第1話 安堵の時

文字数 2,010文字

僕は生まれつきの心配性だ。その為、学校に上がると毎日が不安の連続になった。時間割通りの教科書が入れてあるか、体操着や図工の道具を忘れてはいないか。毎晩三十分はかけて準備をするのが習慣になる。そして僕にはそれが苦痛でたまらなかった。

また両親が共働きだったせいもあり、僕は自分で戸締まりをして出かける事が多かった。そうなると火の元は消したか、戸締まりはしたか、何回も何回も確認する。家を出た後も心配で仕方がない。ある時は塾の最寄駅まで行った後に、家まで引き返して調べた事すらあった。

そして僕の人生で究極の心配の種が生まれる。恋人が出来たのだ。本当に一日中おちつく暇がない。そろそろメールをしなきゃならないか、どんな内容にするのか、メールより電話の方がいいのか、もうそればかり考えている。彼女が他の男と親しげに話しているのを見る度に、あぁ、そいつの方が好きなのか、確認するべきかしないべきか。いやそんな事を聞いたら一発で振られてしまうか……。もう生きた心地がしない。

毎日が地獄のような心配の日々だったが、どうした間違いか交際は順調に進み、やがて目出度く結婚の運びとなった。しかしそれからが、さらに地獄に輪をかけたような生活となる。婚約中には、いつ婚約を解消されるのではないか、結婚式当日にドタキャンされるんじゃないか、成田離婚されるんじゃないか。

心配の種が尽きる事はなかった。

それでも何とか結婚生活が順調に進んでいったわけだが、新たな問題が持ち上がる。子供が出来ないのだ。それは僕のせいなのか。検査を受けて僕が原因だったらどうしよう。やはり妻は離婚を言い出すのだろうか。妻が言い出さなくても彼女の両親が言い出すかも知れないし、僕の両親が彼女のためを思って離婚を勧めるかも知れない。僕はもう生きた心地がしなかった。

意を決して二人で検査を受けた結果、原因は妻の方にあった。妻が僕のために別れようと言い出したのを僕は必死で説得した。もちろん彼女を愛していたからなのだが、別れたら別れたで心配な事もあった。彼女と別れたら僕は再び結婚できるだろうか、再婚するにしても今の妻よりいい人が現れるだろうか。それに周りの人は僕を責めないだろうか。子供のできない妻を捨てた冷血感だと。

しかし幸いな事に、僕の必死の訴えに妻は離婚を思いとどまってくれた。そしてこれは僕にとって非常にラッキーだった。僕は別に子供好きというわけではなかったので、夫婦二人の生活に不満はない。むしろ子供ができたら、またまた新たな心配の種ができるのは間違いない。男の子だったら家庭内暴力でぶん殴られないかとか、女の子だったら結婚相手が悪党だったらどうしようかとか……。

そして月日は流れ、僕にも定年退職の日が近づいてきた。目下の心配事は何といっても熟年離婚だ。定年の日が近づくにつれ、退職したその日に妻に離婚届けを付き付けられるのではないかと心配になる。そればかりではない。定年後の経済的な問題や健康の事、考えただけでも心配でたまらない。Xデーを前に僕は途方もなく追い込まれていった。そして迎えた定年退職の日……。


……僕は今、とある部屋にいる。狭い部屋だが誰と話す事もなく、気ままに好きな事をして過ごせるし、生活費も必要ない。

ここは死刑囚の入る独房。そう、僕は死刑囚となったのだ。心配で心配でたまらなくなった僕は、かねてから入念に計画していた事を実行した。愛してはいるが心配の種である妻の殺害、妻の両親や家族、そして僕の両親や兄弟の殺害だ。

警察に捕まるのではないかと、さぞや心配だったろうって? そんな事はない。だって最初から捕まるつもりだったんだからね。そもそも心配性の僕が、いつ捕まるんじゃないかっていう心配を、一生しなければならない選択をするわけがないじゃないか。

身内を大量に殺害し、また非常に計画性が高かった事から、僕はすぐに死刑判決を受けた。

でも妻の家族を殺害したから、彼らが妻の死を悲しむ心配はないし、僕の両親や兄弟も殺したから、殺人鬼の家族と罵られる心配もない。何も心配する事なく気ままに毎日を過ごしていける。死が怖くないかって? 全然。だって死ねば全ての心配から解放されるわけだから、僕にとっては幸せそのものさ。自殺するという手もあるにはあったけど、確実に死ねるかとても心配だったからね。

そして何ヶ月かの幸せな生活の後、僕の死刑は執行された。その時は、これで本当に心配事から解放されると思ったのだが、とんでもない誤算が生じる事になる。

極悪人の僕は地獄へと落とされ、そこで様々な責め苦を味わう羽目になったのだ。僕は来る日も来る日も、明日はどういう責め苦があるのだろうと心配をする。牛頭馬頭の言うには、僕の地獄での刑期は千五百年あるそうだ。あぁ、気が重くなる。しかしそんな中でも僕には別の心配事があった。

独房にあった水道の蛇口。あれ、ちゃんと閉めて出てきたかなぁ。
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