第1話

文字数 1,890文字

 これは奇跡の後に生きる私達の物語だ。
 どういうことか。
 報道では、2050年から2100年頃には、人類の人口は減少に転じると言う。
 先進国は既にその傾向にある。国民が持っている底力はほぼ使い尽くしている。市場に必要な生産ラインはほぼ出来上がっている。後は、商品のマイナーチェンジで生き延びるだけだ。日本は今、そうであるし、ヨーロッパはとっくにそうだ。
 奇跡的な、高度経済成長は見込めず、手つかずの広大なフロンティアはない。フロンティアを耕す可能性がない。何をがんばったらいいか分からず、そもそもがんばるべきかも分からない。できることは、「可能性のほとんどは、親ガチャ・遺伝子ガチャで決められている」とつぶやくだけ。大局ではそうだ。
 しかし、これは所与の条件に過ぎず、否定的に語られるべきでもない。あるかどうかも分からない過度な可能性に追い立てられて生きる必要がなくなったとも言える。
 今は、トラウマと向き合う精神療法や認知行動療法――心の可能性に重きを置いた考え――より、「人間は根本的に変わらない。変わらないからと言って過度に落ち込む必要もなく、ホモサピエンスの癖を自覚して生きよう」といった感じの、発達障害論・行動分析学・行動経済学・進化心理学が人気だ。
 「イワシの頭も信心から」と言うが、「イワシの頭」に相当する「可能性」「成長性」の化けの皮がはがれ、信じられなくなった。奇跡が見えなくなった。
 それと本書がどう関係するのか。
 本書の帯には「2018年6月1日は、すでに千回近くも巻き戻されている」とある。
 エキセントリックなSF的設定だ。
 他にも、超越的な存在が出てきたりもする。
 しかし、表層に見えるエキセントリックな部分にだけ目を奪われていたら、作者が仕掛けた罠にまんまとはまろう。罠は「物語の中」というより「物語の外縁」に潜んでいる。間違っても、「最近よくあるループものね」などという安易な先入観を持ってはいけない。
 それでは、「最近よくあるループもの」との分水嶺はどこにあるのか。
 奇跡が見えた時代の物語ならば、「超常現象が終部まで継続して起こっている」か「終部に超常現象が起きるか」であった。なにせ、奇跡は日常的なものであり、奇跡をまとって生きてきた人達の時代だから。バブル経済期には、世界を破滅させる程のパワーを持った超能力者の物語が流行った。
 その後の失われた20年になっても、新しい時代にふさわしい物語の器はすぐには見つからず、かつての物語のテイストを含んだものが流布された。
 時間ループに改めて、光をあてたところは新鮮だったが、「最近よくあるループもの」は、終部までループ(超常現象)が継続して起こる。
 しかし、本書は違う。超常現象も超越的な存在も途中から姿を消す。後に残るのは、読者と等身大の登場人物達で、日常的なものを素材に地道に推理していく。
 もうこれは、詐欺だ。
 ただ、急いで付け加えよう。誤解をして欲しくないのは、「エキセントリックな設定をエサにした、肩透かしの地道な推理もの」と思われることだ。
 とんでもない。本書は、奇跡が終わったところからが、真骨頂なのだ。
 月並みな表現で大変恐縮だが、「どれも個性豊かな登場人物達」だ(鳥丸さん、いい味だしている)。特にコケティッシュなヒロインが魅力的だ。そんな人達が、殺人事件が起きる世界観にふさわしく、ビターテイストな大人の会話を繰り広げ、鋭い人間観を見せる。「姫崎にできたのは、法律と常識を言い訳に、なるべく優しい言葉で彼女を拒絶することだけだった」という具合に。
 副主人公とでも言うべき女性科学者も妙味で、社会通念上の「善人」に収まりきらない闇を抱えながら、変人のようには描かれない。過剰なキャラ立ちはない。だがそれがかえって、真実を求めるためなら良識など意に介さない闇をリアルに浮かび上がらさせている。
 そして、ラスボスと言うべき存在にも、強い知的欲求がある。つまり、本書は、メインメロディーでは「奇跡後の日常生活を舞台にした戦い」であり、バックメロディーでは「知的欲求を巡る戦い」を奏でている。
 もちろん、後者の「知的欲求を巡る戦い」においても、分かりやすい対峙はない。文章は読みやすく、ぐいぐい物語に引き込まれるが、「巨悪を倒せば、超越者と邂逅すれば、それで終わり」という単純な世界に、登場人物達は生きていない。当然だ。彼らが生きているのは、私達と地続きの世界なのだから。だからこそ、彼らの奮闘が、より一層胸を打つ。「予想不能な犯行動機なのに、奇をてらっていない」という不思議な読後感だ。
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