チョコという名の猫

文字数 1,560文字

 土砂降りの雨が降る日、アパートで同棲している彼女、流歌が黒い子猫を拾ってきた。
「ねっ、可哀想だし家にいれてあげようよ」
「無理、ネコ嫌いだから」
「でも雨だし、死んじゃうかも」
「それで死ぬんだったらそいつの運命がそこまでだっただけだろ」
 どんなに駄目だ、といっても流歌は一歩も引かず、最終的には家を出ると言い始めた。結局僕の方が先に根負けし、一日だけと条件を出して、猫を家に入れた。
「よかったね、お前。…う~ん、やっぱりお前じゃなんか嫌だな~。そうだ、名前つけてあげてよ」
「なんで僕が」
「ほら、いいから」
「じゃあ、ネコ」
「だめ」
「…はぁ、クロ」
「ちょっとありきたりかな」
「なら流歌が決めろよ」
「いや、ゆうが決めて」
「…チョコ」
「えっいいじゃんチョコ、かわいいじゃん」
 猫はチョコを食べると最悪死ぬ。猫にとってチョコレートは毒薬なのだ。それを知っていて、あえて嫌味らしく名付けた。その名前をどうやら流歌は気に入ったらしい。
 そんなことも知らないで猫を保護しようとした流歌の適当さ加減に、大丈夫なのだろうかと思った。

 ピピッと目覚まし時計が鳴り、目を覚ます。まだ寝ぼけた眼のまま部屋を見渡すと、流歌がチョコに餌をあげていた。時刻は6時半、いつもは目覚まし時計だけでは起きられず流歌に起こしてもらうのだが、今日の流歌はチョコに夢中だったらしい。
「あれ、今日は一人で起きれたの?えらいえらい」
「ん」
 朝食を食べて、身支度をし、出社しようと玄関へ向かう。
「その猫、元居た所に返して来いよ」
 それだけ言うと僕は返事を待たずに会社に向かった。

 仕事を終え、家に帰るとチョコはまだいた。ため息を吐きながら、一言を言おうと流歌の方を向いたが、涙ぐんで何かを言われ、結局また僕が折れた。
 それからは毎朝、僕は流歌ではなく目覚まし時計の音で起きるようになった。僕が起きる時間である六時半は、チョコの餌の時間となり、流歌にとっての優先度はチョコの方が上になったらしい。
 しかし、目覚まし時計で起きれるようになったことを流歌は喜んでいた。
「ゆうは他はしっかりしてるけど、朝起きるのだけは苦手だったからね。これで一人でも起きれるから、私が死んでも平気でしょ」
「なんだそれ」

 それから、月日が流れ、チョコも大きくなった。相変わらず、僕は猫が好きではないから、必要最低限の干渉しかしないため、チョコもそれがわかって、流歌にしか懐かない。
「それじゃちょっと買い物いってくるね」
 それが流歌と交わした最後の言葉だった。
 買い物の帰り、飲酒運転の車が歩道に侵入し、流歌を含めた数人を巻き込んだ大きな事故を起こした。近くにいた近所の子供を庇い、流歌は即死だったらしい。
 辺りにはその日の夕飯になるはずの食材と、袋が破れたキャットフードが散乱していたと後から聞いた。

 チョコを知人に預け、流歌とのお別れを済ました頃には、心が空っぽになっていた。悲しみや怒りなどよりも、酷い喪失感が襲い、ただただ何も考えられなくなっていた。
「案外泣けないもんなんだな」
 結局、なんだかんだでチョコを捨てることが出来ず、チョコと二人でアパートに帰ってきた。
「今日から僕と二人きりだからな、面倒かけるなよ」
 別に愛着もないし、好きでもない。だけど、責任を持って最低限の世話はするつもりだった。
「また明日から仕事だし、もう寝なきゃ」

 頭を何かが引っ掻くかのように叩く感触で目を覚ました。ピピピッピピピッと目覚まし時計はしつこく鳴っている。時刻は七時、寝坊した。
 頭を叩いていたのはチョコであった。定刻通りの餌がなく、お腹を空かして僕を起こしたらしい。
「にゃあぁ」
 チョコがニャアと鳴いた。後ろでは目覚まし時計がピピピッピピピッとうるさく鳴っている。僕は流歌がいないことを実感して、泣いた。
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