第4話

文字数 10,180文字

 そして次の土曜日。ライラの情報によると、ヴィリィ・カンパニーのクルーズ船は毎回昼頃にディーネに停泊するのだという。
「でも、明るいうちは見つかりやすいわ。日が沈むころが出港時間だから、ギリギリ直前のタイミングをねらえば、少しは暗闇と人ごみに身を隠せるかも」
 なるほど、いいアイデアだとパックもライラの提案にうなずき、二匹は夕暮れどきを待ってディーネ港で待ち合わせすることにした。
「ごめんなさい、遅くなって」
 息をはずませてパックの前にあらわれたライラは、パックの姿を見て首をかしげた。
「どうしたんだい? ヘンな顔して」
「あなた、こないだ会ったときよりもますますふっくらしたみたい」
「へへ、この一週間家に帰らずにずっと海岸や港のへんウロウロしてたら、漁師のオッサンたちがいっぱい魚くれてよ。つい……」
「なによ、緊張感がないわね。デブって動けなくなったら、すぐに捕まえられちゃうのよ。ほら、あそこ見て」
 ライラは停泊している船に目をむけた。小さな白い船、おもちゃみたいにカラフルな色をした遊覧船、とっても古い漁船などたくさんの船が停まっているなか、ひときわ目をひいたのが、黒い船体に一面、赤いユリの花の模様が鮮やかに描かれたクルーズ船だ。まるでホテルのように洗練された外観で、三百人から五百人は余裕でくつろげそうだ。そして、その船の近くでは、たくさんのガードマンがギラギラと厳しい目を光らせている。
「でっけぇ! あれがヴィリィ・カンパニーの船かい?」
「そう。招待状を持っていないと絶対に入ることができないの」
 ライラの言うとおり、船の入場口では豪華なドレスや立派なタキシードに身を包んだいかにもVIPといったお客たちが、ガードマンの前で招待状を広げてはバタバタとなかへ入って行く。
「うーん、あのガードマンたちの目をどうやってごまかそうかな」
 パックが悩んでいると、突然言い争うような声が飛んできた。
「だーかーら! どうしてあたしたちが入っちゃダメなんですかぁ? 入場料ならいくらでも払うって言ってるでしょ?」
「ですから、何度もお伝えしたとおり、招待状をお持ちでないかたのご入場はかたくお断りしております」
「じゃああたしたちにも招待状送ってよ。セレブばっかりに配るなんて不公平!」
 そう怒鳴ってガードマンにつかみかかっている女の子たちを見て、パックはハッとした。あの赤やピンクの花飾りがついたキラキラした頭に、青い人魚のロゴマークがついたTシャツ姿は!
「ジーンのファンの子たち! こんなところにも来てたんだ」
 しつこくガードマンにからむファンたちを引き離そうと、他のガードマンたちが加勢にあらわれた。
「しめた、このスキに入っちゃおうぜ!」
 パックはライラといっしょに船の入り口ゲートにむかってかけ出した。入ってすぐのところにある階段をかけ上ると、洋服や貴金属などのショップが建ち並ぶ、ショッピングモールのような広いフロアに出た。さっきまで優雅に買い物をしていたセレブの招待客たちは、パックたちの姿を見てたちまちざわつき出した。騒ぎに気づいた船内のガードマンが急いでパックたちを追いかけてくる。
「まずいぜライラ」
「店のなかにまぎれこみましょ。そしたら少しはヤツらの目から逃れられるわ」
 仕立てのよいスーツ、豪華な毛皮のコート。次から次へとなぎ倒し、琥珀色のティーセットを割り、絹のスカーフを引き裂き、赤いエナメルのハンドバッグを踏みつけ、金のネックレス、銀の指輪、ルビーにダイヤモンド、みんなじゃらじゃらゴロゴロと床にぶちまけて二匹は必死にガードマンの手から逃げまくる。
「ばあちゃん、ちょっとごめんよ」
 パックは、近くにいた老婦人のドレスのなかにスポッともぐりこんだ。
「キャーッ、ケダモノーッ!」
 老婦人は鋭い叫び声をあげると、そのままクラクラとその場に倒れこんだ。パックはあわててスカートを飛び出し、ライラとさらに走り続ける。
「そろそろガードマンのヤツらあきらめたかな……」
 パックがちょっぴり気をゆるめたそのとき、通路の角にひそんでいたガードマンがにゅっとパックに両手を伸ばした。
