第1話
文字数 3,617文字
「あなたは、やさしすぎるの」
白ウサギの言葉に、茶ウサギは、苦笑いしました。
ほめ言葉でないことは、さすがに、にぶい茶ウサギにも分かります。
小さい頃から、兄妹のようにいっしょに遊んできた白ウサギと茶ウサギでしたが、それぞれに、パートナーを見つけなければならない年になっていました。
しばらくして、茶ウサギは、大きなお腹をした白ウサギを見かけました。白ウサギはひとりで子ウサギを産み、ひとりで育てました。
ぽかぽかとあたたかい日差しの下。
白ウサギが、子守歌を歌いながら、子ウサギをあやしています。白ウサギの優しい顔がまぶしくて、子ウサギの満ちたりた顔がうれしくて、茶ウサギはいつまでも母と子をながめていました。
けれど一対の幸せのような母と娘の蜜月は長くは続きませんでした。
母ウサギと娘ウサギはいつからか、お互いに憎み合うようになりました。穴の家の中から、大声でケンカをしている声が聞こえてきます。
「ママなんて、大嫌い! なんでもかんでも反対して!」
娘ウサギは憎しみに満ちた目で母をにらみつけると、はげしく足を踏みならしました。思春期の娘ウサギは穴の家に帰らないことも多くなりました。
冷たい雨の日、茶ウサギは、少し遠出して新鮮な草を探しに来ていました。雨を避けて、茂みの中に、娘ウサギがいました。思わず茶ウサギは声をかけました。
「どうしたんだい。家に帰らないのかい」
娘ウサギは、つんと顔をそむけました。
「おじさんには、関係ないでしょ」
「そんなことないさ」
娘ウサギは、目をつり上げました。
「ほっといて!」
「ほっとけないよ。君たちあんなに仲良かったのに、どうしちゃったんだ。お母さんも心配しているよ」
「心配なんてしてないわ!」
「しているよ」
「おじさんに何が分かるの!」
「分かるよ。ずっと君たちを見てきたんだから」
娘ウサギが生まれる前から知っています。母と娘を、ずっと見てきました。ただ見ているだけでいいと思っていました。でも、このごろの憎み合うふたりのことは、つらくて見ていられません。
娘ウサギはだまったまま、茶ウサギをにらみつけています。
「お母さんのところに、一緒に帰ろう」
茶ウサギが伸ばした手をはらいのけると、娘ウサギは、冷たい雨の中飛びだして行ってしまいました。茶ウサギは、娘ウサギを追いかけようとして、首を振りました。
「わたしに何ができるっていうんだ……」
茶ウサギはひとり、大きなためいきをつきました。
それからしばらくして、茶ウサギは、母ウサギに会いました。
母ウサギは、耳を垂れて目は赤く、表情もうつろでした。
「大丈夫かい」
茶ウサギの言葉に、母ウサギが顔を上げました。
「あの子を見なかった?」
「まだ帰って来てないのかい」
母ウサギがつめよりました。
「見たの? どこにいた?」
茶ウサギは、首をふりました。
「2、3日前だよ。丘の向こうの茂みで」
母ウサギは、鼻先をゆがめました。
「好き勝手に遊び歩いて、もう許さない! ぶちのめしてやる」
「落ち着けよ。あの子にだって、言い分はあるだろう」
「あんたに何が分かるって言うのよ! あたしがどんなに苦労してあの子を育てたか! それなのにあの子は」
「分かるよ。分かっているよ」
「分からない!」
「分かるよ。君のことを、ずっと見ていたんだから。だからあの子のことも……」
茶ウサギの言葉をさえぎって、母ウサギは足元の土をけりあげて、ヒステリックにまくしたてました。
「うるさい! うるさい! うるさい!」
「なあ、とにかく落ちついて」
「うるさいわよ! あなたは見てただけ! 見てただけのくせして、ごちゃごちゃ言わないで!」
茶ウサギはもう何も言えなくなってしまいました。
母ウサギと娘ウサギを仲直りさせるどころか、これでは、母ウサギに嫌われるだけです。
それから何日も、茶ウサギは考えました。
自分に何ができるのか、何をすればいいのか。
あの母娘が仲良しに戻れるなら、そのためなら何でもするつもりでした。
「どうすれば、あの母と娘を仲良くすることができるのかなあ」
ひとり言がこぼれます。何度目かの大きなためいきをついたとき、すぐ後ろで、草がかさりと音を立てました。
草むらから顔を出したのは、小さな蛇でした。
ちょろちょろと舌を出しながら、茶ウサギに話しかけてきました。
「そんなの簡単ですよ」
