第1話 嫗と翁

文字数 1,016文字

街の一軒家を売り払い、田舎の元居た家に戻ってからはやはり何もかも手の届く範囲に事足りる暮らしの方が良い。
と街の人達との面倒な人付き合いから開放された私はせいせいしているのだけれど、

あの子がいってしまってから夫はすっかりやる気を無くし、床につくようになり食欲も落ちてしまった。

頑固職人の夫は朝起きてから寝るまでずっと働いていて、仕事以外楽しみを知らない人。

それでも暮らしは回っていたし、余計な娯楽をせず、もう年なのだし私達夫婦だけで余生を過ごそう。

と子供を諦めた時に思いもかけずあの子を授かり、目が回るように忙しかったけれど子供がいるだけで人生がこんなに輝くものか!

と喜びに溢れた数年が過ぎ、思春期を迎えたあの子の将来を思って街に移り住んだ。それがいけなかったのかもしれない。

田舎育ちの一家にとって気取った暮らしをしている街の人との付き合いは相当難儀なものであの子を詮索する噂に私達は相当振り回された。

元々引きこもり気味だったあの子は人間関係に悩まされて毎日ふさぎ込み、唯一のお友達との文通だけがあの子の街での数年の心の慰めだった。

それが、突然いってしまうだなんて。

あの夜から2ヶ月経とうとしているが私たち夫婦はまだ立ち直れていない。

山間部の冬の訪れは早く、ふと空を見上げるともう粉雪が舞っている。

往診のお医者はご主人は体は足腰が少し弱っている位だが、大きな喪失体験で気力が弱っているのだ。辛いことを忘れてしばらく静養するのがいいでしょう。

と診断して下さり、お薬を置いて帰っていったが夫はその薬さえ飲もうとはしない。

「お父さん、無理してお薬を飲まなくてもいいけどせめて重湯は啜ってくださいな、でなければ体が持ちませんよ」

すっかりやせ細った夫は無理して重湯を啜ったあと「あの子がいないこの世で何の生きる甲斐があろうか」

と力なく首を振り、そのまま寝入ってしまった。

この人はもう長くないだろう。と不穏な予感がちくり、と胸を差す。

ごう、と風が鳴るとあの子かしら?とついつい夜に外に出てしまう。師走の神々しい満月が雪化粧した竹林を照らす。

…なよ竹のかぐや姫。

せめてあなたが求婚の貴人の誰かに嫁いだとか、
唯一の文通相手である帝の後宮に召されたとかだったら諦めがつくのに。

どうしてこのように目に見えても決して手の届かない処に帰ってしまわれたのですか?

私は冷たく寒々しい月から目を背け、その場に座り込んで気の済むまで泣いた。


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竹取物語の夫婦の後日談を現代ドラマ風に脚色してみました。

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