9 コルトレース王国 レイマール湖 ゼルハド
文字数 2,542文字
おいで。
あたしは魔法陣に薬を盛って、火をつけた。
煙に引き寄せられて、ひいひいと喚 きながら船が桟橋へと身体を寄せる。
「いい子だ」
あたしはマントの裾 を持ち上げた。手すりをつかんで、デッキに乗り移る。骨がきしみ、息が上がって、まったく嫌になるね。
『な、何しに来た⁉︎』
「おだまり!」
あたしは船内に入り込んで、曲がっていた背筋を伸ばすと、深呼吸した。マントが力を取り戻し、エネルギーを吸い上げていく。シワが伸ばされ、髪は艶 を取り戻し、気力が湧き上がる。
素晴らしい! エネルギーがみるみる集まってくる。すぐに美しいドレスに身を包むと、船の中を見て回った。
ごちゃごちゃと落ち着きのない内装。ちぐはぐな家具。
「おや? 隠れていないで出ておいで」
ブーツはガタガタと震えている。
「かわいそうにねえ。あんたは喋れないのかい。身分を明かせない魔法だね。にしても、ブーツの部屋にしちゃあ、立派すぎるよ。この部屋はあたしが使ってあげる」
よくよく考えれば、どうしてベッドなんかがあるんだい? ブーツのために?
ああ、力がみなぎる!
「まずはベッドだ!」
ぐるんとベッド生まれ変わる。金属で縁取られた光るフレーム。紫の艶 やかなシーツ。枕には羽がたっぷり。仕上げにふかふかの布団を真紅に染め上げる。ドーシュの魔法が通っているだけあって、すぐに理想の姿に変わっていく。楽しいねえ。
「次は机だよ!」
邪魔 な本を部屋の外に放り出し、立派な化粧台をしつらえる。
ーーああ、お客さんだね。
あたしは部屋を出て玄関を見た。
勢いよくドアが開くと、青い羽を生やしたドーシュと貧相 な小娘、それに小汚い犬が雪崩れ込んできた。
「あらあら」
『ドーシュー! 助けてくれ!』
ドーシュが呻 きながら身体を起こすと、羽が縮んでいった。
「大丈夫⁉︎」
娘の言葉にドーシュは大笑いだ。
「大丈夫だよ! 大丈夫だったんだ! 久しぶりに城に行ったよ!」
「ええ、よかったわ。でも、ドーシュじゃないなら、この子は?」
「わん!」
好き勝手に振る舞う客たちに、あたしは肩をすくめた。
「なんだい、デジュメールにやられたのかい。情けないねえ」
独特のオーラをまとった娘が不思議そうな目線をくれる。
「あの、あなたは?」
「まずは名乗るのが先だろう?」
「そうでした。私はシシィです」
「あたしはゼルハド。ドーシュに魔法を教えてやったのはあたしだよ」
目を丸くしながらも、ドーシュは上機嫌だ。昔から落ち着きがない子だったねえ。
「教えてもらった覚えはないんだけどね。でも今は頼みはあるんだ。シシィに魔法を教えてあげて欲しいんだ」
「嫌だよ。なんであたしが」
「いずれこの国にはいられなくなるんだ。あなたもシシィの助けが必要になる。悪くない話だと思うよ」
やはりデジュメールは魔法を独り占めする気なんだね。国中に魔法陣をめぐらせているわけだ。
ドーシュは一枚の紙を引き寄せると、あたしに見せた。
「まずは薬の作り方を教えて欲しい」
一瞥してあたしは眉根 を寄せた。
「いきなり難しいものに手を出しているじゃないか。それで、シシィ。呪いをかけられたのはいつだい?」
うじうじと、シシィは目を伏せた。右手の甲にも、うっすらと鱗がのぞいているねえ。
「五つの時です。ここよりもずっと西にあるハット村で。道で遊んでいると、魔法使いが現れて、私に呪いをかけたのです」
あたしはシシィの腕をつかんで後ろを向かせると、背中に手を当てた。
