第1話

文字数 1,980文字

「ジリリリン!」
けたたましい音がどこかで鳴っている。やかましい音だ。俺の腹の上はズシンズシンと重い。目を覚ますとそこには三毛猫のタマがいる。もうすっかり家族の一員だ。キッチンからは妻が料理する音が聞こえる。美味しそうな良い匂いだ。

「佐藤くん、また寝坊なの?寝坊で遅刻ってこれで何回目?全く、小学生じゃないんだからさ!」
おばさん上司に毎日のように怒られる。だが、怒られるのは俺だけではなかった。
「また猫が遊びに来てるし。ここアンタの家じゃないんだからね。全く・・佐藤くんも問題児なら、この猫ちゃんも問題児ね。」
おばさん上司は俺と猫を交互に見ながら、ウンザリするように吐き捨てるように言った。
「ホント、問題児だわ。佐藤くんといい、この猫ちゃんといい・・・。」
その問題児の猫はというと、同じく問題児の俺の足元に擦り寄り妙な連帯感が生まれる。
「いや、俺が問題児なのは分かりますけど、この猫は・・・。かわいいじゃないっすか。俺好きですけどね。一人暮らしだから、飼いたいまでありますよ。」
この一言が俺の人生を変えることになるとは、この時の俺は知る由もなかった。俺がこの一言を言うと、おばさん上司は目を輝かせた。イヤな予感がした。
「今言ったね?この猫好きだって。佐藤くん、この猫飼いなさい。今一人暮らしなんでしょ?朝も猫に起こしてもらいなさい。これは上司命令よ。」
「は?」
「はい、決定!今日連れて帰ってね。」
「ひ、一人でですか?」
俺が言うとおばさん上司は
「仕方ないわね。じゃあ、特別に私も一緒に帰ってあげるから。」
おばさん上司・小林タマ子は毎日のように現れる面倒な小動物の引き取り手が身近に見つかった為か、満足そうに言った。
その日の帰り小林タマ子は
「ちょっと待ってて。」
と言うとコンビニに入って行った。はぁ、何故あんな余計なことを言ったんだろう。最悪の日だ。なんでよりにもよって猫なんかと暮らさなきゃならないんだ。はぁ・・・仕事辞めようかな。
「お待たせ〜〜。」
タマ子は上機嫌で戻ってきた。
「はい、これ新しい猫のご主人様にプレゼント。」
と言い、俺に袋を渡す。中には目覚まし時計とチョコレートが入っていた。
「はい、目覚まし時計。猫だけじゃ不安でしょ?あと義理チョコよ。ハッピーバレンタイン!」
すっかり忘れてた。今日はバレンタインデーだった。バレンタインデーのプレゼントに猫かよ。

「男性にしては意外に綺麗にしてるじゃない。」
俺の部屋に来るとタマ子は言った。
「キッチンも綺麗ね。」
「そうですかね。」
「お料理、作ってあげようか。」
「お願いします。」
俺は即答した。
「バレンタインデーだしね。プレゼントよ。」

タマ子と一緒に食べる夕食は、意外にも心地よいものだった。笑顔で会話しながら食事をするなんて、いつ以来だろう。タマ子と飲む酒も美味しかった。
「今日、ウチに泊まっていったりとかする気あります?」
俺は恐る恐る尋ねる。タマ子は突っぱねる。
「イヤ・・冗談でしょ。・・・・と言いたいところだけど、もう遅いからなぁ。いい?泊まっても?私みたいなオバサン、イヤじゃない?」
「勿論です。イヤじゃないですよ。小林さん、何かかわいいし。ほら、猫のことも心配でしょ?」
俺はタマ子を抱きしめると、タマ子は驚いて俺を振り払った。
「ダメよ。猫ちゃんが見ているでしょ。猫ちゃんが・・あ、そうそう名前をつけてあげなくちゃね、猫ちゃんの。」
「タマ子はどうです?」
俺が笑顔で提案すると、タマ子も笑って言った。
「私と同じ名前がいいの?そうだ、タマにしましょう。タマ子だと言いづらいし。」

「今日も帰りに佐藤くんの家に寄っていい?」
翌日仕事中にタマ子が小声で聞いてくる。
「いいですよ。部屋でタマと一緒に待ってます。」
俺も小声で答える。
「タマが心配だし。飼い主にいじめられていないかどうか。」
タマ子が呟く。
「そうですよね。俺がいじめてるかもしれないですもんね。心配なら毎日来てくれてもいいですよ。なんなら一緒に住んでみるとか。」
俺が言うと
「そうねえ、考えてみる。」
と意外なことを言った。結局1か月後のホワイトデーまでタマ子は毎日俺の家に遊びに来た。1か月後のホワイトデーに、俺はチョコレートと合鍵をプレゼントした。
「これ、合鍵、持ってて下さい。俺がいようがいまいが猫に好きな時間に会える。いいと思いません?」
タマ子はありがとう、と言うと俺に優しくキスをした。俺はタマ子を抱きしめた。今度は拒絶しなかった。タマ子の柔らかい身体をいつまでも抱き続けた。

翌年のバレンタインデーに俺達は入籍した。
「これからも、俺と一緒にいつまでもタマを見守り続けていきませんか。」
プロポーズの言葉としては妙な、不器用なセリフだ。だがタマ子はあなたらしいね、と言ってから、これからもよろしくお願いします、と言った。満天の星空とタマが俺達を祝福していた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み