第1話

文字数 3,090文字


 今までどれほどの歴史が繰り返され、その度に人が死に行き、同時に新たな才能が生まれ、また彼らによって芸術や発明が為されたことだろうか。そこから飛躍して生まれた多くのおとぎ話。私たちはいかにそれらに騙され、踊らされてきたことか。そもそも私たち以前に存在した彼らを悪者にするのも間違っている。なぜなら、誰一人として嘘虚実抜きに物語を紡ぐことに成功した者はいないのだから!

 しかし、真実は存在する。もちろん始まりも存在する。そして、物語は現在に向かって一切の寄り道もせず、真っ直ぐ一本道を結んでいるのである。

 始まりには、男と女がいる。男と女のセックスが全ての始まりである。この点に関しては、多くの学説に置いて同意を得ている事実と言えよう。

 セックスは子孫繁栄の術であると同時に、格闘であり、革命であり、スポーツ、遊戯、対話、その他諸々だったので、多くの体力を必要とした。それには、タンパク質の摂取が欠かせなかった。

 人類は肉を食すようになり、それによって脳が発達すると、より一層物事を複雑に捉えることができるようになった。正確には、動物的な交尾からセックスに昇華したのもこの時である。また、セックスの後に男が女の体調を気使い自分の体温を使って暖めてやったことが、他人に対する共感や思いやりの感情の始まりであるという記述も存在する。実際、今でも他人からのハグは言葉以上に多くの助けになっている。

 次第にセックスは、その行為自体が崇高なものとして崇められるようになった。記録するものが現れると、それは文学、絵画、そして映画になった。彼らは、実際に行為をする者たちよりも高い地位を得た。なぜなら、彼らによってセックスはもはや芸術、哲学、主義、その他諸々にまで至っていたからだ。

 それを象徴するものとして、科学が生まれた。それは、真理の追求と共に、神秘の解体というタブーでもあったので、ある者は強く反対の姿勢を取った。彼らの主張は、宗教と分類されまとめられた。

 だが、忘れてはいけないのは、いずれもセックスに対する立場の相違があったのみであり、セックスという行為の神格化を図っていたという点においては同じである。そして、その動機が文明を作ったのである。

 男は女を求め、女はより欲した。その欲望は、事が複雑になるにつれ、同様に複雑化していった。例えば、車は人類にとって世紀の発明である。数々の道具が発明されて以来、産業が興り、金が動いた。車というのは、御存知の通り、それ自体がセックスの象徴である。動力源となるエンジンのピストン運動はまさしくそれであり、各メーカーはより速い車の製造を目指した。女たちは、速い車に乗る男に熱を上げた。

 その他にも、コンピュータという発明もある。これについては、コンピュータを構成する信号は0と1でできており、0はメス、1はオスということらしかったが、この仕組みはあまりにも人々にとって難しすぎたため理解されなかった。コンピュータに得意な眼鏡くんたちを見ても、女たちは全く感じなかったのだ。

 このように人類の歴史は非常に多くのことが、小難しく絡み合って積み重ねられている。だが、こうして始まりから順序立てて見ていけば、その正体はなんのことはないことが分かる。

 スポーツの歴史にも、その証拠を見て取ることができる。肉体的疲労や鍛錬は全て欲望に通じている。特に、いくつかの球技ではボールを穴に入れることを目標としており、これらのスポーツに多くの女性ファンがつきやすいことも納得である。時にサッカーというスポーツでは、多くの選手の間でサイドを刈り込むヘアスタイルが定番化している。これは、男性器を連想させるとして多くの女性ファンに人気である。二二の男性器が一つの球を追っかけている様は、実に滑稽である。

 あるいは、それらのセックスアピールを全て捨て去ることで、逆説的に自己表現する者もいた。人類の想像力というのは底知れない可能性を秘めているものである。ある時代には、それらの反動としてもっとよりシンプルにセックスを表現する運動が広まった。彼らはフリーセックスを掲げ、クラプトンのギターの上でマリファナを吸い、不特定多数と絡み合った。最も、この時代ほど人類が彼らの欲望に対して「ありのまま」であったのも珍しい。それは、自然と自分自身に対して正直であることを意味した。

 しかし、それも長く続くことはない。男は短絡的すぎて、女は嘘つきだからである。その失敗の歴史を繰り返すまいと、今度はより欲望を隠すことが美学とされた。男と女は、お互いに興味がないフリをし、セックスのことは語られなくなり、みんな一人でするようになった。若さが価値をもち、それはつまるところ童貞と処女を意味していた。そして、そのうちに本当に童貞と処女がこの世の大半となった。

 白状すると、彼らはセックスから逃れたかったのである。というよりは、セックスに付随するもの、欲望や搾取、努力、裏切りといったものに疲れ切っていたのである。そして、今やそれらと向き合う必要はなくなった。夜の街を写すホテルの窓の前で己の醜い身体を見ないで済むことは、人々に恒久的な至福を与えた。男女の間に利害関係は存在せず、お金や地位という代物も意味を為さなくなった。誰も何も欲しがらなくなっていた。

 しかし、当然に子孫というのは残し続けなくてはいけない。ここに再び科学が介入することとなったが、人為的な人口調整が可能になるよりも先に、少子化の問題は先に限界を迎えた。

 そこで、「ありのまま協会(Natural Behavior Association)」が発起された。ここまでの歴史は、NBAの報告書に基づくものでもある。彼らの任務は人類のセックスに対する正しい認識を取り戻すことだった。それはもちろん、メディアで安っぽく消費されるセックスシンボルでもなければ、隠れて家で自分のをシゴくことでもない。しかし、その時には既に本物のセックスを経験した者は一人しか存命していなかった。その人は九五歳の女性であり、彼女が死ぬ時には協会関係者に対して以下の言葉が残された。

 「求めよ。さもなければ与えられん」

 遂に、20XX年にはNBAの童貞会長から「緊急事態宣言」が発令された。それに応じて各国ではそれ相応の対策が実施されることとなった。そのうち、大半の国で取られた施策というのが、無作為につがいを作り、二週間それぞれに与えられた自宅に待機するというものだった。男女が同じ空間で時間を共にすることで、本来の関係性を結ぶことを期待したのだ。

 しかし、実際には多くのつがいが問題を起こし、対立した。自宅待機を守らずに逮捕される者もいた。これに応じたのは、結局日本人のみだった。日本ではほとんどのつがいが言われたとおりの手順を踏み、ちゃんとセックスをしたのである。

 だが、これも上手くは機能しなかった。男たちはセックスが下手だったのである。女たちは怒り出し、インターネット上には「あなたじゃイカない」のハッシュタグで多くの書き込みがされた。内容は、「キスをすれば子供ができると思っていた」とか、「必死にへそをまさぐっていた」といったもの…。こうして、セックス神話は潰えてしまった。誰ももはや、セックスにそれ以上のものを期待しなくなった。まるで童貞や処女が、初夜を迎えて自分たちが思い描いていたセックスは幻想だったと気づいたかのように、人類は長い夢から覚めたのである。

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