第1話

文字数 10,252文字

 郊外の住宅地は、中心街のような喧騒から遠く、静かでのどかな雰囲気に包まれている。
 鳥のさえずりや風のそよぎ、時折遠くから聞こえる車の音でさえ心地よく感じるのは、それだけ、のどかであることを意味していた。
 そんな道を、ランドセルを背負った一人の少年が歩いていた。
 ハーフパンツにチェック柄のシャツを着たその少年は、友達と分かれるとまっすぐ帰宅の途についていた。
 中くらいの身長で、髪は薄茶色だが染めている訳では無い。
 髪型はシンプルで程よく整え清潔感があるが、こだわりを持って特にセットしているという訳でもなく、ファッションにこだわるよりも、実用性を重視しているものを感じられる。
 目は丸く大きく、鼻筋も通っているが格好いいというよりは可愛らしい印象だ。
 その明るい雰囲気は性格を表しているのだろう。
 優しさを感じさせる表情と目元からは、人懐っこさが伝わってくる。
 名前を小日向(こひなた)優太(ゆうた)といった。
 小学5年生だ。
 優太は自宅が近づくと歩調を速めた。
 住宅は近年に見られる、小ぢんまりとした洋風建築で、二階建ての一軒家だった。
 玄関先で立ち止まり、ランドセルを開けて鍵を探そうとして、そんな必要は無いと思った。
 優太の家庭は、父子家庭だった。
 父親は医師で家を開けていることが多いため、優太はいつも一人だった。家に帰れば鍵を探して家に入り、誰も居ない家に向かって、ただいまを言って家に入るのだ。それが寂しいと思うこともあるが、仕方が無い事だと思うようにしていた。
 父親には感謝しているし、尊敬の念もある。
 しかし一人で居る時間が長すぎて、一人で居ることに慣れてしまっていた。
 寂しくない訳ではなかったが、それを口にして父親を困らせては申し訳ないという気持ちの方が大きかった。
 でも、もうそうではない。
 優太には、新しい家族がいるのだ。
 ドアノブに手をかけると、やはり鍵はかかっていなかった。
 家族が帰っていることの証明だ。
 優太は嬉しくなりながらドアを開ける。
「ただいま」
 優太は元気よく言った。
 玄関に上がり靴を揃えていたが、予想に反して何の返事もなかった。
 家の中は誰も居ないかのようにシンと静まり帰り、空気までも冷え切っているような気さえする。
 嫌な気配を感じた。
 

のことを思い出してしまう。
 少し不安になり、優太は、もう一度大きな声で呼びかけた。
「お母さん。お姉ちゃん居ないの?」
 ランドセルを下ろしながらリビングに行くが、誰もおらず台所に行くと、ブレザー姿の少女がテーブルに突っ伏していた。
「お、お姉ちゃん!?」
 優太が、姉の様子がおかしいことに気づき慌てて駆け寄る。姉の顔を見た瞬間、優太は霊視能力を持っていないが、彼女の口から魂が抜けかかっているのが見えた気がした。
「ゆ、優太なの。おけえり……」
 少女は、妙な日本語で言った。
 ほっそりとしたモデル体型で、髪が長く、肌の色は透き通るように白く、整った顔立ちをしている。
 長い睫毛に縁取られたおっとした目に、チークを入れたように頬にはわずかに赤みが差し、艶のある唇はぷっくりとしていた。
 まるで人形のように可愛らしいが、どこか儚げな雰囲気を漂わせている美少女だ。
 名前は小日向(こひなた)雛子(ひなこ)といった。
 彼女は高校生であり、優太の義姉だ。
 父の再婚に伴い、優太には義母と共に義姉ができたことで、二人は義理の姉弟になった。
「お姉ちゃん。どうしたの?」
 心配そうな顔をする優太に対し、雛子は力なく笑った。
 そしてテーブルの上に置いてある一枚の紙を指し示す。
 それは母からの書き置きだ。

 仕事の都合で、急な出張に行ってきます。
 明日の夕方くらいまでには帰る予定です。
 お風呂に入って、早く寝ること。
 でも、宿題は忘れずにやってくださいね。
 それでは行ってきます。
 母より

