「純愛目覚まし時計」
文字数 1,988文字
その日、郵便受けに青と赤のリボンがついた合鍵と一通の手紙が入っていた。青はケイタが好きな色、赤は僕が好きな色だ。
「今週末、俺は遠い所へ行っているから代わりにブラッディーの世話をしてほしい。あと、テーブルにトモへのプレゼントを用意した。愛をこめて。ケイタ」
1ヵ月前、包丁で指を切ったケイタが傷口を舐めて欲しいと甘えてきたのでその指を咥えた。すると、急に咳が出て呼吸が苦しくなったので「きみの血には毒でも入ってるのか?」と冗談混じりで言うと、彼はとても激怒した。
やがて体調は回復したものの、僕は心にもないことをぶちまけてしまった。
「もう家には来るな! 俺にもブラッディーにも二度と触れるな!」
顔を真っ赤にして激昂するケイタの声を思い出すと、今でも体が自然と震える。
黒猫のブラッディーは口実に過ぎないのだろう。外泊をするときは決まって動物病院に預けていた。そもそもブラッディーはケイタにしか懐いていない。彼曰く僕の193センチという巨躯を怖れていると。
ひとまず合鍵を握りしめてケイタの住む七階建てマンションへと向かった。
部屋に入りすぐにブラッディーの名を呼んだが案の定、返事はない。
ふと、壁面のオブジェが総とっかえになっていることに気づく。以前まではロマンチストで夢見がちなケイタらしく古今東西の恋愛小説や愛の詩集が並んでいたが、今は赤と青の造花の薔薇が交互に置かれている。この日のためにわざわざ用意したのだろうか。
ひとまずソファーに座りブラッディーが現れるのを待とうとしたが、目の前のガラステーブルに置かれたギフトボックスに目が留まった。
中を開けると所々いびつながらも美味しそうなチョコレートブラウニーが入っていた。ケイタがお菓子作りをしているところをこれまで見たことがなかったことから直感的に、ブラウニーの中に指輪でも隠されているのではと予想した。
料理は愛情というが確かにそれは美味だった。
じゅわっとほろ苦い果汁のようなものが口内に広がり、濃厚なチョコが歯と歯の間に挟まった。ゆうに四人分はありそうな大きさだったが、指輪を探し求めていたこともあってすぐに平らげてしまった。
箱の周りに飛び散ったブラウニーの欠片もひとつ残らず胃袋に放り込む。ケイタが自分のために作ってくれたものは僅かであれ取りこぼしたくなかった。
結局、指輪は見つからなかったが、自分の気持ちを再確認することはできた。すぐさま携帯を取り出し「ごちそうさま」と短いメールを送った。それ以上の言葉は直接伝えるつもりでいた。
返事を待つ間、ソファーに少し横になろうとしたが急に手足が痒くなってきた。
きっと乾燥のせいだろうと加湿器に手を伸ばそうとしたとき、急に目覚まし時計の音が聞こえてきた。
まずはアラームを止めようと寝室へ移動。
しかし、どこにも目覚まし時計はない。いや、リビングにもキッチンにもトイレにも、ブラッディー同様見当たらない。
別段、室内を走り回ったわけでもないのに呼吸が苦しくなってきた。
連日の仕事疲れに加え、長らくケイタのことで心労がたまり、ろくに眠れていなかったせいかもしれない。足元までフラッとよろけた。
容赦なく鳴り続ける目覚まし時計が自身の心に追い打ちをかけてくる。
ついに僕は自力で探すことを諦め、ケイタに助けを求めた。なかなか応答はなかったが足元で「みゃあ」と聞き覚えのある声がした。
次の瞬間、僕は床に倒れ込んでいた。
黒猫のブラッディーが黄金色の目でこっちを訝しげに見下ろしている。ブラッディーはブラッディーでケイタを捜しているのだろうか。
「ここにケイタはいないぞ……」
呼吸がゼーゼーしてきた。おまけにお腹もぎゅるぎゅると尋常ではない音を鳴らしている。
ここで僕は気づいてしまった。
今までずっと目覚まし時計が鳴っていたのではなく、自分のお腹の音が鳴っていたことを。
これはまずい。絶対にまずい。
慌てて救急車を呼ぼうと携帯を取り出すと、ケイタから折り返しがあった。
「トモ、食べてくれたんだな。実は俺、伝えたいことがあるんだ」
返事をしたいのは山々だったが、すでに意識は朦朧としていた。
「俺、気が狂うほどトモを愛してる。安っぽい言葉じゃ絶対にダメだし他の人たちと同じような愛情表現では物足りないんだ! だから俺の熱い想いと体内に流れるこの赤い血を、トモの体にずっとずっと注いでみたかった!」
ケイタの血?
