反省と言い訳

文字数 1,317文字

 2023年の途中から急に始まった毎月の短編小説の投稿。しかし、それは最初の数ヶ月でいわゆる「やる気」がどこかへ旅に行き、戻ってこず、風の噂ではドコモダケと一緒に風来坊として過ごしているらしい。もうじき、スナフキンと合流するとかしないとか。
 そのような言い訳をしながらも、毎月投稿をできなかったことはとても反省している。しかも、たまにいただくファンレターも間違いなく私の「やる気」に繋がっていたことは紛れもない事実であるのに対して、それよりも反抗期を迎えた中学生男子のように「やる気」は私から離れようとしていた。
 私は「自分に甘く、他人に厳しく」がモットーであるため、私に内在している「やる気」も自分の身体の一部のように感じられ、「甘さ」の適用範囲として認めざるを得なかった。
 
毎年、大晦日になると来年こそは!と意気込むが、寝、新年を迎えても前年と同じように腹は減るし、眠気は襲うことを躊躇わず、大きな変化は自分自身にはないと興醒めし、いつもの発展のない生活に戻っていく。実家に戻り、親と犬と姉と義兄の顔を見、少し緊張しながらも日常に入っていく。慣れた頃に紅白歌合戦が始まり、義兄と共に酒を飲み、その瞬間は楽しいと思うものの、一夜明けるといつものぎこちない関係に戻る。不思議なことに年に数回しか会わない姉にはそのような感情を抱かないので、血の繋がりをその度に感じる。
 各々がいつもの日常になれば、自然と訛りが消える。もれなく私もそうで、「だっぺ」という言葉は口を突いて出ない。実家では母が最も訛っており、次点で私が、そのあとは同列で父と姉になる。義兄は東京の出身なので私家の一族しか分からない話を訛りを交えながら話すとき、疎外感を感じているのだろうか。

 長男として生まれてしまったので、仕方なく一族の苗字を名乗っているが本当であれば、早乙女や宍戸、豊臣などの格好がつく苗字を名乗っていたい。今の苗字もそこそこ珍しいが、あまり格好がつかない。これが長男が背負う一つの十字架なのだろうと最近、感じることが多い。長男として狙って産まれたわけでなく、偶然にも兄がいなかったというだけで苗字を背負う。特に田舎はそのような風潮が強い。そして実家もそうである。

 このようなことから2023年の11月と12月は新作を投稿できずに終わった。来年はなんとか12ヶ月連続で投稿はしたいが、それはあくまでも努力義務でしかない。誰かが尻を叩いてくれるわけではないので、自分で自分の尻を叩くしかない。綺麗な女に尻を叩かれるのは極めて好む部類だが、自分で尻を叩くのは好きな部類ではない。「ほら、早く新作を投稿しなさい」と言われながら鞭で叩かれたい。叩かれながら小説を書いてみたい。どのような作品になるのか興味はある。

 とにかくできるところまで創作活動を続けてみたい。未来は明るいし、変態は必ず救われる。そのような世の中にしたいので、創作を続けていく。
 2024年は「やる気」が戻ってくるような策を講じてみる。ただ、私の「やる気」は頑固だからどうなることやら。
 
2023年は大変お世話になりました。
2024年も何卒、枝豆吉をご贔屓にお願いいたします。

Viva 変態。
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