第4話 おなかまわりが気になる子

文字数 4,008文字

 四月、ぶぅは軽音サークルに入った。

「N大にはブラバンってないのか」
「あるよ。新歓ライブも行ってみた」
「いまいちだったわけね」
「なんかパッとしなかった。あと、もうパーカスにもあんまり興味ないんだよね」
「ふうん」

 中学高校とブラスバンド部に入っていて、ドラムを叩いていた。うんちんと会わなくなってからだけど、そのことはうんちんもお母さんづたいに聞いていた。

「でも高校で外バン組んでたなんて、意外だな」
「ふふん、まいったか」
「バンド名は?」
「……ないしょ」
「言えよ」
「ないしょ!」
「あっそ。というかライブハウスなんてあるのか、田舎なのに」
「あるよ!」

 もともとうんちんもドラムをやっていた。手首と腰を痛めてからはギターを弾くようになったけど、ぶぅとよく会っていた十代後半には寝食を忘れるほど叩いていた。

「正直に言いなさい、おれに憧れたと」
「ちがいます! わたしメタルとかわかんないし!」

 四月末の土曜、まだ引っ越しの荷物を片付け終わっていないのを手伝っていたらスティックケースが出てきて、ようやく片付けては晩ご飯に吉野家をお持ち帰りで買ってきて食べながら、しゃべっていた。

「なつかしいなあ、この感じ」
「……」
「こういう、右右左右、左左右左、みたいな叩き方って、なんていうんだっけ」
「パラディドル?」
「ああそうそう」

 先に食べ終わっていたうんちん、ひと組スティックを取り出して、自分の膝をパチパチ叩きだした。

「で、バンド名は?」
「中学校のときのバンドなら、教えてあげる」
「へえ、中学でもバンドやってたのか」
「……」
「教えなさい」
「うんちん絶対笑うもん」
「笑わないって。言ってみな」
「五人でやってて、みんな女子で、最後はケンカわかれみたいになっちゃって──」
「いいから早く言え」
「──カラフルレイン」
「……」
「……」
「ブッ!」
「ねえ!」

 華麗なスティックさばきを止めたと思うや、うんちん吹き出した。

「超かっこいいじゃん」
「うそだ!」
「あのう、もしかして、カラフルレインの、ぶぅちゃんですか」
「そうです」
「ブフッ!」
「ねえ!」

 くすぐったそうに身をよじりながら、しばらくヒイヒイ言っていた。

「でもいいな、このスティック」
「わたしのお気に入りだからパクらないでね!」
「パクらねえよ、もう叩く機会もないし」
「ギターも弾いてないの?」
「弾いてないなあ、まだ持ってはいるけど」
「なんで弾かなくなったの?」
「なんでだろうな、年取ったからかねえ」
「……」

 ぶぅは最後のひとくちをもぐもぐ、むっつり黙り込んだ。うんちんはスティックをケースにしまい、ごくごく水を飲み干して、

「なにかに熱中できるって若い証拠だよ、いいことだ」
「うんちんは、今なにも熱中してることないの?」
「……まあ、あるっちゃある」
「なに?」
「さてプリン食うか」
「おしえて!」

 うんちんコップを片手に逃げた。デザートに買っていたデパ地下のプリンを冷蔵庫からふたつ出して、水もついできてどっかり座り、

「ライブするときは言えよ、行くから」
「え〜はずかしい」
「おれ一人に恥ずかしがってどうすんだ」
「だって、うんちんのクラスの子がいたら、なんで来てるのってなるよ」
「ああたしかに、じゃあ動画でいいや」
「うんちんの熱中してることと交換ならいいよ」
「高校のバンド名教えてくれたらな」
「ずるい!」

 ぶぅは恥ずかしがり屋だ。人前で何かをするといっぱい汗をかいてしまう。そのくせ演奏は堂々としていて、百人以上の観客に地元のテレビまで来ていた高校ブラスバンド部の大会でも、かっこよかった。やっぱりパパはママの隣で号泣していた。

「ンー、このプリンいまいち」
「そういや自炊はしないのか」
「そう! それなんだよねえ……」

 ぶぅも食べ終わったので、うんちんキッチンで二人ぶんの空き容器を洗い、ビニール袋に入れる前に干した。食器や調理器具があんまり揃っていないのを見て、戻ってきたら、ぶぅは寝そべってプリンを食べにかかっていた。

「毎日へとへとすぎて、なにつくろうかなって考える気もおきないんだよね。買物して帰ってくるのも重たいし」
「まあ慣れるまではしょうがないか」
「ちょっと忙しくしすぎかも。明日も昼からだし……」

 ぶぅは早速アルバイトも始めていて、サークルのない日も帰りが遅くなっていた。中華料理屋と居酒屋が一緒になったようなお店だから、シフトがある日はまかないを食べられるけど、ない日は仕送りのお米にご飯のお供で済ませていた。

「買い食いばっかりだと体にもよくないし、おれと食うときだけでも作るようにするかね」
「ウーン、とりあえず食器とか揃えてからかな……」
「毎回おれんちから持ってきてもいいけどな、足りないものあったら」
「……ヤ!」

 叫んだら、右手にスプーン左手にプリンを持ったまま、絨毯につっぷした。おばあちゃんゆずりの料理好きで、管理栄養士をめざして国立大学を受けたくらいなのに、拒否の姿勢で動じない。もちろん理由はある。

