第1話

文字数 3,482文字

Excuse me, could you please take a picture of us?
40代にしては若々しい、けれど40代であろう東洋人は、奥さんらしきと娘らしき女性をつれていた。こんなにきれいな発音の英語を口にするアジア人とあったのは、はじめてな気がする。
 快諾し本殿を背に撮ろうとすると撮影する向きが逆だという。ちからない冬の日差しをさえぎる檜並木や苔むした石灯籠の先、鈍く光る巨大な鳥居を背景にしたいらしい。
「どこからきたんですか?」わりとフォーマルな英語できくと、シンガポールと答える。そういえば今年の春、その国のセントーサなるリゾート地に行ったというと、彼らの表情がさらにあかるくなった。しかし、12月も押し迫った寒い季節に、わざわざ日本に来なくてもいいのではないか。
Why are you interested in.....鳥居、が英訳できず、ゆびさす。華奢な奥さんに似ていないグラマラスな娘が答える、「赤いから」らしい。なぜか心が揺さぶられる赤なのだそうだ。逆にどうして神社の鳥居はその色なのか尋ねられる。
 中国大陸から伝わってきた工法だが、中国ではその昔、攻め手の戦意をそぐため城郭の門を戦で斃した敵の死体を積み上げて作っていた。わりと平和になると、その流れで、災いを避けるため、生贄の血を塗り、さらにのんびりした時代になると色だけ赤にした、と答える。
 3人の顔がやや神妙になり、ではなぜ鳥居をこんなに大きく作るのだ、と高さ20メートルはあろう鳥居を見すえる。
 城もお墓も仏像も、なにしろ日本人は構造物に権威づけのため大きくする、巨大な鳥居を建設するにはお金かかるが、この神社は社の背後に大勢の修験者が崇める山を奉っている。いにしえより全国津々浦々からの寄進があつまり、余裕はあったろう。余裕の象徴として毎年夏の終わりに「火祭り」なる行事がとりおこなわれる。同じような祭事は全国にあるが、掲げるたいまつの巨大さは他所類似行事を圧倒している。
 ご主人らしきが、その祭りについては知っているという。支配者の逆鱗に触れた人々が殺戮されること。それは血まつりだろ。

 神社駐車場をあとにし、ハイブリットな営業車を走らせる。鄙だからか、自然保護のためか、極端に道路の本数が少ない。平日だというのに、信号ごと数百メートルの渋滞が起こっている。20分近くスタッグした後、景色はひらけ、周辺で最も大きい湖の湖岸道路に行き着く。
 押し当てた半田ごてが中途半端な温度であるがゆえに、ススがこびりついてしまった鉛。そんな色の雲が垂れ込め、湖面を鈍く覆っている。
 営業所の若い営業マンからメールが入る。午前のクレーム案件で合流に遅れるという。
 年末の得意先挨拶。以前この地を担当していた本社幹部としてまわるだけまわる予定だったが、この季節、お客さんも、若手もいそがしい。くすぶっているのは冬空と中年幹部くらいだ。

 転職を思い立ったのが10年前。世は不景気真只中だったが、一念発起、中途採用で分煙機メーカーに就職した。学生時代しばらく住んでいたという理由で、この寒く、しかも内陸で降雪の華やかさもない地に赴任、東京の本社営業部に昇進するまでの5年間、分煙機を売りまくった。
 陰鬱な冬を除けば風光素晴らしい山脈と湖沼を有する日本が世界に誇るリゾート。その地で空気をキレイにする機械を販売する。冗談のような話だが、そもそもここはクリアな空気を求めてやってた人々が多く、この業界では屈指の需要地。水道管が破裂する寒さというのも、需要を後押ししていた。ヒトはニコチンタールを摂取するため、寒風にさらされたくないし、といって、やはり吸いたいものらしい。