 しまった! パックの背筋がゾクッと凍りつく。しかし、ライラがガードマンの足元に近づき、たくみに気をそらせた。
「ほら、こっちよこっち。くやしかったら捕まえてごらんなさい」
「くそっ、もう一匹いたか! 逃がさんぞ」
 ワンワンと吠えながら素早く逃げるライラを、ガードマンは血まなこで追いかけて行く。
「ライラ、ライラーっ!」
 パックが大声で呼びかけると、ライラは一瞬だけパックのほうをふりむき、
「大丈夫よ」
 と、笑ってみせた。そして、どんどんパックから遠ざかって行き、その姿はやがて見えなくなった。
「ライラ……」
 パックがライラの走り去った方向を心配そうに見つめていると、ガッコン! と大きな音とともに地面がグラグラッと揺れはじめた。
「ははぁ、船が出発したんだな」
 もうしばらくの間ディーネには戻れない、それにライラもいない――一匹残されたパックの胸に、なんだかじわじわと不安がこみあげてくる。だが、このままビクビクしてるヒマはない。
「フレッドめ。ガチガチに緊張してるとこ、ぜってーに笑い飛ばしてやっからな!」
 パックはキッと顔を上げ、気持ちを強引に奮い立たせるとフレッドを探しに出かけた。
 ガードマンに気づかれぬよう、ネコお得意の忍び足でコソコソコソッと大移動。耳をそばだて、目をキョロキョロ。警戒も万全にして、少しずつ慎重に進む。
「あんまり用心するのもつかれるぜ」
 パックは、ふーっと大きな息を吐いた。潜入活動には大きなストレスがともなう。けれども、こうやって油断したときにかぎってやって来るのがピンチという名のイヤなヤツ。通路のすみっこで休んでいたパックの目の前に、突然ガードマンがヌッと通りかかった。
 わっ、やばい! パックは思わずボールのようにキュッと丸まった。しかし、ガードマンはパックよりも自分の胸ポケットのほうに目をやっており、そこから一枚のIDカードを取り出すと、すぐ近くにあった『オープンデッキ出入り口・関係者以外立ち入り禁止』と書かれたドアに差しこみ、なかに入って行った。
「あぁもう、ビックリさせんなよなー」
 悪態をつきながら、パックはダッシュでその場から離れた。
 二階から三階に上がる階段の近くに貼られたフロアガイドによると、三階はレストラン、四階はパーティーホール。そして、五階と六階が船客が泊まるためのキャビンらしい。パックは四階を目指して、ぴょこぴょこと階段を上っていった。けれども、最近の大食いがたたったのか三階まで上った時点で息切れしはじめ、やっと四階まで上ったときにはすっかりバテバテになっていた。なかなかライラのようにはうまくいかない。
 パックは、階段のはじっこで大きなクッションのようにだらしなくへたばった。くたびれたせいで、どうしようもない眠気がパックに襲いかかってくる。
「ちくしょう、ちくしょう……」
 パックは、太い手足をちょこちょこと動かしながら必死に眠気と戦う。しばらくそうしていると、カツ、カツと階段を上ってくる音が聞こえてきた。
 やべっ、またガードマンかも。パックはガバッと飛び起きると、あわてて近くの部屋に逃げこんだ。
 そこは結婚式場のような広い部屋で、立派な身なりをしたたくさんの乗客たちが、テーブルを囲んでおしゃべりを楽しんでいた。部屋の奥にはピアノと小さなステージが設けられている。
「もしかして、ここでフレッドたちがコンサートやんのかな?」
 パックは乗客たちに気づかれないよう、もそもそと部屋の隅まで進んでいった。
「ああやだ、じれったいわねぇ。早く始めてくれないかしら!」
 席に座っていた女性客が、いらいらしたように叫んだ。
「大きな楽しみは最後までとっておくものだよ。それまで、まずはおとなしく音楽でも聞いていようじゃないか。そろそろ時間のはずだ」
 女性客の夫がなだめようとすると、女性客はウンザリとした表情を浮かべた。
「もう、毎回毎回つまらない演奏で時間かせぎして。これでいいものがそろってなかったら承知しないんだから!」
 変だな、ここにいる客たちはコンサートを観に来たんじゃないのか? だったらどうしてみんなここに集まってるんだろう。
 パックのしっぽが、奇妙な雰囲気に反応するかのようにピリピリとふるえた。