「どれどれ……。ふん。なんだか覚えがあるね。数年前まで、同じような呪いを受けた人間がよくこの国に逃れてきたっけね。まあいい。引き受けてやろうじゃないか。謝礼 ははずんでもらうよ。それで、薬草はどこだい? なかったらしょうちしないよ」
船が動き出して、湖の反対まできた。デッキに出ると、色とりどりの植物が目に飛び込んできた。
びっくりだね。なかなかの畑だ。薬草学をさぼっていたドーシュにできることなんかじゃないよ。みればさっきまで本を抱えて狼狽 えていたブーツが胸を張っている。
「すごいじゃないか。それにしても、このカゴの使い方、最近の卒業生だね?」
ブーツは飛び跳ねた。
「あんたの呪いはさらに厄介だね。さてはあんた、追放されたのかい?」
ブーツが本を取り落としてがっくりとうなだれた。
「あたしと一緒だ。やるじゃないか」
ブーツは高く飛び跳ねるようにして踊った。元気を取り出したブーツはシシィを連れて船をおりた。手すりに肘 を置いてながめるあたしにドーシュは言った。
「部屋を増やすからさ、ちょっと畑にいてよ」
「嫌だね」
「いいからさ。シシィ手を貸して」
ああ嫌だ。
シシィが手を差し出す。あたしは仕方なく船をおりた。ドレスが元のマントに変わる。力が地面に吸い取られて、身体が縮 んだせいでマントの裾があまった。
驚くシシィにあたしは言ってやった。
「今じゃ王国は魔法学校や魔法兵を賄 うために魔力を独り占めしてんのさ。あたしも落ちたもんだね。自分の魔力さえも維持できないなんてね」
あたしは近くのベンチに腰を下ろした。
リストを見て指を振るう。不要なものを消し、足りなものを書きこむ。白く曲がった爪にがっかりしつつ、あたしはリストを指で叩いた。
「にしても、これは無理だね。こいつ。ブレイストウは手に入らないよ。魔法学校が買い占めているレベルだからね。ドーシュに盗ってきてもらうしかないね」
シシィがびっくりした顔を見せる。
「他に方法はないの? ドーシュはあまり変装が上手くないのよ」
「この国を出られない以上、正攻法は通用しないよ」
ドーシュが新しい窓からひょっこり顔を出した。
「シシィたちに変なこと教えないでよ」
「魔法は全部変なことだよ!」
確かに変なことだって言ったけどさ。
増築するにしても限度はあるだろうに。犬にまで部屋を作ってやるなんて、物好きだよドーシュは。おかげであたしの部屋が狭くなったじゃないか。
部屋は広くなくっちゃ。真夜中に目が覚めちまったよ。どうにも収まりが悪くて、枕を合わせていると、船がゆっくり動き出した。
うなされているシシィから痛みを取り去って、ドーシュが船を出て行った。
まったく、恋なんてするもんじゃないね。
そうだろう? デジュメール。
あたしは魔法陣に薬を盛って、火をつけた。
煙に引き寄せられて、ひいひいと
「いい子だ」
あたしはマントの
『な、何しに来た⁉︎』
「おだまり!」
あたしは船内に入り込んで、曲がっていた背筋を伸ばすと、深呼吸した。マントが力を取り戻し、エネルギーを吸い上げていく。シワが伸ばされ、髪は
素晴らしい! エネルギーがみるみる集まってくる。すぐに美しいドレスに身を包むと、船の中を見て回った。
ごちゃごちゃと落ち着きのない内装。ちぐはぐな家具。
「おや? 隠れていないで出ておいで」
ブーツはガタガタと震えている。
「かわいそうにねえ。あんたは喋れないのかい。身分を明かせない魔法だね。にしても、ブーツの部屋にしちゃあ、立派すぎるよ。この部屋はあたしが使ってあげる」
よくよく考えれば、どうしてベッドなんかがあるんだい? ブーツのために?
ああ、力がみなぎる!