茶ウサギは、蛇を見下ろしました。この野原にいる動物たちの中で一番頭が良いのは蛇です。
蛇はネズミやカエルの天敵ですが、ウサギにとって怖い相手ではありません。とはいえ、ぬめぬめしてあまり近寄りたくない存在です。茶ウサギは少し後ずさりしながら聞き返しました。
「簡単ってどういうことです」
蛇が、にやりと笑ったように見えました。といってもほとんど変わらない蛇の表情からは、何を考えているのかわかりません。
「簡単は簡単ってことです。でもね、あなたには無理ですよ」
「どういうことです。簡単ならわたしにもできるはずでしょう」
茶ウサギは、一歩前に出ました。すると蛇は一歩下がります。
「あなたが臆病だからですよ」
茶ウサギは蛇の挑発にはのりませんでした。
「違う。簡単な方法なんてないからだ。どうせ本当は知らないんだ」
「教えてあげますよ。どうせあなたにはできないでしょうから」
茶ウサギは、蛇から、ウサギの母娘が今すぐ仲直りできる方法を聞き出しました。
蛇が、ニヤニヤ笑いながら……ウサギには笑っているように思えたのです……姿を消してしまってからも、ウサギはずっとその場で、立ちつくしていました。
臆病ではないつもりでした。でも、蛇の言う通りにできるかというと、やっぱり難しいように思えました。
決断できないまま、数日が経ちました。
娘ウサギが家に帰って来ました。母ウサギと娘ウサギは仲直りできたのでしょうか。いえ、ケンカをしていた頃の方がまだましだったかもしれません。口も聞かず、目も合わせず、お互いに無視しています。
いたたまれなくなって、茶ウサギは、母ウサギに声をかけました。
「なあ、何かできることがあったら言ってくれよ」
「何にもないわ」
母ウサギは、ギラギラとした目で、つぶやきました。
「もういいの。全部終わりにするから」
茶ウサギは、ぞくりと背中が震えるのを感じました。もう待てない、と思いました。このままでは、最悪の事態になってしまいます。
蛇が最後にささやいた言葉が、耳元でよみがえります。
──あんたは、あの母娘のことなんて何にも考えちゃいない。母にも娘にも好かれたいと、自分のことばかり考えてるんだ。
違う!
茶ウサギは、覚悟を決めて、母娘ウサギの穴の家に向かいました。
手足が震えます。
穴の家の前に立ち、深呼吸して、叫びました。
「おまえら! 出てこい!」
穴の中から、母と娘が驚いた顔で、出てきました。
ふたりが何か言う前に。茶ウサギは、穴の家を、足で蹴り飛ばしてめちゃくちゃにしました。
「おまえらを見てると、ムカムカするんだ! ぎゃあぎゃあいつもケンカしやがって!」
穴の家をぐちゃぐちゃに踏み潰してから、茶ウサギは、母ウサギに向き直りました。
「おまえは最低の母親だ!」
初めて聞く茶ウサギの暴言に、母ウサギは、ショックのあまり言葉も出ません。茶ウサギはさらに悪口雑言のかぎりをつくして、母ウサギを侮辱しました。それから娘ウサギに向かって、手をふりおろしました。
すると、母ウサギが娘をかばって、とびかかってきました。
茶ウサギは、母ウサギをけりとばしました。
「ママ!」
向かってきた娘ウサギも、つきとばしました。
「お前も、クソだ! 最低の娘だ!」
「娘になにするの!」
母ウサギがもうぜんと立ち向かってきました。
「そろいもそろって、最低のクソ母娘だ!」
娘ウサギと母ウサギは、泣きながら、茶ウサギに向かってきました。茶ウサギは娘ウサギと母ウサギをかわしながら、罵倒のかぎりをつくしました。
娘ウサギは母をかばい、母ウサギは娘を抱き寄せました。
母と娘は固く抱き合ったまま、茶ウサギに、憎しみの目を向けました。
目的達成できた、と茶ウサギは思いました。
「おまえらなんか、二度と見たくない!」
言い捨てて、茶ウサギは、その場から離れました。
できるだけ遠くに。
二度とあの母娘に会わないところへ。
茶ウサギは、駆けながら、蛇のつるっとした顔を思い浮かべました。
「できないって言ったけれど、できたよ」
ふたりが仲直りするには「共通の敵になればいい」と蛇は言ったのです。
「ふたりは力を合わせて、おれという敵を追っ払ったんだ」
母ウサギをけりとばした足が痛みました。
それよりもっと、心がキリキリと痛みました。
脳裏に、最後に見たときの、母と娘がしっかり抱き合った姿が思い浮かびます。
茶ウサギは目を真っ赤にして、走りました。