「やだ、ネコ!」
 パックに気づいた乗客が声をあげた。
「こいつめ、どっから逃げ出してきたんだ!」
 一難去って、また一難。今度は乗客たちがパックを捕まえようとズンズン迫ってきた。
 パックは乗客の足のあいだを抜け、テーブルにジャンプしようとしたがうまくいかず、かわりにテーブルクロスがパックの頭にかぶさってきた。テーブルクロスをかぶったまま、わたわたと部屋の外にむかって走って行くと、パックの身体は突然風に運ばれるようにふわっと宙に浮いた。
「わわっ、どうしたってんだ! おろしてくれよう」
 パックが必死に手足をばたつかせると、めくれあがったテーブルクロスのすき間から、見覚えのある顔がのぞいた。
「やっぱりパックだ! 今までどこ行ってたんだよ、探してたんだぞ。でも、まさかこんなところで会えるなんて」
「フレッド! な、なんだよ、元気そうじゃねぇか。おいら今忙しいんだ、じゃあな」
 パックがフレッドの腕から逃げようとすると、フレッドはパックの身体を強くつかんで引き止めた。
「パック、レオナとジーンを見なかったか?」
「あのふたりがどうかしたのかい」
「ここだと人目につく。むこうで話そう」
 フレッドは、パックを控え室まで連れて行った。
「実は、ふたりがいなくなったんだ」
 控え室に入ってすぐ、フレッドはそう言った。
「なんだって?」
「ぼくとレオナは昼すぎからここでコンサートの準備をしてたんだけど、全体リハーサルの時間になってもジーンがやって来なくって。それで、レオナがあいつをとっ捕まえてやるって出て行ったんだけど、それっきり戻って来ないんだ。さっきまでいろんなフロアを探しまわったけど結局見つからなくて、またこのフロアに戻ってきたら、きみらしいネコがパーティーホールに飛びこんでいくのを見かけたんだ」
「おいらもふたりの姿は見かけなかったけど。でも変だな、ふたりともプレッシャーに負けてドタキャンするようなタイプでもねぇのに」
「ガードマンの人たちも知らないっていうし、船内放送で呼び出してもなんの音沙汰もないんだ。もしかして、あやまって海に落ちたりとか……。どうしよう、やっぱりきみの言ったとおり、このコンサートには参加すべきじゃなかったのかな」
 深く落ちこむフレッドの言葉が、パックの心にズーンと重く響いた。さっきまで、困っているところをざまーみろと大笑いしてやろうと思っていたのに。もはやそんな気持ちはとっくにどこかに消えていた。
「落ち着けよ、フレッド。あのキザ野郎はともかく、レオナのことはおいらも気にかかる。けど、ひとまずおめぇはこのままコンサートに出ろ。もうすぐ出番なんだろ? せっかくの大舞台だ、船じゅうにとびきりの演奏、響かせてやろうぜ!」
「で、でもこんな状況で――」
 動揺するフレッドに、パックはニヤリと笑いかけた。
「大丈夫! おいらに考えがあるんだ」

 パーティーホールには、先ほどにも増して多くの乗客が集まっていた。
「うわっ、すごい人だ」
 外からこっそり様子をのぞいたフレッドは、動揺してすぐにドアを閉じた。
「心配すんなよ。いつもと同じどおりやればいいんだ。さあ、行こうぜ!」
 フレッドの背中を押し、パックはいよいよパーティーホールへ乗りこんだ。
 パックの姿を見た乗客たちは、さっき乱入してきたノラネコだ、なんでこんな場所にきたない動物を連れて来るんだとみんなそろって顔をしかめた。
「演奏のジャマでしょう、こちらで預かりますよ」
 パックを捕まえようと強引に手を伸ばすガードマンをふり切り、ようやくステージに立つと、フレッドは乗客たちにむかって笑顔を見せた。
「みなさん、ご心配なさらないでください。こいつ……じゃなくて、この子はぼくの友だちのパックです。今日はようこそおいでくださいました。今からこの友だちといっしょにステキな音楽をお届けします」
 フレッドはピアノに座るとひざの上にパックを乗せたまま、ゆったりとしたメロディーを奏ではじめた。

 赤ちゃん 赤ちゃん 元気な赤ちゃん
 大きな声で泣くのが仕事
 赤ちゃん 赤ちゃん かわいい赤ちゃん
 でも おやすみの時間だよ

