告 白

文字数 4,999文字

いきなり謎が舞い降りた。目を覚ますと美少女が隣で眠っているではないか。
一体、どういうことなんだ?
いつもいつも頭の中でエンドレス構築していた定番妄想が、現実化したとか?
母の再婚相手の連れ子が超絶美少女で一つ屋根の下だったり、宇宙からの侵略者が壮絶美少女で一目惚れされちまったあげくつきまとわれたり、悶絶美少女の神さまが願いを叶えますと目の前に現れて恋仲になったり。
いや、違う。世の中はアニメや漫画のように美味しく話が進まないことを、俺はよく知っている。

閃いた。これは夢だ。夢や希望の夢じゃなくて、睡眠中に見る生理的な夢。
『黒髪美少女戦士ハニー』と一緒に暮らすのは、俺の夢であることは事実なのだが、どう考えても生身のハニーちゃんが顕現するなんてありえない。俺は眠ってるんだ、これは夢ってオチなんだ。
これが幻だと立証すべく、あたりに目を凝らした。
天井からは戦闘モードのハニーちゃんが、捕らえた獲物をいたぶる目つきで見下ろしてくる。
俺の左側にもハニーちゃん。こちらは日常モード。少しはずかしそうな笑みをうかべて壁を背に、全身を横たえている。
俺の部屋の特徴にくるいなしだ。天井のポスターははがれてないし、壁に押しつけられた抱き枕は俺のキスを待っている。
うん。ここは間違いなく俺のアパートの部屋で、俺のベッドだ。夢なんかじゃない。
だとしたら、なんなんだ、このセーラー服の美少女は。
どっからどう見てもハニーちゃんだ。少しくすんだ赤のリボンも、目によく馴染む紺の襟もまったく同じ。俺のハニーちゃんへの真摯なる愛にアニメの神さまが心打たれ、ついに抱き枕を実体化させたのか。
いや、枕のハニーちゃんは横にいるじゃないか。
なんでこうなった。最近、なにか変わったことしたか? 自分に問い合わせてみた。

昨日の俺。コンビニでレジを打ち、棚に商品をならべ、トイレの掃除をする。
若いやつが突然休んでシフトが空いて「いつもヒマしてるから頼りになるよ」と、けなされてるんだか褒められてるんだかわからない言葉を店長からかけられた。これはたぶん、この美少女とは関係ない。

となると、あれか。限定フィギアだ。
ニーハイ編み上げピンヒールブーツ & 龍柄激ミニ太もも丸出し振袖の戦闘服と、普段着であるセーラー服の着せ替えセット付きハニーちゃんフィギア。
可動関節三十六カ所。シリコンの充填された体は弾力に満ちた逸品だ。黒髪戦士の名に負けぬよう、サラサラでつやつやの人工毛が植え付けられている。驚愕の1/2スケール。
値段はちょっと言えない。ガチもんのマニアですら、その価格には背筋が凍る。
これはハニーちゃんへの忠誠心が試されているのだと、もっぱらのうわさだった。購入者にはものすごいシークレット特典があるとも耳にした。
思い当たるふしはこれしかない。
マニアショップの鍵付きガラス張り特選陳列棚、通称ビップシートで太もももあらわに脚を組み、いつまでも決心のできない俺に冷ややかな目をむけていたハニーちゃん。
迎えに行くことができなかったのは、金銭的な理由が八割。恥だか見栄だかわからない複雑な感情が二割。その理性の堤防が決壊したのが三日前だった。

穴を空けたのは母親だ。
誘爆に誘爆をくり返す、ちゃんと就職しなさい爆弾から逃れるため、ちょっと最近具合が悪いんだ、なんてテキトーなことを口に乗せたら、あっという間に就職の心配から体の心配になった。病院に行けとしつこくくり返すのには辟易したが、これでなにかの診断がつけば、もう就職のことを追及されることもないかも、と思い診てもらったら、運動不足のデブになんとか病名をつけようと、やたらめったらに検査をしやがって、会計で料金を聞いたときは怒りがこみ上げた。
あの医者はデーモンブラックの一味に違いない。ハニーちゃんに退治してもらわなくては。
ビップシートで待つハニーちゃんを連れ出すかっこうの理由を手にした俺は、ひそかに一人喝采を上げた。