以前、彼の血を少し舐めただけで気分が悪くなったっけ。
突然、ブラッディーが僕の脇腹に頭をゴツゴツと激しくこすりつけてきた。僕の体内にいるケイタを感じ始めたせいかもしれない。
「……なぁ、俺と結婚してほしい」
微かにそう聞こえた気がしたが、やがてお腹のアラームは鳴り止み、僕を起こしてくれる目覚まし時計はこの世に存在しなくなってしまった。
「今週末、俺は遠い所へ行っているから代わりにブラッディーの世話をしてほしい。あと、テーブルにトモへのプレゼントを用意した。愛をこめて。ケイタ」
1ヵ月前、包丁で指を切ったケイタが傷口を舐めて欲しいと甘えてきたのでその指を咥えた。すると、急に咳が出て呼吸が苦しくなったので「きみの血には毒でも入ってるのか?」と冗談混じりで言うと、彼はとても激怒した。
やがて体調は回復したものの、僕は心にもないことをぶちまけてしまった。
「もう家には来るな! 俺にもブラッディーにも二度と触れるな!」
顔を真っ赤にして激昂するケイタの声を思い出すと、今でも体が自然と震える。
黒猫のブラッディーは口実に過ぎないのだろう。外泊をするときは決まって動物病院に預けていた。そもそもブラッディーはケイタにしか懐いていない。彼曰く僕の193センチという巨躯を怖れていると。
ひとまず合鍵を握りしめてケイタの住む七階建てマンションへと向かった。
部屋に入りすぐにブラッディーの名を呼んだが案の定、返事はない。
ふと、壁面のオブジェが総とっかえになっていることに気づく。以前まではロマンチストで夢見がちなケイタらしく古今東西の恋愛小説や愛の詩集が並んでいたが、今は赤と青の造花の薔薇が交互に置かれている。この日のためにわざわざ用意したのだろうか。
ひとまずソファーに座りブラッディーが現れるのを待とうとしたが、目の前のガラステーブルに置かれたギフトボックスに目が留まった。
中を開けると所々いびつながらも美味しそうなチョコレートブラウニーが入っていた。ケイタがお菓子作りをしているところをこれまで見たことがなかったことから直感的に、ブラウニーの中に指輪でも隠されているのではと予想した。
料理は愛情というが確かにそれは美味だった。
じゅわっとほろ苦い果汁のようなものが口内に広がり、濃厚なチョコが歯と歯の間に挟まった。ゆうに四人分はありそうな大きさだったが、指輪を探し求めていたこともあってすぐに平らげてしまった。
箱の周りに飛び散ったブラウニーの欠片もひとつ残らず胃袋に放り込む。ケイタが自分のために作ってくれたものは僅かであれ取りこぼしたくなかった。
結局、指輪は見つからなかったが、自分の気持ちを再確認することはできた。すぐさま携帯を取り出し「ごちそうさま」と短いメールを送った。それ以上の言葉は直接伝えるつもりでいた。
返事を待つ間、ソファーに少し横になろうとしたが急に手足が痒くなってきた。
きっと乾燥のせいだろうと加湿器に手を伸ばそうとしたとき、急に目覚まし時計の音が聞こえてきた。
まずはアラームを止めようと寝室へ移動。
しかし、どこにも目覚まし時計はない。いや、リビングにもキッチンにもトイレにも、ブラッディー同様見当たらない。
別段、室内を走り回ったわけでもないのに呼吸が苦しくなってきた。
連日の仕事疲れに加え、長らくケイタのことで心労がたまり、ろくに眠れていなかったせいかもしれない。足元までフラッとよろけた。
容赦なく鳴り続ける目覚まし時計が自身の心に追い打ちをかけてくる。
ついに僕は自力で探すことを諦め、ケイタに助けを求めた。なかなか応答はなかったが足元で「みゃあ」と聞き覚えのある声がした。
次の瞬間、僕は床に倒れ込んでいた。
黒猫のブラッディーが黄金色の目でこっちを訝しげに見下ろしている。ブラッディーはブラッディーでケイタを捜しているのだろうか。
「ここにケイタはいないぞ……」
呼吸がゼーゼーしてきた。おまけにお腹もぎゅるぎゅると尋常ではない音を鳴らしている。
ここで僕は気づいてしまった。
今までずっと目覚まし時計が鳴っていたのではなく、自分のお腹の音が鳴っていたことを。
これはまずい。絶対にまずい。
慌てて救急車を呼ぼうと携帯を取り出すと、ケイタから折り返しがあった。
「トモ、食べてくれたんだな。実は俺、伝えたいことがあるんだ」
返事をしたいのは山々だったが、すでに意識は朦朧としていた。
「俺、気が狂うほどトモを愛してる。安っぽい言葉じゃ絶対にダメだし他の人たちと同じような愛情表現では物足りないんだ! だから俺の熱い想いと体内に流れるこの赤い血を、トモの体にずっとずっと注いでみたかった!」
ケイタの血?
以前、彼の血を少し舐めただけで気分が悪くなったっけ。
突然、ブラッディーが僕の脇腹に頭をゴツゴツと激しくこすりつけてきた。僕の体内にいるケイタを感じ始めたせいかもしれない。
「……なぁ、俺と結婚してほしい」
微かにそう聞こえた気がしたが、やがてお腹のアラームは鳴り止み、僕を起こしてくれる目覚まし時計はこの世に存在しなくなってしまった。