 優太は母の置き手紙を読み終えると、雛子が嘆くのを見た。
「どうしよう。いつもお母さんが、ご飯作ってくれてたから何にも無いの」
 雛子の言う通り、冷蔵庫の中を見るが出来合いのものは何も無かった。
 突然の出張だけに、料理を作る余裕が無かったのだろう。
 優太は考える。
 父も今日は遅くなると言っていた。
 今、家にいるのは自分と姉の二人だけだ。
 母から聞いていたが、雛子は母子家庭ではあるが娘が学業に集中できるよう家事や料理については、全て義母がやってくれていたらしい。
 そのお陰で成績優秀で、スポーツ万能、才色兼備で欠点らしい欠点が無く、校内では高嶺の花と言われていた。授業態度も真面目だと担任教師からも褒められているそうだ。
 そんな優秀な姉が、今はこの有様である。
 聞けば家事や料理にセンスが無いらしい。
 料理本を見ながら料理をしても10ページくらい飛ばして、別の料理に入っているにも関わらず、そのまま進めてしまうくらいのドジッ娘なのだ。
 お湯を入れれば出来上がるカップ麺ですら、ぬるま湯を入れたり、中のスープやかやくが入った袋に気づかなかったりするほど不器用でもある。
 そのため、食事は出来合いの弁当や出前という選択肢しか存在しないという。
(お母さんから聞いた時は、まさかと思ったけど……)
 優太は改めて、姉の不器用さを思い知った。
 いや、それよりもまずは夕食をどうするかだ。
「優太、明日の夕方までコンビニのお弁当にしようか?」
 悲しげな表情で聞いてくる雛子に、優太は慌てて答えた。
 確かにそれもありだが、全食をコンビニ弁当で済ますことは、栄養のバランス的によろしくない。
「ダメだよ。コンビニ弁当は、肉や炭水化物に偏ってて、野菜や果物が不足していることが多いんだ。それに食品添加物が大量に使用されているから、あまり体に良くないよ」
 小学生とは思えない発言だったが、雛子は素直に感心するだけだった。
「じゃあ。どうするの?」
 不安そうに言う雛子に対して、優太は自信を持って胸を叩いた。
「僕が作るよ」
 その言葉に雛子は驚き、同時に歓喜した。
「え!? 優太ご飯作れるの?」
 目を輝かせる彼女に、優太は少し照れながら答える。
「僕は、お父さんと二人暮らしだったから、それなりにできるよ」
 そう言って優太は、早速台所に向かった。
 炊飯器を見て、ご飯が炊かれていないことを確認すると米びつから米を出し、手早く研いでいく。
「優太。上手ね」
 雛子は優太の隣に立ち手元を覗き込んでいた。
「えっと。これを使った方がキレイに洗えないかな?」
 優太が白くなった濁り汁を流していると、雛子は台所用洗剤を手にしていた。
「お、お姉ちゃん。洗剤でお米を洗っちゃダメだよぉ!」
 思わず叫ぶ優太に対し、雛子は不思議そうな顔をした。
「そうなの?」
 どうやら冗談ではないらしく、本気でやっていたようだ。
 天然ボケなのか? それとも本気なのか? どっちにしても心臓に悪いと思いながら、お米を研ぎ終えた優太はタオルで手を拭くと、炊飯器を仕掛け財布とエコバックを手にする。
「ご飯を炊いている間に買い物に行こうよ」
 そう言うと雛子は嬉しそうな顔で頷いた。
「うん。いくいく♪」
 こうして二人は近くのスーパーへ買い出しに行った。
 二人は道を歩きながら、これからの予定について話し合った。
 夕飯は何を作るのか? 何を買うのか? など、色々と決めることがあるのだ。
 いや、その前にお店を決めなければならない。
「キャッスルにしようか。品揃え、お城級だし」
 そう提案する優太に対し、雛子は大きく頷くと言った。とても嬉しそうに、まるで子供のような無邪気な笑顔だった。
 その表情はとても可愛く、そして綺麗だった。
 一瞬見惚れてしまった自分を誤魔化すように、優太は言った。
「あ、でも、材料費がかかるから節約のためにも、できるだけ安いものにしよう」
 しかし雛子は首を傾げるだけで理解していないようだった。
 そこで優太は自分の考えを説明することにした。
 つまり食材を買って自分たちで作れば、安く済むということだ。
「いいね。賛成だよ」