 メロディーにあわせてフレッドが歌い出すと、乗客は先ほどよりもさらに不機嫌になった。
「なあに、子守歌? ラブ・バラードじゃないの?」
「幼稚園のおゆうぎ会やってんじゃないんだ、ふざけるなよ!」
 怒りのあまり席を立とうとする乗客まであらわれたが、次の瞬間、緊迫した雰囲気が一転した。今度はパックがメロディーに合わせてニャアニャアと歌い出したのだ。歌いながら鍵盤をポロンと足で踏み鳴らし、ピアノの上に乗ってコロンと転がったり、しっぽをメトロノームのように揺らしてみせると、さっきまでピリピリしていた乗客たちの顔がたちまちフッとほころんだ。
「ようし、いいぞ。その調子、その調子」
 パックは、しっぽをゆらゆらさせながらニッと目を細めた。

 赤ちゃん 赤ちゃん 私の赤ちゃん
 さあ ゆっくりと目を閉じて
 もう おやすみの時間だよ

 演奏が終わるのと同時に、パックはニャオーンと鳴いてあくびをひとつしてみせた。すると、乗客たちに異変が起きた。
「おかしいわね、酔っぱらっちゃったのかしら。頭がクラクラするわ」
「妙に眠気が……」
「フワーワ、こりゃたまらん」
 ご婦人も紳士もガードマンもみんなそろって大あくび。たちまちすやすやと寝息を立てはじめた。
「ふーっ、うまくいった。ありがとよ、フレッド」
「すごいな、ほんとうにみんな眠ってる」
 会場を見回しながら驚いているフレッドに、パックは自慢げに笑う。
「寝かしつけの魔法はなかなか役に立つだろ。しっぽの動きを追ってるといつの間にか眠たくなっちまうんだ。リラックスできるメロディー聴きながらだと、とくにグッスリだな」
「今のうちだ、早くレオナを探さないと」
「ちょっと待て、フレッド」
 パックは寝ているガードマンに近づくと、ふんふんと匂いをかいで、それからガードマンの着ているジャケットの胸ポケットをごそごそと探り、一枚のカードを取り出した。
「ほら、IDカード。これがあればいろんな部屋のドアを開けられるみたいなんだ。念のため持って行こう」
 フレッドとパックは、いっしょにレオナを探しに出かけた。けれども、どこの階にも依然として彼女の姿は見当たらない。入れ違いで帰って来てないかとふたたび四階に戻ってみたが、控え室はガランとしたままだ。
「まさかジーンのヤツ、今度はレオナを捕まえてどっかに閉じこめてるんじゃねぇか?」
 パックがそう疑っていると、フレッドは、それはないと大きく首を振った。
「いくらワガママなオレさまキャラのあいつでも、女の子にそんな乱暴なマネはしないよ。レオナを捕まえるぐらいなら、かわりにぼくをこの船のどこかに閉じこめるはずだ。彼女に近づくオジャマ虫は引っこんでろ! ってね」
「じゃあいったいふたりともどこに消えたんだ?」
「想像したくないけど、やっぱり高波にのまれて海の底に転落したとか……」
 デッキからおそるおそる海を見下ろすフレッドの顔は、海の色と同じくらい青くなっていた。
「ふ、フレッド! あんまりのぞきこむと、おめぇが落っこち……ありゃ?」
「どうかした?」
「なんかがキラッて光ってるのが見えたんだ。あっほら、あそこ!」
 フレッドが近づいて見てみると、通路の真ん中あたりに小さなイヤリングが落ちていた。アメジストでできたスミレの花のイヤリングだ。
「これ、レオナがいつもステージでつけてるやつだ! 確かレオナ、今日のリハーサル前にはこのイヤリングをちゃんと二つつけてたと思うけどな」
「てことは、ジーンを探しに行く途中で落としたんだ! なにか他にも手がかりがねぇかな?」
 パックは床にはいつくばって、大きなモップのようにのそのそと手がかりを探しまわった。しかし、熱中するあまり通路の行き止まりの壁にゴン! と頭をぶつけた。
「いててて!」
「パック、大丈夫かい?」
 パックのそばにかけ寄ったフレッドは、行き止まりの壁を見て急に眉をひそめた。
「どうしたよ、フレッド?」
「変だなこの壁。両端のほうがミシミシふるえてる」
 フレッドは、おそるおそる両手で壁をグッと押してみた。
「うわぁっ!」
 次の瞬間、フレッドの身体はくるっと壁の裏に押しこめられた。
「フレッド!」
 パックが壁にむかって声をかけると、平気だよ、とフレッドの声がした。