 5年前、ナルミと来たことがある湖畔の喫茶店で時間をつぶすことにする。湖面を撫でるような、さざ波がよせる砂州につきだした2階建て。百葉箱のように白い塗装のころどころが、冬のからっ風によって品良くそがれている。未舗装の駐車スペースに駐車し、ハードにペーパークラフトされ光沢を帯びた丸太のノブを引くと、熊よけのベルが冬空に響いた。
 湖畔に向かう一面から広く採光がとりいれられた店内、その窓際に座る。ブレンドコーヒーを注文した直後、そういえばあの日、彼女はジンジャーエールを注文したことを思いだし、オーダーを変更する。
 学生時代、大学近くの書店でアルバイト仲間だったナルミ。彼女とは10年前、ちょうど転職でこの地に赴いた頃、遅ればせながら登録したSNSで再会した。近況を報告し合い、何度かやりとりをするようになり、せっかく仲良くなったのだから「そのうち会おうよ」といった時点で、彼女は結婚していることを告白した。
「だからなんだよ」出会ったころから一貫していたわけではないが、告白の時点で色めいた思いはなかった。ヒトの成長における多感な時期、同じ時間を共有した友人として、その後も社会に身をさらす大人同士として交流を深めた。

 最後に彼女と会った5年前も同じテーブルだったこと思い出す。たしか、その時はテーブルを挟んで反対側の席。彼女に向かって左の方向から、冬のささやかな西日がさしていた。
「結局、どんな集いというのも犠牲か奉仕を求める、それをむさぼって世のなかは動いているのよ」転勤を命ぜられた自分の境遇について彼女はコメントした。
 いちおう本社勤務なのだから栄転である情報を差し込むと、彼女は短く微笑んだ。
 卒業後もずっとこの地で暮らす彼女には違う月日だったのかも知れない。いずれにせよ「奴隷として生きるか生贄として死ぬか...」などといきりたつには、彼女にしても、人あしらいよく成熟していたし、境遇を嘆くには年若すぎた。

 わりとノリの効いた白いワイシャツのウエイトレスがテーブルにそれを置いた時点で思い出す。そういえばこの店のジンジャーエールはホットだった。ほくほくするようなショウガの香り。そういえばあの日のふたりもこのアロマにまかれていた。
 ふと、先ほどの熊よけベルがなり、ほんの2年前まではラグビー部員だった巨漢の後輩が入ってくる。こんなことでもなければ近づくこともないだろうシルバニアファミリー的にファンタジーな椅子に腰掛け遅くなったことを詫びた。
「ああいいんだ、それより大丈夫なのか、クレームの方は?」
「まあ、学校関係なんですけど、問題ないです、冬休みの当番でふてくされてるか暇だから、とりあえず呼んでみたって感じです、保守会社を行かせるまでもなく、ちょいと直しておきました」ちょいと済ませたわりには、この乾燥した空気には似つかわしくなく湿潤な額を拭っている。
 どうせ年末の挨拶なんて挨拶される方も時間通りに来ることなんて期待してないだろうからと落ち着いて何か口にするよう勧める。
「部長は何の飲まれてるんですか?」
「ああこれか...」これはやめた方がいいとアドバイスするが、珍しいので飲みたいとオーダーした。併せてスパゲッティーボロネーゼ、生姜とホワイトソースとサーモンとほうれん草とラザニアを注文する。
「生姜とホワイトソースと..」ラザニアなんて、味が複雑でおのおの素材の味がぼやけてしまうのではないかとも思ったが、カットされ白い皿にあしらわれた料理は、色合いも風味も真冬の昼さがりに食欲をそそるには十分すぎるくらいだった。
「ところで、まえから疑問に思っていたんですが、ラザニアとグラタンの違いってなんなんですかね」
「マカロニが入っているのがグラタンでトタン板みたいなパスタを使っているのがラザニアだろう」というと、ノリが効いたウエイトレス嬢が教えてくれた。
 両者とも、トマト、ミート、ホワイトソースを使って焼き上げるのだが、ラザニアはさまざまな食材とソースが何層も重なっている。
「あとラザニアはイタリア料理でグラタンはフランスのドーフィネ地方という場所が発祥なんですよ」生まれたての朝に溶け始めた雪のように広角をキリリとあげ、やさしく微笑んだ。

 会計を済ませ、店外にでると、曇り空に切れ間。その狭間で山の頂上が見え隠れしている。
「そういえば最近、この辺りも海外のお客さんが多いらしいですね」
「ああ、さっきいった神社にもいたよ、こんな場所にこんな季節になにしにくるんだろうな」
「なんでって、決まってるじゃないですか」
 全盛期の見るかげもない、ラガーマンがゆびさす先に深雪をいただいた山の頂。さらに先には、すべての湿り気を吸い上げ、堪えきれずいまにも白いフレークをふりまきそうな雪雲が厚く横たわっていた。
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