俺がハニーちゃんに魂を捧げるようになったのには、正当な理由がある。
自慢じゃないが、女の子と口をきいたことがない。
小学二、三年のころならあったかも知れない。でも、俺の記憶の古文書は霞がかかって読めやしない。よく覚えていないんだ。
第一、そんなにいいことがあったなら、未来永劫忘れるわけがないから、きっとなかったのだろう。
中学生になると俺の個性は確立された。ボディはマシュマロ。顔は豆大福。頬に噴き出すニキビは、本当に豆そっくりだった。同じ学生服のはずなのに、俺が着るだけで途端にもっさくなるのはなぜだろう。インドアに徹しているがやたらと汗をかくし、鼻毛は伸びるのが早い。ふいてもふいてもメガネのレンズが曇るのは、皮膚から脂が蒸発しているからとしか思えない。
賢明な選択を常に志す俺は、二次元に命を燃やした。
炎は激しく額をなめ、近ごろでは野焼きを行った草原のごとし。シャンプーのたびに排水溝に吸いこまれていく髪たちをながめていると、灯りをともした小舟が川を下る精霊流しの映像が脳裏をよぎる。三十代の青年だとはだれも思ってくれない。
ならばシブさを出そうと無精ひげを伸ばしてみたところ、鏡に映ったのは鎧をまとえば完璧な落ち武者コスプレのおっさんだった。
見た目はコスプレで留まっているが、中身はリアルで敗走中。地位もなければ名誉もない。もちろん貯金もない。親の援助もない。ないない尽くしに一層の花を添えるために、言わずもがなのことを言わせてもらおう。俺は女にモテない。

今まで生きて来た中で、こんなにも間近で若い女性を見るのは初めてだ。
本物ってすごいな。
閉じたまぶたには、健やかなカーブを描くまつ毛がきちんと等間隔で生えている。見ているだけで柔らかさが指先に伝わる耳たぶは、天使の羽根の綿毛よりも細やかな産毛におおわれている。うすい明かりにも光沢を失わないピンクのくちびるに目が釘づけだ。「桜貝」という文言が頭の中を浮遊する。見たことないけど。

なぜここにいる? と疑う気持ちも忘れてのぞきこんでいると、パチリと音が聞こえそうな勢いでまぶたがあいた。やや茶色い瞳に俺の顔が映っている。
吸いこまれた。心が全部、魂を根こそぎ、精神を跡形もなく。
一目惚れだ。
おかしいか、三十を過ぎたおっさんが実体のある三次元の少女に恋をするのが。
人からなんと思われてもいい。さあ、この気持ちを伝えるんだ。毎日朝晩、抱き枕に言葉を尽くしているではないか。「好きです」なんて短いセリフを唱えるなんぞ、ちょろいもんだ。
が、「好きです」と言うべき口は「だれ?」なんて愚問を投げ掛けている。情けなし、俺。
自分の部屋で、しかもベッドの上で、憧れのハニーちゃん生き写しの女と一対一で向きあっているのに、愛の言葉一つささやけぬとは。

「すごいですね」
俺の問いはハニーちゃんにとって、答える価値ゼロのようで無視された。でもいい。
鈴をころがすような声って、こういうのだな。こっちのほうがいいじゃないか。声優の作り込んだ声よりも、清純なハニーちゃんに似合ってるよ。
背中をシーツから離したハニーちゃんは、部屋の随所随所に視線を止める。
ポスター、掛け時計、タオル、Tシャツ、うちわ、キーホルダー、イラスト集、映画のパンフ、棚にならんだフィギアたち。そしてクッションの上で愛らしさをふりまく黒髪つややかな特大フィギアにも。
昨日、どのポーズが一番かわいらしいか三時間みっちりと検討した結果、セーラー服をまといあごの下で軽くにぎった拳をそろえて横座りをする、に決定した。流れるスネが美しい。あまりの愛らしさに舞い上がり、俺は盛大に祝杯をあげたのだった。
「こうでしょうか?」
実写版ハニーちゃんが同じ恰好をする。はああああ、たまらん。
三次元の女にこれほど胸がときめくのは中学生のとき以来だ。俺の落としたシャーペンを、教育実習でやって来た先生がひざを折って拾ってくれた。かがんだ胸もとからのぞいた谷間にズガンとやられた。シャーペンを机におきながら、小さく首をかしげて先生がほほ笑むと、俺のハートは昇天だ。つやつやのくちびるが忘れられない。
実習が終わって帰るときに告白するぞ、と思ったが、当然その青く美しいエモーションは大切にラッピングされ、胸の奥底に収納されている。
あれは中学生だったから、まだ子供だったから、勇気がなかっただけなのだ。今の俺はガキじゃねえ。さあ、言うんだ。
が、「好きです」と言うべき口は「どうやって入ったの?」と、謎の究明に勤しんでしまう。しかも上ずった声で。嘆かわし、俺。
女の子と口をきくことに緊張しているのは、ベッドについた腕が小刻みにふるえていることからも確かなようだ。