「まずはベッドだ!」
ぐるんとベッド生まれ変わる。金属で縁取られた光るフレーム。紫の
「次は机だよ!」
ーーああ、お客さんだね。
あたしは部屋を出て玄関を見た。
勢いよくドアが開くと、青い羽を生やしたドーシュと
「あらあら」
『ドーシュー! 助けてくれ!』
ドーシュが
「大丈夫⁉︎」
娘の言葉にドーシュは大笑いだ。
「大丈夫だよ! 大丈夫だったんだ! 久しぶりに城に行ったよ!」
「ええ、よかったわ。でも、ドーシュじゃないなら、この子は?」
「わん!」
好き勝手に振る舞う客たちに、あたしは肩をすくめた。
「なんだい、デジュメールにやられたのかい。情けないねえ」
独特のオーラをまとった娘が不思議そうな目線をくれる。
「あの、あなたは?」
「まずは名乗るのが先だろう?」
「そうでした。私はシシィです」
「あたしはゼルハド。ドーシュに魔法を教えてやったのはあたしだよ」
目を丸くしながらも、ドーシュは上機嫌だ。昔から落ち着きがない子だったねえ。
「教えてもらった覚えはないんだけどね。でも今は頼みはあるんだ。シシィに魔法を教えてあげて欲しいんだ」
「嫌だよ。なんであたしが」
「いずれこの国にはいられなくなるんだ。あなたもシシィの助けが必要になる。悪くない話だと思うよ」
やはりデジュメールは魔法を独り占めする気なんだね。国中に魔法陣をめぐらせているわけだ。
ドーシュは一枚の紙を引き寄せると、あたしに見せた。
「まずは薬の作り方を教えて欲しい」
一瞥してあたしは
「いきなり難しいものに手を出しているじゃないか。それで、シシィ。呪いをかけられたのはいつだい?」
うじうじと、シシィは目を伏せた。右手の甲にも、うっすらと鱗がのぞいているねえ。
「五つの時です。ここよりもずっと西にあるハット村で。道で遊んでいると、魔法使いが現れて、私に呪いをかけたのです」
あたしはシシィの腕をつかんで後ろを向かせると、背中に手を当てた。
「どれどれ……。ふん。なんだか覚えがあるね。数年前まで、同じような呪いを受けた人間がよくこの国に逃れてきたっけね。まあいい。引き受けてやろうじゃないか。
船が動き出して、湖の反対まできた。デッキに出ると、色とりどりの植物が目に飛び込んできた。
びっくりだね。なかなかの畑だ。薬草学をさぼっていたドーシュにできることなんかじゃないよ。みればさっきまで本を抱えて
「すごいじゃないか。それにしても、このカゴの使い方、最近の卒業生だね?」
ブーツは飛び跳ねた。
「あんたの呪いはさらに厄介だね。さてはあんた、追放されたのかい?」
ブーツが本を取り落としてがっくりとうなだれた。
「あたしと一緒だ。やるじゃないか」
ブーツは高く飛び跳ねるようにして踊った。元気を取り出したブーツはシシィを連れて船をおりた。手すりに
「部屋を増やすからさ、ちょっと畑にいてよ」
「嫌だね」
「いいからさ。シシィ手を貸して」
ああ嫌だ。
シシィが手を差し出す。あたしは仕方なく船をおりた。ドレスが元のマントに変わる。力が地面に吸い取られて、身体が
驚くシシィにあたしは言ってやった。
「今じゃ王国は魔法学校や魔法兵を
あたしは近くのベンチに腰を下ろした。
リストを見て指を振るう。不要なものを消し、足りなものを書きこむ。白く曲がった爪にがっかりしつつ、あたしはリストを指で叩いた。
「にしても、これは無理だね。こいつ。ブレイストウは手に入らないよ。魔法学校が買い占めているレベルだからね。ドーシュに盗ってきてもらうしかないね」
シシィがびっくりした顔を見せる。
「他に方法はないの? ドーシュはあまり変装が上手くないのよ」
「この国を出られない以上、正攻法は通用しないよ」
ドーシュが新しい窓からひょっこり顔を出した。
「シシィたちに変なこと教えないでよ」
「魔法は全部変なことだよ!」
確かに変なことだって言ったけどさ。
増築するにしても限度はあるだろうに。犬にまで部屋を作ってやるなんて、物好きだよドーシュは。おかげであたしの部屋が狭くなったじゃないか。
部屋は広くなくっちゃ。真夜中に目が覚めちまったよ。どうにも収まりが悪くて、枕を合わせていると、船がゆっくり動き出した。
うなされているシシィから痛みを取り去って、ドーシュが船を出て行った。
まったく、恋なんてするもんじゃないね。
そうだろう? デジュメール。