いまわのきわで

文字数 1,993文字

 遠くで爆撃の音が聞こえる。暗闇から一発、二発と、ミサイルが高い建物に直撃して赤い閃光を放つ。少し遅れて、強い衝撃波と爆音が辺り一帯に轟いた。現実とは思えない光景が次々と展開され、なぜ自分がこんな場所にいるのだ……と、(はなぶさ)は我が目を疑った。
 なるべく低く頭を下げ、上空からの攻撃が止むのを待つ。加えて、こんな物騒な銃火器まで携えて何をやっているというのだ。

 ──おいっ! データ・センターの方がやられたぞっ!

 粉塵が舞う煙の向こう側から隊長の怒鳴り声が聞こえる。
 直ぐに伝令が下り、(はなぶさ)は顔をあげて周囲を見渡す。モタモタしていれば今度は此方がやられる番だ。死にたくない。まだ死にたくはない……。天を仰ぎ、建物の陰に向かって一気に走り出すのだった。

 ──(はなぶさ)っ、死ぬ気で走れえ!

 部隊から、ひとり取り残される(はなぶさ)。だが、何十キロという装備を身につけては無理がある。自分はしがないサラリーマン。ほんの少し前まで会社勤めをしていたのだ。喧嘩することはおろか、殴り合いすらしたことがなかった。
 そんな人間が戦場で〝殺し合い〟など、冗談にも程がある。
 ……とはいえ、四十過ぎの中年だ。直ぐに息があがってしまう。一体全体、何の因果でこうなってしまったのか。最初は「後方支援だけだから」と頭を下げられ、あくまでも体裁を繕う為の〝カタチ〟に過ぎないからと騙されたのが運の尽き。あれよあれよと話が二転三転し、気づけばこのザマだった。

 ──次の瞬間、後方で何かが爆発した。

 一斉に視界が真っ白になり、身体が大きく跳ね上がる。
 ああ、これで死んだな。という、つまらぬ感想だけが脳裏を過った。至極くだらぬ人生だった。人目を気にして、貧乏くじばかりを引かされていたような気もした。
 そんな意識が遠のくなか、向こうで昔の友人たちが笑っている。十六歳ぐらいだろうか。大きく手を振って手招きしていた。そういえば、別れた妻との間にできた娘も今年で十六歳だったような……。

 ──ふと目が覚めると、隊長が心配そうに顔を覗き込んでいた。

「おおっ! ついてたな。軽い脳震盪(のうしんとう)だってよ」
「あれ? 死んだんじゃ……?」
「残念ながら、あの世ではないな」
「……参ったな、死に損ねた」
 (はなぶさ)は起き上がり、身体の調子を隈なく確認する。軽い打撲はありそうだが、動くには問題ないだろう。どうやら、背中に背負っていた装備が緩衝材になり、衝撃を和らげてくれたようだった。
「ほれ、煙草だ。とりあえず一服しろ」
 (はなぶさ)は少し躊躇した。「あっ、どうも……」
「なんだ、禁煙中か?」
「五年ほど禁煙してたんですけどね。……でも、吸いますわ」
 と、(はなぶさ)は煙草を受け取り空を見上げる。ぼんやりと月の見える静かな夜だ。他の隊員たちは索敵にでも行ったのだろうか。少し悪いなと思いつつ、廃墟になった空き地の一角で、煙草に火をつけた。
「やっぱり、美味いスね」
「遠慮なく吸っとけ。こちとら、いつ死ぬか分からん身だ」
 (はなぶさ)はニヤける。「ところで、隊長っていつから煙草を吸ってました?」
「ああ、俺は、はた……。いや、すまん。十六からだな」
 と、目を逸らし、やや歯に噛む。「親父に見つかって、殴られたりもしたな……」とも付け加えた。自分の世代ではよくある話である。そんな(はなぶさ)も初めて煙草を吸ったのは十六歳の時だった。
 人様を傷つけるな。人様に迷惑をかけるな。そんな抑圧からの小さな抵抗に過ぎなかったのだろう。就職、結婚、出産、転職、離婚、そして戦争……。清廉潔白といわないまでも、それなりに行儀良く生きてきたつもりだ。なのに、今度は〝人を殺してこい〟と命令される。全くを持って、阿呆らしい世の中だった。
「気絶中に少し夢をみましたよ。あれは十六歳ぐらいかな。なんでだろう、久々に幸せな気分になったな……」
「走馬灯ってやつだな。一番幸せな時期だったんだろう?」
「でも、馬鹿をやってただけですよ」
「ばっかやろう。それがいいんじゃねえか」
 煙を(くゆ)らせながら軽く笑い飛ばす。年齢が近いのもあり、隊長とは何かと馬が合った。この人もまた時代の犠牲者なのだろう。徴兵された経緯も国防隊に短期間所属していたからだった。
 隊長は無精髭を触り口角をあげる。「……十六歳か。そう言えば、うちの息子も同じぐらいだったな?」
「自分は娘に何年も会ってませんよ。女の子は難しいです」
「まあ、お互いに苦労が絶えないよな。うちのバカ息子は煙草ばかり吸ってるしよおっ!」
「ははは。血は争えないものです」
 隊長の手を借りて立ち上がり、遠方で燃え盛る戦禍の炎をみつめる。
 再び、断続的に爆発音が鳴り始めた。まだまだ今夜は眠れそうにない。同時に、車両を調達して戻ってくる仲間たちの姿もみえた。(はなぶさ)は手にしていた吸い殻を投げ捨て、(おもむろ)に覚悟を決めた。

 ──どのみち、死ぬだろう。今際(いまわ)(きわ)だ。

 ──十六歳。あの時のように馬鹿をやろうではないか……、と。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み