「あ、ここにもグッズがありましたね」
俺の問いはハニーちゃんの鼓膜にとって、振動ゼロのようで無視された。でもいい。
俺の体の影に隠れていた抱き枕を凝視する面ざしは、戦闘前のシリアスさを忠実に再現している。近くで見られて満足っす。
「こうでしょうか?」
上目遣いで優しく口もとを上げた。うおおおお、最高だあ。
毎夜、俺が真心を告げる抱き枕ハニーと同じ顔が目の前でしゃべっている。
「好きです」と今度こそ言おうと心に決めてくちびるを「す」の形につき出した刹那、ハニーちゃんの顔から笑みが消えた。
眉をよせ、ある一点を視線が貫く。鋭い目つきは戦闘モードに入ったハニーちゃんそのものだ。
「くちびるのあたりが、くすんでいますね」
俺の? と思ったが刃となった視線は、俺にはかすりもせず通りすぎている。俺の後ろにあるものといえば、ハニーちゃんの抱き枕だ。
夜ごとの愛を受け止めるクッション性の高いハニーちゃんのくちびるは、かすかに変色をしている。「キスしているからだよ」なんて言うことはとてもできない。
解答にたどり着いたのか、美少女戦士はピカンとライトがついたような顔をした。かと思ったら、さらに眉間のしわが深くなり、敵にとどめを刺すときのサディスティックな色が瞳に走る。
くう、ご褒美すぎる。清純な乙女に内包された凶暴性。
黒髪で、美少女で、戦士なハニーちゃんのコンセプトをとらえまくっている。やっぱり本物だよ。この子が誰だとか、どうやって入ったのだとかを解き明かすなんて二の次だ。今はこのたぎる想いを打ち明けることが先決だ。ここで告白しなければ男じゃない。
「好きです」
キーの外れた裏返しの声だった。
が、ちゃんと言えた。生まれて初めて、告白できた。三次元の女の子に告白したぞ。やった。俺はやったんだ。告白したんだ。やっほー。これで俺も一人前だ。なんか人生やり直せる気がしてきたぞ。

「ひと晩となりに寝てた女に手を出さなくて、いきなり純愛モードで好きですなんて言われてもねえ」
清らかな大和撫子の化身であるハニーちゃんが、はすっぱになった。急にどうしたの? 思考がまったく追いつかない。
「あたし、頼まれてここに来たんだけど」
頼まれた? またもや謎の発生だ。いかにも下手人はだれだ、という顔をしていたのだろう。俺が推理をする間もなく、さっさと答えが飛んで来た。  
「あなたのお母さんよ」
なるほど。母親ならアパートの鍵は持っている。三日前だってこの部屋の真ん中で正座をさせられて、説教食らったじゃないか。
「ウソでもいいから、彼女になってやってくれって頼まれたの」
この恰好もね、とリボンをつまんでヒラヒラとさせる。
「四カ月もつきあうのはムリって断ったら、せめて添い寝だけでもってね。いい表現だよね、添い寝って」
のどぼとけがゴクンと動く。それって、もしかして。
「でもあなた、酔っぱらてて、ゆすっても起きないんだよね。だから本当に添い寝になっちゃった」
ちろっと舌を出して笑う。かわゆい。女の子から笑みをもらえたなんて、何年ぶりだろう。
添い寝のことはものすごく気になるが、いきなり押し倒すのは紳士としてあるまじき行為。もう少し会話を楽しもう。また一つ疑問が生じたことだし。俺もついつい頬がゆるんで、明るい声が出た。
「四カ月ってなに? なんでそんな中途半端な期間なの?」
「ああ。あなた知らないんだ、病院の検査結果」
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