第1話

文字数 2,585文字

【嗚咽】



 日々思っていることがある。
それは、「なんとくだらない」という事だ。

 毎日のように起きて、メシを食って、それぞれに割り当てられた「仕事」をして、たまに娯楽に興じて休息を取る。
死ぬまで、ただそれの繰り返し。

 それがどうしたという話だ。





「おはようございまーす」

「おはようございます。今日は天気がいいですね」

「ほんと。おかげで洗濯物がよく乾きそうよ。なんたって―」

 例えば、今挨拶した目の前の年配のお嬢さん。
お嬢さんって、いってもだいぶオールド・ミス。社交辞令以外のなんでもない。

ゴミ出しに行ったら運悪くばったり会ってしまい、無視するわけにもいかず愛想笑いで挨拶を交わしたわけだが、どうも話好きなのがいただけない。

今、こうして俺がムダにあれこれ状況を考えているだなんて露にも思わぬ顔をして、やれ家事が忙しいとか、やれ家族が大変だとか、自分の話しかしない。

当たり障りの無い合いの手を打って、この人との会話が早く終わらないかと願いつつ、無駄な時間を消費する。

 
 一体何の意味があるのだろう。

 アンタの家庭事情についてなんて、誰も興味がないんだよ。

 ―なんて言おうものなら、俺はこの一帯の主婦どもに、いいカモにされることは目に見えている。だから、ムダでもなんでも、自分の何かを犠牲にして、目の前の人の娯楽に付き合わなくてはいけない。

『他人の不幸は蜜の味』誰が考えたんだそんな迷惑。状況は到って劣勢。変わり映えのしない毎日の中で、オールド・ミスたちの娯楽といえば、もっぱら他人の悪口でしかないらしい。

同じように別の機会、たまたま通りかかったミセスたちの塊を横切ったとき、眉間に皺を寄せるような事が、幾度と無くあった。

つい先ほどまで仲良くしていた近所の主婦の悪口を、平気で別の主婦仲間の間であげるのだ。まぁそれくらい、ガキでもやるような事ではあるが、大人って奴になると殊更タチが悪い。厭味だけならまだいい。悪口だけならまだいい。世間体を気にするだけあって、さすが「世間」を利用して責めてくるのだ。

あからさまな目線、奇異の眼差し、噂の拡張、事実の歪曲嘘の捏造、それだけでもさすがいやらしいと褒めたいところだが、ターゲットだけならまだしも、取り巻く環境(家族)にまで影響を与えるように、色々出てくるくだらない噂話。

 子供は、すぐに親の言うことを真に受ける。そして、それをネタに知りもしない言葉で無邪気という悪で、他者を攻撃して廻る。親も狡猾、子供のタチを利用して「まぁそんな事いっちゃダメじゃない」笑いながら、否定をしない。注意をする素振りを見せて「ああはなっちゃだめですよ」意味がわからないと高を括った高慢さで、広げてゆくのは親の主観。

昼間居ないダンナなんて、恐くない。上司と部下の関係だったら最悪だ。そうじゃなくても知名度を気にして、自分たちが偉いわけでもない他人の権威を、さも自分のもののように嵩に着て、自分は正しい・自分は優れていると勘違いして他者を甚振る。

ヘソを曲げたら大変なのは、むしろこういったオールド・ミスたちなのだ。



 だから、人付き合いが面倒でも、こういったささやかな場面においても「面倒を防ぐ」ために愛想は忘れない。



 俺は27にもなって独り暮らしで、別に女もいないし連れ込むこともないが、ただ1点「若い」というだけで、ここいらのオールド・ミスたちへの娯楽のひとつにされている節がある。
 なにかっていうとかまってくるし、なにもなくても声を掛けられ、こちらが逃げる暇も与えられぬままに腕をつかまれる。
最近はボディタッチも増えてきてる気がするし、一人がやりだしたら俺のような根無し草もどきであっても若い燕に見えるのか。構ってくれ、お話ししましょう、楽しいことしましょう。押し売りが酷い。



「それじゃ、そろそろ」

「あらっ、すっかり立ち話につき合せちゃったわね。頑張ってね。いってらっしゃい」

 そういやこのマダム、先月からジムに通い始めたと言っていたはずだが、肥えた気がするのは誰の金だろう?

俺はバイトへ行くために、一度自分の根城に戻りながら、すでに顔も忘れた人の体格だけを思い出した。


 なあ、俺はいったい何のために生きているんだ?
ただ人生を浪費するため?
精神すり減らして?
毒にしかなりゃしない世間体気にして生きて、疲れちゃって?

 こんなはずじゃなかったんだ。
 俺にも昔はなにか、あったはずなんだ。

 将来の夢?
そんな不確定なモン、学校の書類提出で適当に書いた覚えしかない。

 なぁ、いつかの俺。
俺はいったい、何者になりたかったんだ?
少なくともこんな、紙みたいなクソつまらねぇ毎日を送るために生まれてきたんじゃねぇはずだろ。

 なぁ、そうだろ?



 駅のホーム。
バイト先へ向かうための路線でも、近代化が進み、事故防止のために今度ホームドアを造るのだという。
足元には、その場所をしめす黄色いテープが目の不自由な人へ向けるでこぼこしたオレンジの正方形の道の上にもかかってた。
完成はいつだろう。
 電車がホームに入ってくる。
品行方正、無遅刻無欠勤、周囲からの印象もそこそこ良好。
そんな俺は
身体を線路の上へとトンッと軽くジャンプした。
タイミングはばっちり。
すぐにドンッと重い音が全身を叩きつける。
これで、俺は何かになった気がした。
なれる気がした。
保険には入っている。一番影響の少ない時間帯だったけれど、受取人の両親はそれでなんとか鉄道会社に損害金を支払うことはできるだろう。
 何もない俺だった。
 最後の瞬間を迎えさえすれば、何か、変わるんじゃなかろうか。

そんな甘い考えで、俺が俺を見つけられるはずもなかった。なんて、
―――バカダナ、オレハ。

ああ、そうだ。ならばせめて
産んでくれた事への礼くらい、してもよかったな。

指先一つさえ動かなくなった俺の人生は、きっともうすぐ終わるだろう。
生きた理由も何もない、空っぽの俺だったけれど、この年まで生かせてくれた両親は、ちゃんといてくれたんだから。

こんな終わり方しか見つけられなくて、ごめんな?
親父、おふくろ。

<完結>
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