 雛子は笑顔で同意した。
 スーパー・キャッスルに着いた二人は、様々な商品を手に取って吟味しながら相談する。献立を考えるために、店内の放送を聞きながら今日の特売品をチェックする。
「ねえ、お姉ちゃんは……」
 優太は傍らに居た雛子に話しかけると、そこには居なかった。突然消えた姉の行方を探して慌てていると、お菓子売り場の方に消えていくのが見えた。
 優太は急いで追いかけると、雛子は動物ビスケットを手に取っているところだった。
 雛子の手の上には、沢山の動物イラストが描かれたパッケージのビスケットがある。それは昔からあるロングセラーの定番商品であり、今でも人気の高いおやつの一つだ。
「ねえ。これ買っちゃダメ?」
 雛子が悲しそうな顔で聞いてきたため、優太は思わず頷いてしまった。
「ご飯の材料を買いに来たんだけど……。まあ、いっか」
 優太は苦笑するしかなかった。
 結局、他の食材と合わせて購入することになったが、それでも予算内に収まったので良しとしようと思うのだった。
「食パンと牛乳は朝食にするとして、僕は給食があるから良いけど、お姉ちゃんのお弁当用に《家計の優等生》の卵焼きを作ってみようかな」
 優太が呟いて雛子に話しかけようとすると、彼女は優しそうな女性店員が焼いているウインナーの試食を口にした。
 雛子は目をぱっちりさせて、驚いている様子だったがすぐに満面の笑みで感想を言う。
「美味しい。優太、このウインナー凄く美味しいよ」
 彼女の反応を見た店員が、今度は優太にもウインナーを勧めてきた。
 状況的に断るわけにもいかず、仕方なく優太も一口食べてみると、口の中にジューシーな肉の旨味が広がり、今まで食べたことのない美味しさだった。
 そうなると状況的に断りづらくなり、少々お高めのウインナーを買い物カゴに入れざるを得なかった。
(予算が……)
 優太は少し悲しくなったが、仕方がないと諦めることにする。
 弟の気苦労を知らない姉は、再びどこかへ行こうとする。
 優太は慌てて引き止める。
 目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう。姉ではなく、年上の妹ができたような気持ちだった。
「ダメだよ、お姉ちゃん、これ以上予定外の出費をしたら、お金が無くなっちゃうよ」
 その言葉に雛子は、理解していないような表情をしていた。
(本当に大丈夫かなぁ)
 優太は再び不安になるのだった。
 優太の当初の予定では鶏肉を使った唐揚げを考えていたが、店内放送を聞いていて心変わりをしていた。
「お姉ちゃん。ブラックタイガーを食べない?」
 その単語を聞いた瞬間、雛子は驚く。
「ええ!? 優太何を言ってるの。私、そんな怖いのヤダよ!?」
 その反応を見た優太は、意味が分からなかった。
「……お姉ちゃんこそ、何言ってるの?」
 不思議そうな表情を浮かべる優太に、今度は雛子が説明した。
「だってブッラクタイガーよ。そんな仮面ライダーの怪人みたいなの怖くて食べられないよ」
 雛子は少し涙目で怖がった。
 それを聞いてようやく理解できた優太は納得したが、その表情には呆れの色が浮かんでいた。いくら何でも、そんなことあるはずがないと思ったからだ。
「……お姉ちゃん。実際に見せてあげるから僕についてきて」
 そう言って雛子を案内したのは魚介コーナーだ。
「優太。ここ精肉じゃなくて、魚の棚よ? どうしてこんなところに連れてきたの?」
 不思議そうに尋ねる雛子に、優太は平然と答える。
 確かに、そこは魚介コーナーで、精肉売り場ではなかった。
 しかし、ここに来なければならない理由があるのだ。
 優太はエビのパックをてにすると、雛子に見せた。
「はい。これがブッラクタイガーだよ」
 それを見た雛子の表情が固まった。
 次の瞬間、彼女は叫んだ。
 それも当然だろう。何しろ目の前に現れたのはエビだったのだから。
 全長18cmほどの黒い縞模様のあるエビが5匹入っているパックだ。パックの端には値段と商品名が書いてある。
「え!? ブラックタイガーってエビの名前だったの?」
 驚いた様子の雛子に、優太は頷いた。
 
