジリジリと照り付ける太陽だけ。
 僕は山があったであろう場所に深々と頭を下げた。
「ノリオ君。遅くなったけどあの時はありがとう。ノリオ君のお陰で今も元気に生きています。じいちゃんがそっちに行ったよ?ノリオ君との約束守れなくてごめん。じいちゃんをよろしくね」
 そう伝えその場を去った。

 相変わらず蝉が鳴きしきり、太陽がジリジリと照り付ける。
「来たよ。じいちゃん。今年も暑いね。ノリオ君と仲良くやってる?喧嘩しちゃダメだよ?」
 今年も祖父の墓前に語りかける。
 今でも夏になると思い出す。山で起こった不思議な出来事と祖父とノリオ君の優しい笑顔。
切なくもどこか暖かい僕の夏の思い出。
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