「この壁は回転扉だったんだ。きみも来てごらん」
「また頭ぶつけたりしねぇかなぁ……」
 パックはしばらくの間ためらっていたが、レオナ探しのためだ、仕方ねぇ! と、思いきって壁のむこうに飛びこんでみた。その場所はただの真っ暗な空間だった。
「全然なにも見えないや。うわわっ!」
 思わずよろめいて、床にしりもちをつくフレッド。
「なんにもねぇところだな」
 パックがキョロキョロと部屋のなかを見まわしていると、暗闇のなかからギョロっと光る青い目があらわれた。
「オバケーッ!」
 パックがビックリしてフレッドの足元にしがみつくと、青い目があきれたように言った。
「いやぁね、パック。あたしだけじゃなく、あなたの目だってピカピカ光ってるのにオバケだなんて失礼しちゃうわ」
「へっ?」
 パックが落ち着いてよく見てみると、そこにはライラがいた。
「ライラ、よかった! 無事だったんだな」
「ガードマンから逃れるために、隠れ場所を探してたらここを見つけたの。あなたのほうこそ、お友達と仲直りしたみたいね」
「パック、その子は?」
 フレッドは不思議そうにライラを見つめた。
「前に話したことあるだろ? おいらの友達のシベリアンハスキーの女の子だよ。おいらといっしょにこの船のナゾを探りに来たんだ。強くてかしこくてそれに見てのとおりのクールビューティーで、すげぇ頼りになるんだぜ」
「へぇー。もしかしてきみ、人探しなんかもできるかい? このピアスの匂いを嗅いでみてくれないか? これを落とした女の子の行方が知りたいんだ」
 フレッドはライラにピアスを差し出した。するとライラはひくひくと鼻を動かし、
「この匂い、この下からもただよってきている気がするわ」
 と、床に鼻をすりつけた。
「ほんとかい? フレッド、レオナはこの床下にいるかもしれないってよ!」
「床下だって? なんでそんなところに?」
 フレッドは床にかがみこんでガサガサとまわりを探ってみたが、手がホコリまみれになるだけで、なにも変わったものは見つけられない。
「おんなじとこばっかり調べてもダメだ。もっとすみずみまで探さねぇと」
 パックは壁をひっかいてみたり、床全体をゴソゴソと探ってみた。
 すると、前足の爪にカチッとなにかがひっかかる音がした。
「どうかした?」
「フレッド、この床の真ん中の部分さわってみてくれ。なんか金具みたいなのがついてねぇ?」
 パックにうながされフレッドも床を調べてみると、確かに小さな取っ手のようなものがはめこまれている。フレッドは取っ手をつかみ、引っ張り上げてみた。
「わっ、重い!」
 フレッドはすぐに取っ手から手を放したが、その様子を見ていたパックが、待った! と声をあげた。
「ちょっともう一度やってみてくれよ。今、ちょびっとだけど床が揺れてた気がするんだ。その下になんかあるのかもしれねぇ」
 フレッドはしぶしぶ取っ手をつかみ、ふたたび引っ張ってみた。すると、床下からかすかな光がもれてきた。
「がんばれ、あとちょっとだ」
「もう限界だよっ!」
 フレッドがいよいよパワー切れしかけたそのとき、ガコッ! という音とともに取っ手ごと床板が外れた。床下には小さなはしごがかけられている。
「見ろよ、下にも部屋があるみたいだぞ。さっきの取っ手つき床は、この部屋を隠しておくためのフタだったんだな。よし、フレッド今度はおいらたちをあの場所までおろしてくれよ」
 パックが、くたびれて座りこんでいるフレッドのひざにピョンと飛び乗ると、フレッドは顔の汗をぬぐって、ため息をついた。
「まったくひと使いが荒いんだから……」
 パックとライラをかつぎ、やっとのことで床下の部屋におろすと、フレッドはその場に大の字になって倒れこんだ。
「若いもんがだらしないぞ、そんくらいのことでへたばっちゃ」
 パックが倒れているフレッドの腹にのしかかると、フレッドは機嫌が悪そうに身体を起こした。
「ライラは仕方がないよ、重くっても! 大きな犬だし、はしごの途中で自分からジャンプして下りてくれたし。問題はきみだよ。家出する前よりデブったんじゃないか?」
「元はといえば、おめぇがちゃんと話聞いてくんなかったから、おいらが家出するハメに