【ウシエビ】
 学名 Penaeus monodon。
 十脚目クルマエビ科に属するエビの一種。インド太平洋の熱帯・亜熱帯域に広く分布する大型のエビ。成体の体長は30cmほどで、クルマエビ科でも最大の部類に入る。最大で体長36cm・体重600gという記録もある。
 食用として世界各地で利用されており、体色は全体的に灰褐色で、不明瞭な黒い縞模様があることから、ブラックタイガーという別名でよく知られている。
 日本では、浜名湖などに生息しており、漁獲量は少ないが産地周辺では刺身として消費されている。

「今日の晩ごはんは、エビフライにするね」
 優太はブラックタイガーのパックをカゴに入れる。
「優太。惣菜コーナーにエビフライがあるけど、私そっちのでもいいよ」
 雛子は料理の手間を考えて口にするが、優太は首を横に振った。
「大丈夫。任せて、お姉ちゃんには出来たての特性エビフライを食べさせてあげるね」
 自信満々な態度を見せる弟に、雛子は驚きながらも嬉しくなった。
(そっか……)
 改めて思う。この子は本当に優しい子だと。
 2人は買い物を済ませると家に帰った。

 ◆

(ちょっと予算オーバーしちゃったけど。……まあいいか)
 そう思いながらも優太の表情は明るいものだった。
 何故なら、今日は久しぶりに料理を作るのだから。
 優太は三角巾とエプロンを装着する。
 エプロンは服を汚さない為、三角巾は衛生面を考慮してのことだ。服装を整えると気持ちも引き締まるような気がするし、何よりやる気が出るものだ。
「よし!」
 優太は気合いを入れた。
 食卓には、自分の居場所が定まらないままの雛子の姿があった。
「優太。本当に大丈夫?  私も手伝うよ?」
 雛子は心配そうに声をかけと、優太は嬉しそうにする。
「じゃあ、制服が汚れちゃいけないから、お姉ちゃんもエプロンつけて一緒に作ろうよ」
 優太の提案に対して、雛子は笑んだ。
 雛子は、慣れないエプロンと三角巾をするのを優太に手伝ってもらう。初めての体験だが、とても楽しそうだ。
 そんな楽しそうな姉を見ていると、優太まで楽しくなってきた。
 二人で並んでキッチンに立つと、さっそく調理を開始した。
「じゃあ。お姉ちゃんは、炊飯器を開けて内蓋に付いている水滴を布巾(ふきん)拭き取って。それから、ご飯を、しゃもじを使って底からほぐして」
 優太に布巾(ふきん)を手渡された雛子は、意味が分からなかった。彼女は、今まで料理をした経験が皆無なのだ。当然、料理の技術や知識もないので、作業の理由も分からないのは当然である。
 だが、それでも頑張って見ようと思うのだった。
 雛子は言われた通りにやってみることにした。
 出かける前に仕掛けていた炊飯器が保温になっているのを確認すると、蓋を空ける。甘味を伴う蒸気とともにご飯の香りが広がる。
 中には、ふっくらとした白米があった。
 その出来栄えを見て優太は満足すると同時に、雛子が布巾(ふきん)で蓋の裏に付着した水滴を拭き取り、しゃもじを使ってご飯をほぐすのを見ていた。
「優太。これって、どういう意味があるの?」
 雛子は訊く。
「蓋の裏にある水滴をそのままにしていると、炊けたご飯に落ちちゃったりするんだ。そうなると、その部分だけ水っぽい炊きあがりになっちゃう。それと、お米の表面に余分な水分がついてるから、ほぐさないで放置すると、表面に残った水分がご飯をふやかして、ご飯粒同士がくっついて、かたまって食感が悪くなるんだ。
 こうして、ほぐすと余分な水分が飛んで、ご飯に艶が出て食感も良くなるんだって」
 雛子は感心しながら、ご飯を底から持ち上げるようにしてほぐした。
 その間に優太は、揚げ物用のフライパンに油を注いでIHヒーターのスイッチをONにした。
 油をゆっくり温めている間に、エビの下処理をするのだ。
 優太は、エビの背に楊枝を突き刺すと、筋のようなものを取り出していく。
「何を取ってるの?」
 手際良く作業をしている優太に訊く。
「背ワタ。つまり腸だよ。残ったままだと、生臭さの原因や砂のような食感の原因になるんだ。ちょっと手間だけど取った方が断然おいしいよ」
 そう言って優太は、次々とエビの背ワタを取り除き、ボウルに入れていく。
「優太。やったことないけど、私もやってみる」
 そう言って雛子も作業に参加する。
 2人で協力して背ワタを取り、エビの殻を取り除く。
 優太はエビの下ごしらえをしながら、やっぱり二人の方が効率が良いし楽しいと思った。
 エビの腹を包丁で数カ所切って丸まらないようにすると、エビをさっと水洗いをし下味をつける為に塩コショウを振り下処理を終える。
「じゃあ、お姉ちゃんはボウルを3個出して、小麦粉、卵、パン粉をそれぞれに出して用意してて」
