怪談 女郎蜘蛛
文字数 1,774文字
えー、江戸時代には、吉原という遊郭がありましてね。好みのタイプを見つけるってぇと足しげく通うわけですが。だが、「張見世」の遊女を買うのとは違い、お気に入りの花魁と一夜を共にするのは簡単ではなかった。「廓のしきたり」に従わなければならず、多額の費用が必要だった。その手順とおおよその費用は次のとおりだ。
・まず「引手茶屋」で花魁を指名。花魁が来るまで茶屋で宴会をし、花魁が迎えに来たら遊女屋へ行き、改めて花魁と対面。この時は花魁はまともに口をきいてくれない。客はひたすら花魁の機嫌を取り続けるだけだ。気に入られれば夫婦固めの盃をしてお開き。これを「初回」と言いまして。芸者代、宴会代などの遊興費は多額であり、花魁の揚げ代は一両二分(十五万円)、さらに遊女屋での宴会代、花魁のお供一行、遊女屋の主人、男衆や女中、やり手婆などの祝儀、幇間に芸者などの揚げ代に出す祝儀は十両~二十両(百万円~二百万円)が吹っ飛んだと言います。さらに引手茶屋での祝儀や宴会代も入れればもっと必要だった。
・二回目が「裏を返す」であり、初回と同様の費用が必要で、花魁との床入りはまだまだで、会話もおざなりだ。
・三回目でようやく「馴染み」になり、客は花魁から相方と認められ、客の名前を呼んだり、くだけた対応をしてくれるわけだが。ここで客は心付けに馴染み金として二両二分(三十万円)を手渡すのが礼儀とされる。また床入りの祝儀である「床花」を渡すことになり、客の気持次第になりますが、金額は五両から十両(五十万円~百万円)だったと言います。 勿論、「初回」「裏を返す」と同様に揚げ代、宴会代、祝儀が必要でしたが、三度目の大願成就であり、遊女屋ではそのつもりで準備し、最高のもてなしで最高の散財をさせたようですな。
えー、そこに、新珠という花魁がおりましてね。これがまた、浮世絵から抜け出たような、そりゃあ、目の覚めるような美人だ。客にも人気があったわけだが、ところがこの新珠には、刺青の噂がありましてね。ま、その刺青とやらを一目拝みたくて客足も絶えないわけですが。ところがこの新珠、隙を見せねぇ聡明な女でして。いまだかつて一人として新珠の刺青を見たもんはいねぇんですな。
そんな時だ。遊郭の馴染み客の一人に伊助という遊び人がおりまして。歳の頃は二十四、五。これがまた質の悪い男でして、毎日遊びほうけてるろくでもねぇ男だ。何がなんでも新珠の刺青が見てぇ伊助は、博打で儲けた金で、「廓のしきたり」に従って床入りまでこぎ着けた。そして、寝るめぇに酒を頼むと、気付かれねぇように新珠の盃に眠り薬を入れた。
やがて、生欠伸を始めた新珠は布団に横たわると背を向けた。暫くすると寝息が聞こえてきたんで、伊助はチャンスとばかりに、新珠の赤い長襦袢の衿をゆっくりと開きながら下ろした。
するってぇと、透き通るような白い肌に刺青が浮かび上がってきた。そこにあったのは、糸を張った巣の真ん中に身を置く、黄色と黒の縞模様をした実寸大の女郎蜘蛛だった。張った黄色い糸が、行灯の明かりで金色に輝いていた。その美しさに生唾を呑み込むと、
「見たでありんすね~?」
背を向けている新珠が突然喋った。
「ヒエッ」
びっくりした伊助は咄嗟に後ずさりした。
「クックック……」
新珠の不気味な笑い声がした途端、背中に彫られた蜘蛛が動いた。目の錯覚だろうとまばたき一つせず見つめていると、首を捻った蜘蛛が伊助に向かってきた。あまりの恐ろしさで声も出ず、目を見開いたまま壁にすり寄った。その瞬間、伊助を目掛けて腹から糸を吐いた。吐かれた糸は伊助の首に巻き付いた。
「うっ!……うう」
一瞬の出来事に伊助は目を見開いたまま身動きできなかった。じわじわと糸は首を締め付けていた。間もなく、壁にもたれ掛かっていた伊助はぐったりとして息絶えた。蜘蛛は新珠の背中に戻ると動きを止めた。
新珠は素早く身を起こすと、伊助の首から糸をほどき、急いで楼主を呼ぶと、伊助の後始末を頼んだ。売れっ子花魁のたっての頼みだ、楼主は大事にせず秘密裏に処分した。だが、まさか、伊助を殺ったのが蜘蛛の仕業だとは知る由もなかった。
皆様も、人様の秘密を暴いちゃいけませんぜ。蜘蛛だけに、「スパイだー!」なんて言われかねませんからね。
語り:秋風亭流暢(架空の落語家)
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