第1話

文字数 2,000文字

 人の心は最低限の生活が保障されれば豊かになるのか?それとも・・・
 豪華な応接室の椅子に腰かけているルウダとサエコの前にいる白い顎鬚の男は、二人の不安をよそに、流暢に語り出した。
「ようこそ、ユートピアへ。あなた方はこの度、第二期の募集で選ばれた方々の中のお二人です。すでに第一期の方々は体験後、全員が居住区に移り住み、今も快適に生活されております。では仕組みを説明しましょう」
 その男が語った「仕組み」とはこうだ。このユートピアは世間からは独立している。生活全てがこの中だけで完結する。貨幣は無く、自己主張が価値となる。つまり、毎日、自分の生活をカメラで撮影し、SNSでアップすることでポイントが溜まる仕組みだ。生活はただそれだけ。ポイントと引き換えに物を買うことができる。福祉や、住居の費用なども全てポイントで賄う。どんなにつまらなくても毎日一回アップすれば最低限の生活は保障される。しかし、いわゆるバズるものであればポイントはアップし、その分、裕福な生活が期待できる。そんな社会を実現したのだという。職員は全て企業側の人間で、利用者は働く必要はない。企業の収益はここの評判があがり、希望者が殺到するようになれば、のちに入居する希望者から徴収することになるらしい。宣伝目的のため、今、入る人間には一切お金がかからず、選ばれた者は幸運なのだという。
 ルウダとサエコは早速体験居住区へ入った。早くも他の体験者がスマホのカメラをあちこちで構えている。ここは予想以上に快適な世界だった。街には高級レストランが並び、生活用品は全て手に入り、カジノ、映画館、劇場、スポーツ施設もある。そして、写真や、動画を撮れば撮るほどポイントが上がっていく。この約二時間でフランス料理のコースを二人で食べられるくらいのポイントが溜まっていた。唯一、車に乗ることができなかったが、居住区ではそれも可能だという。車好きのルウダは安心した。
「選ばれたって本当にラッキーだったんじゃないか。ここで結婚式も挙げられるぞ」ルウダは興奮した。
「結婚してから来るんじゃなかったの?」サエコはまだ不安そうな表情だった。
「何を呑気なこと言っているんだ?すぐ本入居の手続きをしよう!」
 ルウダはサエコの手を引き、先ほどの白髭の男がいた建物へ早足で向かった。途中で、ルウダのポケットから何かが落ちた。
「ああ、親父の形見のキーホルダーが!」
 ルウダはキーホルダーが転がった路地の方へ追いかけた。
「あった。良かった」
 そのキーホルダーが落ちた先に古びた重厚な金属の扉があり、わずかに開いていた。
 ルウダは何となく気になり、サエコを見る。サエコも不安げに見つめ返す。ルウダは思い切って重い扉を引いた。
 そこは黴と埃の混ざった臭いのする通路で、薄暗い廊下が続いていた。ルウダは一歩ずつゆっくりと進む。サエコはルウダの腕にしがみつき、続く。ルウダがビクッと体を緊張させて立ち止まった。サエコも思わず息をのむ。そこには半開きになった扉の部屋があり、陰鬱な暗闇の中、二人の背後からの僅かな光が頭を垂れて椅子に座る老人を照らし出していた。
「ねえ、生きてるの?」そうサエコが言った時に、老人が頭を挙げた。古い傷だらけの顔が照らされる。
「ひい!」二人揃って悲鳴を上げる。
「おお・・あっちの扉が開いておったか・・・」老人は呟くように言った。
「あなたは?」ルウダがぼろきれのような服を纏う老人の全身を見ながら尋ねた。
「わしは、第一期に来た。悪いことは言わん。止めて今すぐ何も聞かずに帰れ」
「なぜです?嫌です、絶対帰りません。ここはすばらしい世界じゃないですか」
「帰らぬ覚悟か。昔のわしと同じく、鈍感じゃ・・・ならば、教えてやろう。一企業でこんなことできると思うか?これは実験じゃよ。全てを管理社会にするためのな。国民を監視するのに、何が効果的か分かるか?」
「監視カメラとか?」
「鈍感じゃのう。そんなものすぐに反発が起こる。つまり、自分の行動を自分で報告させる試みなのじゃよ。皆気付かないのだ。自慢げに自分の行動を政府に報告していることにな。評価しているのも政府側の人間じゃ。わしはそのことに気付き、皆に教えた。反発する者もおれば、そのままでいいと言う者もいた。だが、政府側は第一期の実験は失敗と判断し第二段階へ移行した。その結果、わしらは最低限のレベルでほったらかしにされ、政府は第二期の募集を募った」
「やばいな。帰って伝えよう。ありがとうおじいさん」
「鈍感じゃの。一度猶予は与えたぞ。わしは今この動画を投稿した。生活のためにな。第一期の第二段階とは、反政府の密告に対してだけ高報酬を得られるシステムなのだよ。知ってしまった君らはわしらと一緒にされるだろうさ」
 その時、背後で扉が閉じ、施錠される重く冷たい音が響き、暗闇が支配した。老人の持つスマホだけが孤独に輝いていた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み