二度とふたりに会えない、遠い遠い場所へ。
終わり
白ウサギの言葉に、茶ウサギは、苦笑いしました。
ほめ言葉でないことは、さすがに、にぶい茶ウサギにも分かります。
小さい頃から、兄妹のようにいっしょに遊んできた白ウサギと茶ウサギでしたが、それぞれに、パートナーを見つけなければならない年になっていました。
しばらくして、茶ウサギは、大きなお腹をした白ウサギを見かけました。白ウサギはひとりで子ウサギを産み、ひとりで育てました。
ぽかぽかとあたたかい日差しの下。
白ウサギが、子守歌を歌いながら、子ウサギをあやしています。白ウサギの優しい顔がまぶしくて、子ウサギの満ちたりた顔がうれしくて、茶ウサギはいつまでも母と子をながめていました。
けれど一対の幸せのような母と娘の蜜月は長くは続きませんでした。
母ウサギと娘ウサギはいつからか、お互いに憎み合うようになりました。穴の家の中から、大声でケンカをしている声が聞こえてきます。
「ママなんて、大嫌い! なんでもかんでも反対して!」
娘ウサギは憎しみに満ちた目で母をにらみつけると、はげしく足を踏みならしました。思春期の娘ウサギは穴の家に帰らないことも多くなりました。
冷たい雨の日、茶ウサギは、少し遠出して新鮮な草を探しに来ていました。雨を避けて、茂みの中に、娘ウサギがいました。思わず茶ウサギは声をかけました。
「どうしたんだい。家に帰らないのかい」
娘ウサギは、つんと顔をそむけました。
「おじさんには、関係ないでしょ」
「そんなことないさ」
娘ウサギは、目をつり上げました。
「ほっといて!」
「ほっとけないよ。君たちあんなに仲良かったのに、どうしちゃったんだ。お母さんも心配しているよ」
「心配なんてしてないわ!」
「しているよ」
「おじさんに何が分かるの!」
「分かるよ。ずっと君たちを見てきたんだから」
娘ウサギが生まれる前から知っています。母と娘を、ずっと見てきました。ただ見ているだけでいいと思っていました。でも、このごろの憎み合うふたりのことは、つらくて見ていられません。
娘ウサギはだまったまま、茶ウサギをにらみつけています。
「お母さんのところに、一緒に帰ろう」
茶ウサギが伸ばした手をはらいのけると、娘ウサギは、冷たい雨の中飛びだして行ってしまいました。茶ウサギは、娘ウサギを追いかけようとして、首を振りました。
「わたしに何ができるっていうんだ……」
茶ウサギはひとり、大きなためいきをつきました。
それからしばらくして、茶ウサギは、母ウサギに会いました。
母ウサギは、耳を垂れて目は赤く、表情もうつろでした。
「大丈夫かい」
茶ウサギの言葉に、母ウサギが顔を上げました。
「あの子を見なかった?」
「まだ帰って来てないのかい」
母ウサギがつめよりました。
「見たの? どこにいた?」
茶ウサギは、首をふりました。
「2、3日前だよ。丘の向こうの茂みで」
母ウサギは、鼻先をゆがめました。
「好き勝手に遊び歩いて、もう許さない! ぶちのめしてやる」
「落ち着けよ。あの子にだって、言い分はあるだろう」
「あんたに何が分かるって言うのよ! あたしがどんなに苦労してあの子を育てたか! それなのにあの子は」
「分かるよ。分かっているよ」
「分からない!」
「分かるよ。君のことを、ずっと見ていたんだから。だからあの子のことも……」
茶ウサギの言葉をさえぎって、母ウサギは足元の土をけりあげて、ヒステリックにまくしたてました。
「うるさい! うるさい! うるさい!」
「なあ、とにかく落ちついて」
「うるさいわよ! あなたは見てただけ! 見てただけのくせして、ごちゃごちゃ言わないで!」
茶ウサギはもう何も言えなくなってしまいました。
母ウサギと娘ウサギを仲直りさせるどころか、これでは、母ウサギに嫌われるだけです。
それから何日も、茶ウサギは考えました。
自分に何ができるのか、何をすればいいのか。
あの母娘が仲良しに戻れるなら、そのためなら何でもするつもりでした。
「どうすれば、あの母と娘を仲良くすることができるのかなあ」
ひとり言がこぼれます。何度目かの大きなためいきをついたとき、すぐ後ろで、草がかさりと音を立てました。
草むらから顔を出したのは、小さな蛇でした。
ちょろちょろと舌を出しながら、茶ウサギに話しかけてきました。
「そんなの簡単ですよ」
茶ウサギは、蛇を見下ろしました。この野原にいる動物たちの中で一番頭が良いのは蛇です。