なったんじゃねーか。おいらがヤケ食いにはしったのはフレッドのせいだぜ!」
「ちょっとふたりとも、こんなところでケンカしてる場合じゃないでしょ。せっかく隠し部屋を見つけたんだから、ちゃんと調べましょうよ」
 ライラにいさめられると、パックはムッとしながらフレッドの腹からおりた。
「彼女、なんだって?」
「レディーを重たい呼ばわりするなんて、サイテーだってさ」
 パックは、フレッドにべーっと舌を出したまま答えた。
 隠し部屋は、先ほどの部屋と同じく真っ暗だったが、パックが壁に電灯のスイッチを見つけた。フレッドに押してもらうと、視界が一気にパアッと明るくなった。
 部屋のなかにはフサフサした毛皮のコートに、ファーバッグ。それに青みがかった宝石が入ったショーケースが一面に並んでいる。そして、それらにはみな『本日の受注会サンプル』というタグがついていた。
「高そうな服や宝石がいっぱい。なんでこんなのがこんなところにあるんだ? 二階にあった店と変わんねえじゃん」
 パックの言うとおり、その部屋はライラといっしょに逃げまわったショッピングモールとあまり変わらないように見えた。いっぽう、ポカンとしているパックとは対照的にライラはいつにもまして険しい顔つきになり、低いうなり声をたてている。
「この部屋、とってもいやな感じがするわ」
「確かにいい趣味とは言えねえよな。こんなキンキラキンの部屋」
 パックがそう言うと、ライラはそうじゃないと首を振った。
「うまく言えないけど、ここにあるコートや宝石全部、二階にあったものとは全然雰囲気が違うの。見てると、すごく……気分悪い!」
 ライラはいらいらしたように、毛皮のコートがかかったハンガーラックをつき飛ばした。たくさんの毛皮のコートがバラバラと床に落ちる。
 おいおい落ち着いてくれよと、パックがライラに近寄ろうとすると、フレッドがパックの腰をむんずと捕まえた。
「いってぇー! なにすんだっ」
 パックが怒ると、フレッドはびっくりしたようにパックから手を放した。
「あれ、パック? ご、ごめん! コートかと思った」
「コート? バカ言うなよ。どこをどうやったらおいらとコートをまちがえられるんだっての」
「だって、この手ざわりまるで……」
 そこまで言うと、急にフレッドは口ごもった。心なしか顔色も青ざめている。
「なんでぇ、どうしたってんだ」
「い、いや……まさかね」
 パックは妙にうろたえているフレッドが気になったが、そのとき突然どこからか響いてきた、
「ニャン」
 という小さな一声にギュッ! と心をわしづかみにされた。
「なんだなんだ、どこかにネコがいるぞ」
 パックは、ぴょんぴょんと部屋一面を飛びまわって声の主を探した。
「ネコ? この部屋にかい?」
「聞こえたんだ、たった今! すごーくちっちゃな声だったけど」
 パックがそう主張するので、フレッドも半信半疑ながらナゾのネコ探しをすることにした。けれども、拾い上げるもの目につくものみなコート。ネコの目のようにギラギラ光っているのはショーケースのなかの宝石だった。
 結局くまなく調べてもなにも収穫なしかとあきらめかけていたところ、フレッドは部屋の奥の壁に小さなすき間が空いているのに気がついた。
「あれ、これは?」
 フレッドは持っていたIDカードを小さなすき間に差しこんでみた。すると、さっきまでなにもなかった壁にドアがあらわれた。
「隠し扉だ! やるじゃん、フレッド」
 パックはうれしそうにフレッドのまわりをくるくると回った。
「もう、さっきまで不機嫌だったのに、ゲンキンなんだから」
 フレッドは、困ったように笑ってパックを抱き上げた。
「ライラ、気分はどうだい?」
 パックが声をかけると、ライラは少しふらつきながらも、
「平気よ。さあ行きましょう」
 と、はっきりと答えた。
「よし、この船のナゾを解き明かしてやる!」
 パックはフレッドたちとともに隠し扉のなかに入って行った。
 その瞬間、ショーケースに飾られた宝石がギラリと奇妙に光り輝いた。
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