「うま! マーボーうま!」
「米三杯はいけるな」

 土日どちらかはうんちんと晩ご飯を食べるようにしている。それも惣菜だけど、うんちんは駅前のデパ地下につれていってくれるのだ。

「これほんとにチーズケーキなの……?」
「ひとすくいで100円くらいか……」
「とろける……」

 会計は全部うんちん持ちだから、学生の身に余る贅沢なものにもありつける。特に甘いものは、もう数ヶ月先まで食べるものを決めているくらい、譲れなかった。

「腕なまっちまうぞ、ドラムと一緒で」
「ヤ!」
「マッタク……」

 バタバタ足を上下させて駄々をこねる。あきれたうんちんプリンをひとくち食べて、残りはぶぅにあげた。ぶぅはいまいちとか言いながら、ぜんぶ平らげた。

 すぐに大型連休に入って、ぶぅはバイト三連勤した足で夜行バスに乗って、帰省した。

「よくやるわ」

 朝ぶじに着いたとメッセージが届いて、うんちん感嘆まじりに返信した。一ヶ月ぶりの一人だったけど、あっというまに予定の三日が経って、荷物が重いと連絡が来たので駅まで迎えに行ったら、

「だ、だれですか」
「ぶぅです」
「いや、これは()ブゥちゃんだ」
「ふふん、美容院に寄ってきたのだ」
「またか、イキリぶぅめ」

 毛先だけ切って整えた髪を明るめに染めていた。ベルボトムぎみのダメージデニムを履いて、いかにも大学デビューしたてっぽい。

「いいのかその色、接客業で」
「あ」
「……」

 得意げに髪をさらさらなびかせる手がピタッと止まる。その後アルバイト先で店長にぺこぺこ頭を下げて、なんとか許してもらった。

「メシ買って帰るか? ──おったしかに重いな」
「いったん荷物置いてきた方がいいかも」
「だな」

 歩きだしたら、ぶぅは唇をとがらせうつむき、なんだか考えこんでいる。

「……わたし、大きくなった?」
「大きくって、縦に?」
「横に」
「変わってないだろ」

 ぶぅは、身長は160cmを超えたい、体重は50kgを超えたくない、というせめぎあいを続けていた。

「……このデニム、3月までは履けてたのに、いまボタン止められないんだよね」
「ボタン?」
「──」
「ブッ」

 歩きながらぶぅはきょろきょろ見回して、上着パーカの裾をちらっと持ち上げた。デニムのボタンが外れている。下腹部がはちきれそうだ。うんちんたまらず吹き出すと、ぶぅはまっかな顔してキイキイ叫ぶ。

「ねえ! 太ったかなあ!」
「まあ毎週いいもん食ってきたからなあ」
「うんちんのせいだ!」
「これは本格的に()ブゥちゃんだな、いやデ()ゥちゃんか」
「どっちでもいいからなんとかして!」
「ひっひっひ!」

 マンションに着いて、うんちんがキャリイングバッグのコマを拭いている間、早速ぶぅはデニムからゆるゆるの部屋着に履きかえた。

「苦しかったのか」
「うん……」
「やっぱり、ちゃんと自炊しないとな」
「ママにも言われた……」

 実はぶぅ、帰省中お風呂上がりになにげなくママの体重計に乗ってみたら、ついに大台を突破していたんだ。がっくりベッドに倒れ込み、ボクを引き寄せておしりをさすりながら、

「このままじゃぽてになっちゃうよ……」

 ボクのあだ名は、ボクが太っちょだということに由来する。初めてぶぅと会ったとき、ぶぅはおしりばっかりさわってきた。その後いろいろあって「ぽて」になった。

「ま、しばらく外食も惣菜も禁止だな」
「……デザートも?」
「やめた方がいいよなあ」
「……」
「……」
「……ん〜!」

 もにょもにょうなって、掛け布団を引っ張ってガバッと自分にかぶせて隠れる。うんちんあきれて笑いながら、

「で、今日はどうする?」
「たべない」
「まじか」
「新幹線でママのおむすびと駅弁たべたし」
「それで膨れてるだけじゃないか、胃下垂みたいに」
「イカスイ?」

 うんちん説明してあげた。

「たしかに、なんかからだ、重い……」
「ちゃんとうんこ出すためにも、適度に運動しないとな」
「うん……」
「じゃあおれ腹減ったし、吉野家にでも行くかな」
「……」
「またネギ塩牛カルビ丼の大盛にするか、あっ唐揚げも頼んじまおうかなあ」
「……」
「ついでにセブンで甘いものを──」
「おながずいだ〜!」

 ぶぅバタ足、うんちんカッカと笑い、

「とりあえず散歩しながら考えるか」
「うん……」
「トランクの中、要冷蔵のものとかないよな」
「ない……」

 ぶぅはしおしお起き上がって、小ぶりのショルダーバッグの中身をごそごそ入れ替えて、しょって、二人で外に出た。

「高校のときよりドラム叩いてないからかなあ」
「それもあるかもな」
「もっと練習しよ……」
「そういや、まだサークルでライブないのか」
「あるよ、6月、新入ライブ」
「バンドはもう組んでるんだっけ」
「うん、いっしょに見学行った子たちと」
「曲は?」
「まだ一曲しか決まってない」
「メタルやりな、ツーバスは腹にきくぞ」
「え〜」

 春の宵の心地よい風を浴びながら、二人の足は国道ぞいの吉野家に向かっていた。

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