蛇はネズミやカエルの天敵ですが、ウサギにとって怖い相手ではありません。とはいえ、ぬめぬめしてあまり近寄りたくない存在です。茶ウサギは少し後ずさりしながら聞き返しました。
「簡単ってどういうことです」
蛇が、にやりと笑ったように見えました。といってもほとんど変わらない蛇の表情からは、何を考えているのかわかりません。
「簡単は簡単ってことです。でもね、あなたには無理ですよ」
「どういうことです。簡単ならわたしにもできるはずでしょう」
茶ウサギは、一歩前に出ました。すると蛇は一歩下がります。
「あなたが臆病だからですよ」
茶ウサギは蛇の挑発にはのりませんでした。
「違う。簡単な方法なんてないからだ。どうせ本当は知らないんだ」
「教えてあげますよ。どうせあなたにはできないでしょうから」
茶ウサギは、蛇から、ウサギの母娘が今すぐ仲直りできる方法を聞き出しました。
蛇が、ニヤニヤ笑いながら……ウサギには笑っているように思えたのです……姿を消してしまってからも、ウサギはずっとその場で、立ちつくしていました。
臆病ではないつもりでした。でも、蛇の言う通りにできるかというと、やっぱり難しいように思えました。
決断できないまま、数日が経ちました。
娘ウサギが家に帰って来ました。母ウサギと娘ウサギは仲直りできたのでしょうか。いえ、ケンカをしていた頃の方がまだましだったかもしれません。口も聞かず、目も合わせず、お互いに無視しています。
いたたまれなくなって、茶ウサギは、母ウサギに声をかけました。
「なあ、何かできることがあったら言ってくれよ」
「何にもないわ」
母ウサギは、ギラギラとした目で、つぶやきました。
「もういいの。全部終わりにするから」
茶ウサギは、ぞくりと背中が震えるのを感じました。もう待てない、と思いました。このままでは、最悪の事態になってしまいます。
蛇が最後にささやいた言葉が、耳元でよみがえります。
──あんたは、あの母娘のことなんて何にも考えちゃいない。母にも娘にも好かれたいと、自分のことばかり考えてるんだ。
違う!
茶ウサギは、覚悟を決めて、母娘ウサギの穴の家に向かいました。
手足が震えます。
穴の家の前に立ち、深呼吸して、叫びました。
「おまえら! 出てこい!」
穴の中から、母と娘が驚いた顔で、出てきました。
ふたりが何か言う前に。茶ウサギは、穴の家を、足で蹴り飛ばしてめちゃくちゃにしました。
「おまえらを見てると、ムカムカするんだ! ぎゃあぎゃあいつもケンカしやがって!」
穴の家をぐちゃぐちゃに踏み潰してから、茶ウサギは、母ウサギに向き直りました。
「おまえは最低の母親だ!」
初めて聞く茶ウサギの暴言に、母ウサギは、ショックのあまり言葉も出ません。茶ウサギはさらに悪口雑言のかぎりをつくして、母ウサギを侮辱しました。それから娘ウサギに向かって、手をふりおろしました。
すると、母ウサギが娘をかばって、とびかかってきました。
茶ウサギは、母ウサギをけりとばしました。
「ママ!」
向かってきた娘ウサギも、つきとばしました。
「お前も、クソだ! 最低の娘だ!」
「娘になにするの!」
母ウサギがもうぜんと立ち向かってきました。
「そろいもそろって、最低のクソ母娘だ!」
娘ウサギと母ウサギは、泣きながら、茶ウサギに向かってきました。茶ウサギは娘ウサギと母ウサギをかわしながら、罵倒のかぎりをつくしました。
娘ウサギは母をかばい、母ウサギは娘を抱き寄せました。
母と娘は固く抱き合ったまま、茶ウサギに、憎しみの目を向けました。
目的達成できた、と茶ウサギは思いました。
「おまえらなんか、二度と見たくない!」
言い捨てて、茶ウサギは、その場から離れました。
できるだけ遠くに。
二度とあの母娘に会わないところへ。
茶ウサギは、駆けながら、蛇のつるっとした顔を思い浮かべました。
「できないって言ったけれど、できたよ」
ふたりが仲直りするには「共通の敵になればいい」と蛇は言ったのです。
「ふたりは力を合わせて、おれという敵を追っ払ったんだ」
母ウサギをけりとばした足が痛みました。
それよりもっと、心がキリキリと痛みました。
脳裏に、最後に見たときの、母と娘がしっかり抱き合った姿が思い浮かびます。
茶ウサギは目を真っ赤にして、走りました。
二度とふたりに会えない、遠い遠い場所へ。
終わり