第1話

文字数 2,820文字

『私は、あの花にとまる小さな虫になりたい』
(「変わり朝顔にとまる虫絵図」より)
若い殿様、善次郎は7歳年上の徳川の姫、福子を愛した。
善次郎が部屋に戻ると、身重の愛妻福子が花を抱いて立っていた。
「福子、何をしておる。」
善次郎が問いかけると、福子は笑って答えた。
「殿はお疲れのご様子。花を見て、疲れを癒されたらと思いまして。」
すると、善次郎は首をかしげた。
「はて、私には花を愛でる趣味はないが…。 そなたは身重、大事にしてくれ。」 しかし、福子が長男岩松を出産すると、そのまま息を引き取った。
善次郎が部屋に戻ると、何とも言えない寂しさが募った。
「そうか、花がないから寂しいのか…。」
いつも床の間にあったはずの花が、そこになかった。
「日頃は、そこにあることさえ気がつかぬ花も、
ないとこんなにも寂しいのか。」
善次郎は、嘆き悲しむと、花の絵を描いた。
「私が下手だからか、それとも狩野派に限界があるのか…。」
善次郎は、自分の花に納得できなかった。

そんな時、長崎からの異国絵に目を奪われた。
「何と言う花の鮮やかさか。 これが南蘋画と言うのか。 
私もこんな花が描けたなら…。」
異国絵、南蘋画に感銘を受けた善次郎は、狩野派の絵師 
岡岷山正武を藩士とし、江戸に派遣して南蘋画の宋紫石に学ばせた。

そして福子の死から二年後に、福子に瓜二つの福子の妹、
順子に心引かれて妻に迎えた。

そんな中、善次郎は解体新書に感銘し、医者を呼び寄せると徹底的に
解剖させた。
「漢医学は劣っている。 これからは蘭医学だ。 
国の医学の向上をはかる。 そうすれば、もう誰も死なぬ。 
もう誰も悲しまぬ。」 しかし、順子も時之丞を出産すると、福子と同じく息を引き取った。

善次郎が部屋に戻ると、やはりそこにはあるはずの花がなかった。
「花がないのは耐えられぬ。 私の部屋に花を欠かす事は許さぬ。」
善次郎は、嘆き悲しんだ。 「美しい花が枯れてしまうのは耐えられない。 
花がないのはこんなにも悲しい。」
善次郎は、岷山と共に異国絵南蘋画で、沢山の花の絵を描いた。

江戸で、変化朝顔が流行っていた。
国にはない、美しい朝顔を善次郎は描いた。
「殿は、また花の絵でございますな。」
岷山が問うと、善次郎は答えた。
「私は花が好きなのだ。 美しい花が枯れてしまうのは悲しい。
 私は枯れない花の絵を描くのだ。」
すると岷山が絵に描かれた、虫に目を向けた。
「これは、何の虫にございますか?」
善次郎は、答えた。
「この虫の名は、善次郎と言う。 美しい花が好きな私善次郎が、
花に近づきたくて、そっと止まったのだ」と。

その年から、飢饉や天災、災害が悉く続いた。
善次郎は、着物に絹を使わず、贈り物も受け取らず、
食べ物さえ始末して、その金を粟や稗に変えると民の支援に当てた。
しかし、餓死の死骸で溢れた民の怒りは止まらず、民は打ち壊しを行った。

善次郎は、疲れはてて部屋に戻ると、床の間に掛けられた変わり朝顔と
虫の絵を手に取った。
「福子、そこにおるのか? 私には何も見えぬ…。 何も聞こえぬ…。 お前に会いたい。 私は、お前と言う美しい花にそっととまる、
小さな虫になりたい。」
善次郎は、絵を抱きしめ泣き崩れた。
ある日、善次郎は家臣を呼び寄せると話始めた。
「どれほど飯を食ったところで、人の心が病んでいては
いさかいは終わらぬ。 花がなければ人は心癒されぬ。 
私は、人が心癒される花が溢れる庭園を作りたい。 
また、人は学ばねば罪を繰り返す。 
停止していた藩校を再開したいのだ。」と。

また、岷山にはこう切り出した。
「私は、藩に色鮮やかなこの南蘋画を広めたい。 
皆の心に美しい絵と言う名の花を咲かせたいのだ。 
岷山お前は弟子を取り、皆に絵を教えよ。 
そして民にはお前が諸国を回り、その風景を描く事で民と触れあい、
民の心に美しい花を咲かすのだ。」
岷山は頷くと、切り出した。
「そこで、殿の絵も広げるのですね。」 しかし善次郎は頷かなかった。
「いや、私の絵はいい。 私の絵は、城の各部屋を飾る絵でいい。
岷山、お前の絵が山をも染める満開の桜ならば
私は部屋に飾られた一輪の小さな花でいい。
今は私が藩主ゆえ、皆が絵に気を止めるが
私が死ねばただの花の絵になる。 
日頃は気がつかぬ花も、ふと疲れた時に気がつけば、そっと心癒される…。 私はそんな絵でいいのだ。」と。

その後善次郎は、藩校「修道館」を復活させた。

そして、亡き妻を思い、妻が愛した花を思い、異国絵南蘋画で花を描き続けた善次郎は、安芸の大火災で焼失した庭園を、花で溢れる庭園に蘇らせた。

善次郎は、庭園に大変な力を入れた。
特に、庭園を結ぶ橋への思いは強かった。
「この様な橋ではダメだ! これでは何ぞ起こればすぐに落ちるであろう。 作り直しだ‼」
「バカ者! この橋は大切なのだ‼ もう一度、作り直せ!」
『この橋は、美しい庭園を結ぶ。 各所をつなぐ大切な‥ 私と福子をつなぐ大切な。大切な橋。』

二度の作り直しで出来上がった庭園は、それはそれは美しい、花で溢れる庭園となったのだ。

「花があるのは素晴らしい。 これで永遠に、人々の心に枯れぬ花が咲き続けるだろう。」
善次郎は、満足そうに微笑んだ。

それから、150年がたった。

原爆が街を焼け尽くし、辺り一面焼け野はらで何もかも消え失せたが、善次郎が作った庭園の橋だけが、壊れることなく誇らしげに建っていた。
「花がないのは耐えられぬ。花がなければ、こんなにも悲しい。」

魂になった善次郎は、橋の上に降り積もった白い灰をつかむと天高くかかげた。

「私の絵も城も、全てが塵となり消え失せた。
街が、沢山の人の命が消え失せた。
しかし、だからこそ どんな時代になろうとも 
どんな事になろうとも 花を絶してはならぬ」 ─人々の心に美しい花を─

さらに40年の年が流れた。
街は賑わいを取り戻し、ビルで溢れ、人々で溢れていた。
善次郎が作った庭園もよみがえり、沢山の人が訪れた。

庭園の門は善次郎が手掛けた時と同じ形で作られ、
入り口は今は受付となり、多くの観光客が入っていく。
門をくぐれば、そこは花で溢れる美しい庭園。
歩むとあの橋、跨虹橋がある。
橋を渡れば、そこに花となった愛妻、福子が咲いていた。
「福子、何をしておる。」

魂になった善次郎が問いかけると、福子は笑って答えた。

「殿はお疲れのご様子。 花を見て疲れを癒されたらと思いまして、
こうして咲いておりました。」

善次郎は花を抱き締めた。
「ずっと待った。 200年待ったぞ、福子。」 花を描き続けた善次郎こと、浅野重晟は、
きっと妻福子と共に、この縮景園に咲き続ける花になったに違いない
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