 優太の指示に従い、雛子はボウルを並べ適量の材料を入れる。エビフライを作ったことのない彼女だったが、これがエビフライの衣になることは分かった。
 その隣で、優太は、はんぺんを包丁で適当に切ると、酒、みりん、タルタルソースを加え泡立て器を使って潰していた。
「それ何? 付け合せの料理?」
 尋ねる雛子に、優太はイタズラ心を持ったように答えた。
 この少年はこういう表情もできるのかと少し驚いたが、それ以上に楽しそうなその表情に惹かれた。
「え、なになに?」
 興味津々といった様子で覗き込む彼女に、優太は言った。
「できてのお楽しみだよ」
 優太は、はんぺんを潰し終えると、潰したはんぺんでエビの身を包んで柔らかく握る。
「そっか。そのはんぺんは、衣になるのね」
 雛子は納得した。
「そういうこと」
 そして、2人は出来上がったものをバットに並べ、次の工程へと移った。
 小麦粉、卵、パン粉の順に衣を付けたエビを高温になった油に入れるのだ。
 パチパチという音がキッチンに響く。
「エビが揚がるのを僕が見てるから、お姉ちゃんは、レタスを千切ってプチトマトを添えてサラダを作ってくれるかな」
「分かったわ」
 雛子は頷くと、冷蔵庫からレタスを取り出して適量を皿の上に乗せ、プチトマトを添える。
 優太は菜箸(さいばし)を使って器用に油の中でエビを泳がせ揚げる。
 きつね色になった所で、一匹を取り出すとキッチンペーパーを広げた油切りバットの上に出した。
 それは、魚のように太ったエビフライだった。
「おっきい!」
 思わず感嘆の声を漏らす雛子。
 そんな姉の姿に微笑みながら、優太は言う。
「かさ増しエビフライだよ。大きなエビは高いから、衣でかさ増しをしているけど衣にも味付けしてあるから、そのまま食べてもおいしいよ」
「早く食べようよ」
 雛子は待ちきれない様子だ。
 そんな無邪気な姉の姿に微笑みつつ、優太はエビフライを取り出していった。
 エプロンと三角巾を取り二人が食卓につくと、テーブルの上には、ご飯と味噌汁、福神漬け、プチトマトを添えたレタスのサラダと大きなエビフライが並んでいた。
 味噌汁は、インスタントだが、ネギを刻み、乾燥ワカメを入れて具をたっぷり入れ、インスタントの欠点を補った。
 和食の基本である一汁三菜を意識した作りだ。
「あったかい内に食べよう」
 優太の呼びかけに、雛子は一も二もなく頷いた。
「「いただきます」」
 二人は声を揃えて手を合わせると言うと、早速食べ始める。
 まず雛子は、ご飯を口に運ぶと、甘みのあるふっくらとした食感に感動した。
(おいしい!)
 炊飯器の水滴を取ったり、ご飯をほぐしたりしたことは初めてだが、いつもと違うことは新鮮であり楽しかった。何より、弟という家族と二人で作ったという事実が彼女を高揚させた。
 次は、かさ増しエビフライに手を伸ばすことにした。
 雛子は、おいしいものは後に取っておかない主義だ。
 出来合いのエビフライでは、こんなにもボリュームはない。ましてや、ここまで大きいものは見たことがない。
 それに、この大きさなら、お腹いっぱい食べられそうだ。
 そう思うとワクワクしてくる。
 雛子は大きく口をあけると、エビフライを口に運んだ。
 サクッとした歯触りの後、香ばしい香りが広がる。その後に、プリっとした海老の身が口の中に広がる。
 衣は少し冷めていたが、中のエビは熱いままだった。
(あちちっ)
 熱々のそれに苦戦しながらも何とか咀嚼(そしゃく)する。
 すると口の中にプリッとした歯応えが口の中で弾ける。
 エビ本来の旨味である甘みに、タルタルソースのコクが広がる。小麦粉と卵だけでかさ増したのではない、味付きはんぺんによる衣の味わいは、素朴で優しい味をしていた。
 やや蛋白な味わいだが、エビの味を阻害しない絶妙なバランスであった。
 エビ本来の旨味を邪魔せず引き立てる味は、まるで一流シェフが作ったかのようだ。
(こんなに、おいしいもの初めて食べたかも……)
 雛子は、夢中になって食べ進めていった。
 彼女が食べる姿を微笑ましそうに見ていた優太は声をかけた。
「おいしい? お姉ちゃん」
 雛子は頷くことで答えた。
「凄く、おいしい。お母さんの、ご飯もおいしいけど、優太のご飯も凄くおいしい」
 雛子の言葉に満足したのか、優太は言った。
「僕も、お姉ちゃんと一緒にご飯が食べられて嬉しいよ……」
 優太の言葉に反して、彼の表情は悲哀があった。まるで雨が降り出しそうな曇天のような顔だ。
「……優太。どうしたの?」
 弟の表情の変化に気付いた雛子は、心配そうに声をかける。
 すると、優太は悲しそうな表情をしながらも、微笑んだ。
「今日、帰って来た時、

