科学の神殿

文字数 1,310文字

 丘の上にある神殿に向かって、その日も民が長蛇の列を作っていた。彼等は一様に薄い木綿の服を着ており、その袖からは骨ばった手足が覗いていた。肌は畑仕事ですっかり焼けており、唇は優れない色をしていた。

 前の組が神殿に入り、たった今列の先頭となった男は、両腕に抱えている一人息子に声を掛けた。

「もう少しの辛抱だからな。きっと神様に治してもらえるからな」

 彼の言葉は、息子の耳には届いていなかった。息子は冷たい汗をかき、震え、荒く早い呼吸を繰り返していた。病状は悪化の一途を辿っている。男にできることは、民が一様に信仰している神の力が息子を救うまでに命が尽きないように、息子を元気付け続けることだけだった。

 やがて神殿の奥から前の組が姿を現した。神殿に入る前は折れた足を引き摺っていた老人が一人で歩いており、付き添いの家族たちと抱擁し合っている。男はそれによって一段と勇気付けられた。

 ほどなくしてどこからともなく、
「次の者、入りなさい」
 と声がした。それは神の声だった。男は歩みを進めた。

 神殿の中央部に到着すると、
「本日は、息子の病を治していただきたく参りました」
 と声を発した。それを受けた男の上空に浮かぶ巨大な球体・・・民が神と呼ぶ存在は、その表面に光の波紋を浮かべながら、男に言った。

「子を床に下ろしなさい」

 男がその通りにすると、息子は独りでに浮いて行き、そして球体の中に沈んで行った。男は地面に膝を着き両手を合わせた。彼は祈ることしかできない自身の無力さを呪うことはせず、ただ息子が生還することを祈った。

 一方、球体の内部では息子の診断と処方が高速で行われた。まずコンピューターが患者の症状を観察し、膨大なデータから患者の病名を割り出した。そしてそれに合わせた適切な処置(今回は抗ウイルス剤の投与だった)をし、最後に患者の細胞を活性化させ、治療の効果が早く現れるように手を加えた。

 やがて息子は球体から浮かび、男の元へと降り立った。男にはそれまでの時間がほとんど永遠に思われたが、実質数分の話だった。地面に下りた息子は、すっかり回復しており、父親に晴れやかな笑顔を見せた。

 男は息子を抱きしめると。球体にお礼を言ってその場を後にした。

 センサーによって彼等が神殿から出たことを確認した球体は、
「次の者、入りなさい」
 と音声を発した。


 ある日、未曽有の大地震が神殿を襲った。球体内部のコンピューターはそれを事前に察知しており、民に一時的にその地を離れるようにと伝えた。

 危機を予知したものの、球体には球体自身を守ることも、再生させることもできなかった。何故なら球体自身に移動手段はなく、また球体を作った者達は死に絶えていたからだ。コンピューターは早々に自身の運命を見定め、「神」としての最善の行動を球体に取らせた。

 そしてコンピューターが算出した通りの日時に大地震が神殿を襲った。自身の体が崩れてゆくのを感じながら、球体は思った。

 
 圧倒的な知力の差によって独裁体制を取っても、やはり永遠の共産主義国家など存在し得なかったのだ・・・。
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