存在意義がない、という存在意義

文字数 2,625文字

「冷めると勿体ないから早めに食べてね。もしマズかったら遠慮なく言ってね。食べたいものがあったら言ってね。もし私の料理が嫌だったらデリバリーを頼むから直ぐ言ってね。勿論言うのが嫌だったら紙とかに書いてもらったら分かるから・・・」

 母さんがドア越しに話かけて来ているが、俺は返事をしない。そして母さんがそれに対して不満を言う事もない。何故ならここ10年くらいずっとその調子だからだ。

「自分のペースでいいからな」

 父さんの声だ。リビングから階段を上がって来たのだろう。

「あ、もしかして紙とペンがなかった?取って来ようか?」
「いや、きっと持っているだろうし、急かすことはない。自分のペースでやらせてやろう・・・」

 父さんのその言葉を最後に、声はしなくなった。それで俺は少し気が楽になった。

 もういっそのこと、母さんも父さんも俺の存在を忘れてくれれば気が楽なのに。家族が俺を「居ないもの」として扱ってくれれば、俺もこの罪悪感から救われる。しかし今日もご飯は用意してくれるし、二人は声をかけてくれる。

 10年間も引きこもりをやっていると、夢と現実の境界が段々なくなってゆく。夢は起きている間に脳に入って来た情報を整理する為に見るものらしいが、俺は部屋に籠りっぱなしでインターネットを弄ることもしないので新しい情報を入手することもない。だから嫌な汗をかいて体を起こした時に初めて、それまで自分が眠っていたことに気が付く。

 寝ても起きても、俺はこの暗がりの中で周囲からの無数の憐れみと失望と嘲笑の視線を感じ続けている。その視線の数は、引きこもり始めに比べて今の方がずっと多い。最初は家族の目線が痛かった。それに同世代のちゃんと働いている人々の目線が加わり、俺を「食わせている」、社会の人々の目線にまで広がっていった。それが終わると、目線は近くの人のものから鋭く尖っていった。

 今も俺に向く視線たちが俺の気道を握り、社会に貢献する力を摩耗させ続ける。そしてまた貢献していない自分を自覚する度に周囲の視線は鋭くなってゆく。

 自殺する勇気が沸かないので、毎日飯を食い、トイレに行かなくてはならない。ただの金を排泄物に変える機械となっているという自覚がまた、「せめて死んだ方が親孝行だ。社会の為だ」と視線を尖らせる。そうするとやっぱり体が重くなって動けなくなる。

 寝ても覚めても見ている永遠の悪夢は、悪循環を起こし続け、年月が経つ程に俺が部屋から出て行く力を奪い続ける。10年経ってしまった。俺は最早部屋を出る力を失ってしまった。

 時々、視線以外の夢を見ることがある。しかしそれは決まって良い内容ではない。

 蛍光灯に通う電気の、「ジジジジ」という音・・・煙草の匂い・・・回る古い天井・・・同僚の青白く扱けた頬・・・上司の止まらない唇と歯・・・宇宙のように膨らみ続ける「やることリスト」・・・それらが鮮明に、何週も何週も、繰り返し、そして猛烈なスピードで登場する夢である。

 俺はその夢を見る度に後悔する。精神を病んで会社を辞めた後、無理やりにでも自分に言い聞かせて、上司から貼られた「何の役にも立たない奴」というレッテルを張り替えるべきだったのだ。そうすれば転職してやり直すことができた。俺は、「何の役にも立たない奴」だからどこにも行き場がないと間に受けて社会との繋がりが断ち切れることを望んだ。しかし結局それは無理だった。視線は今この時も尖り続け俺を痛めている。完全に社会から離れることなど不可能だ。俺は、「孤立」という形で社会と繋がってしまっている。

 遠くから家族の笑い声が聞こえて来る。しかしその笑顔は俺のせいで100%のものではないだろう。自分の責任であるのにも関わらず俺は家族に、そして社会に対して何も責務を果たせていない。そしてそうゆう自覚がまた周囲の目線を鋭くして、俺は力を失ってゆく。

 結局俺は正真正銘の、「何の役にも立たない奴」になってしまったようだ。

 

 引きこもりの息子がいるその家庭では、息子の思惟とは裏腹に父と母が心からの笑いを発していた。夫婦は電気プレートの熱が上がったことを喜んでいた。

「本当にあの子は便利ねぇ」
「ああ、ちょっと追いこんだら直ぐこれだよ」

 その家は数年前からオール電化になっていた。また生活上必要な電気は全て自家発電で賄っていた。太陽光発電や地熱発電等では全てを賄うことはできなかっただろうが、夫婦が使っている発電方法は、ここ数年で流行り出した、「引きこもり発電」であり、息子は暮らすのに十分な、そして時には電力会社に買い取って貰える程のエネルギーを発しているのだった。

「引きこもり発電」の理屈はこうである。 

 通常、人間というものはいつまでも部屋に籠ってはいない。何年も引きこもりを続ける人間は、社会からの斥力を感じている為引きこもり続けており、そしてその斥力は引きこもっている当人自身が発しているものである。つまり引きこもりは体からエネルギーを発している。そしてエネルギーならば電力に変えることが可能だということである。

 夫婦は試しに「引きこもり発電」用の装置を息子の部屋に取り付けてみたところ、想像以上に息子がエネルギーを発していることが分かり、行幸した。そしてそれ以降暮らしを息子の電力に頼っている。

「引きこもり発電」のデメリットとして、引きこもっている人間の気分に依るので発電量が不安定であるということが挙げられたが、夫婦は電力が欲しい時に、あえて優しい言葉を息子に与え罪悪感によってエネルギーを発させることにより、この問題を解決していた。

 他にも「引きこもり発電」は本人に知られてしまうと発電力が落ちてしまう為、身内を騙すことになるという、使用者が乗り越えなくてはならない罪悪がいくつかあった、これに対する罪の意識から挫折をする家庭もあったが、この夫婦にその罪悪感はなかった。

「この前夜中にトイレ言ったらね、あの子、うなされてたのか、『俺は何の役にも立たない奴だ』って言ってたわよ」
「まあ実際10年働いてなかったら外に出ても使い物にならんだろ。だからこうゆう風に自覚はなくても役立ってくれる方が社会の為なのさ」

 そう言うと二人は、息子によって熱々になった電気プレートで焼かれた高級肉を食べながら笑い合った。
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