が居なくなった時みたいに家の中が似てた。家の空気が冷たくてひんやりとしていて、僕一人しかいないんじゃないかって思ったんだ……。そんな家で僕は一人、ご飯を作って一人で食べて、お父さんの帰りを待ってた」
 その言葉に雛子も胸が締め付けられるような思いになった。
 以前聞いた、優太の母親が事故で亡くなってしまった話を思い出したからだ。彼はずっと一人で寂しさに耐えていたのだろうか……。そう考えると、雛子の心は苦しくなった。
 そんな姉の気持ちを察してか、優太は言う。
 その声は先程より明るかった。
「でもね。今は、お父さんが再婚して、お母さんだけじゃなくって、お姉ちゃんができたんだ。だから、寂しくないんだよ」
 そう言う彼の表情には笑顔が戻っていた。
 そんな彼の言葉を聞き、雛子は安心したと同時に嬉しかった。
 自分の弟になった少年が孤独を感じていないということに対して、喜びを感じたのだ。
「私の方こそ、こんな可愛い弟が出来て幸せだよ!」
 雛子は笑った。
 雛子につられて優太も笑うのだった。
 そんなやり取りをしながら、二人は夕食を食べる。
 家族になったばかりの二人は、まだまだお互いのことを知らないことだらけだが、それでも二人の距離は確実に縮まっていたのだ。
 優太が食べ終える前に、雛子は食べ終わっていた。
 その表情は、おいしいものを食べて満足しているハズだが、どこか物足りなさに苦しんでいるようにも見える表情だった。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
 優太の問に、雛子のお腹がぐう~と鳴った。
 食べ終わったばかりなのにだ。
 食事中、雛子はご飯を二杯もおかわりをしていた。
 足らないハズはない。
 雛子は、顔を真っ赤に染めながら、言い訳をするように言った。
「ごめん。実は、私食いしん坊で……。普通の食事量だと、お腹空いてしまって……。お母さんには、小食に慣れなさいって言われるんだけど、なかなかできなくて。……それに優太のご飯は、凄くおいしいからもっと食べたいの」
 恥ずかしそうに雛子は俯く。
 優太は、痩せの大食いという言葉を知っていたが、まさかこんな美少女が大食漢だったとは驚きだった。

【痩せの大食い】
 痩せているのに大食であること。
 これには脂肪が関係している。
 一般的に『脂肪』というと皮下脂肪等の白色脂肪細胞のこと指す。
 実は脂肪には、もう一つ種類があり、それを褐色脂肪細胞と言う。
 この褐色脂肪細胞、名前のとおり茶色っぽい色をしており、更に分布している場所が心臓周辺(主に背中側)・腋窩(えきか)・腎臓周辺と限定される。
 白色脂肪細胞は養分の貯蔵をするが、褐色脂肪細胞というのは全くその逆で、栄養分を分解して熱にするという働きがある。
 『痩せの大食い』と言われる人間は、褐色脂肪細胞の働きが活発なためにいくら食べても、そのほとんどが熱に()わってしまうので、体に脂肪が付かない。
 つまり、太らない体質となっている。

(こんなに華奢な身体でどこに収まっているんだろう?)
 優太は思わず、そんなことを思ってしまう程であり、スーパーでお菓子やウインナーの件を思い出す。
 あれは、そういうことだったのだ。
 だが、それは優太にとって嬉しいことだった。
「お父さんの分のエビフライを残してたけど、冷めるとおいしくなくなっちゃうから、お姉ちゃん食べていいよ」
 その言葉を聞いた瞬間、雛子の表情がぱあっと明るくなる。
 そして彼女は、新たに盛り付けされたエビフライを手に取ると、次々と平らげていく。
「う~ん、おいしい!」
 雛子の顔は幸せそうにとろけていた。
 そんな彼女に微笑みながら、優太は思った。
 この笑顔を守りたいと。
(僕が、お姉ちゃんを満足させてみせる!)
 その決意と共に、優太は明日の朝食のメニューを考え始めていた。
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