第1話

文字数 1,996文字

 電話が鳴った途端、事務所内に緊張が走る。意図的に変えられた病院からの着信音は、彼らにとっては出動を促す警報のような役目を担っていた。
「公立K病院。ご依頼主は江良勝則様。市内のご自宅まで。お迎えお願いします」
 パートの節子からの短い情報だけを受けて、スタッフは行動を開始する。俊敏さは消防隊も顔負けだ。
「正晴、行くぞ」
「はい」
 年配のベテラン職員伊達に急かされて、正晴も立ち上がる。その背中に、珍しく節子がひと言付け加えた。
「故人は十四歳の女の子。首吊り自殺ですって」

     ※   ※   ※

 入社してまだ二年に満たない正晴も、既に数えきれないほどのご遺体と対面してきた。
 何度か回数を重ねるうちにご遺体への抵抗は失せてしまうものだが、中には目を背けたくなるものもある。その内の一つが子ども、そして自殺によるものだ。
 K病院の地下にバンを乗り付け、遺体安置所へと案内してもらう。こ遺体が眠るベッドの横で、ご両親と思しき夫婦が正晴達に頭を下げた。
「この度はご愁傷様でございます。ハートフル斎苑の伊達と申します。ご帰宅のお手伝いを務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
 神妙に、押し殺したような声で伊達が挨拶し、室内に設けられた小さな祭壇で手を合わせた。正晴も伊達に倣う。
「早速ではございますが、お運びする準備に入らせていただきます」
 ガラガラとやかましい音を立てるストレッチャーをベッドの隣につけ、故人にかけられた布団を丁寧に畳む。闘病の末亡くなる老人とは異なり、僅か十四歳で突然この世を去った少女のご遺体は肉付きもよく、瑞々しささえ感じられた。遺体発見時には無惨な様子だったであろう顔にもエンジェルメイクが施され、眠っているのではないかと思えるほど穏やかな表情を浮かべていた。
 明らかに異質なのは、首筋に残るどす黒い内出血の跡だ。首吊りをした跡は死化粧では誤魔化しきれない。死因が死因だけに多くの弔問客が訪れるような葬儀にはならないだろうが、上手く首を隠すような工夫が必要になるだろう。
「どうしてこんな事になってしまったんだか。もっと早く、私達が娘の苦しみに気づいてあげられれば良かったんだが……」
 父親が呻くように言い、母親はうっと目頭を押さえて嗚咽した。こんな時、正晴にはどんな反応をしていいかわからない。伊達から教わった通り、沈痛な面持ちとやらをキープしたまま、黙々と作業を進めるのみだ。
「じゃあ、乗せ換えるぞ。そっちを持って。せーの」
 ストレッチャーに遺体を乗せようと、太ももの辺りに両腕を差し込んだ時だった。
〈……やめて! 苦しい!〉
 突然脳裏を貫いたあまりにも悲痛な叫び声に、正晴はぎょっとして目を見開いた。
 正晴には生まれ持った特殊な能力がある。遺体に触れると、故人が生前に抱いていた想いや記憶にまで触れてしまう事があるのだ。
 しかし――先ほどの悲鳴は、今まで感じた事のない恐ろしいものだった。全身が総毛立ち、指先が震えるのを意識せずにはいられなかった。
「それではお車まで運ばせていただきます」
 ストレッチャーを押して移動する間、正晴は遺体を押さえるふりをして、もう一度その身体に触れてみた。
〈……やめて! お父さん! やめて!〉
 再び流れ込む記憶に、正晴は弾かれたように顔を上げた。父親は医者を相手に、念仏のように後悔と懺悔の言葉を繰り返し、いかにも憔悴した様子に見える。しかし――。
「これよりご自宅へと移動いたします」
「娘を、よろしくお願いします」
 出発を告げる伊達に、父親は涙ながらに頭を下げた。正晴は唇を噛み締め、伊達とともに礼を返した。

     ※   ※   ※

 約一か月後、娘を自殺に見せかけた殺人容疑で父親が逮捕された。
 一旦は自殺として処理されようとした事件が動いたのは、匿名でもたらされたタレ込み電話がきっかけだった。押収された父親のパソコンからは娘に性的虐待を加える映像が多数発見され、抵抗された事に腹を立て、衝動的に首を絞めて殺したという父親の犯行が明るみになった。
 父親は妻の目を盗んでは、日常的に娘に性的虐待を繰り返していたのだ。
 警察は情報提供者に名乗り出るよう協力を求めているが、未だ見つかっていないという。父親と娘自身しか知らない虐待の事実やパソコンのデータまで、一体誰が警察にリークしたのか。真実は謎に包まれたままだ。
「お迎えお願いします」
 唐突に節子に言われ、正晴はきょとんとした。病院からのベルは鳴っていないはずだった。
「O警察署です。Kホールの安置所へ直送で」
「それって……もしかして袋に入ったやつ渡されるパターンか?」
「勘弁して下さいよー」
 伊達がにやりと笑い、正晴は悲鳴をあげた。ご遺体のお迎え先は、病院とは限らないのである。
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