妹の未来を願う兄
文字数 1,999文字
公園のブランコで力なく漕ぐ妹を見つける。反省しつつも、未だに悩んでいる様子。
穏やかな声音を意識して、妹のミズキに声をかける。
「ここにいたんだな。母さんたちも心配するだろ。帰るよ」
「……お兄ちゃん」
家を飛び出した時はまさに怒号を飛ばしていたというのに、今はすっかり意気消沈の域だ。
「どうして、お兄ちゃんは大学進学しないの」
まだ例のことで納得していないらしい。
ミズキが家を飛び出した理由。
家族で出した結論に反対なのはミズキだけ。普段から贅沢を言わないミズキが大声を上げた時は驚きのあまり、家を出ていくまで反応が出来なかったくらいだ。
とにかく、妹を説得しなければならない。
さらに距離を詰める。
「そーだな。お兄ちゃんの学力じゃ難しいから、かな」
「だって知ってるよ。いい点数のやつは隠してるもん」
「いやいやミズキも見てきただろ。50点も届いてないテストばっかりだって」
「模試の全国順位すごいじゃん」
親にも隠していたのに……まさかバレていたとは。ということは親にも勘付かれてるかも。
実際進学したいのも確かだ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。兄として。
「なんにしても進学はしないよ」
「私の、せい……? だったら私が公立にいけば──」
優しく、妹の名前を呼んで制止する。言わせてはいけない。
「ミズキはスケートしたくないのか?」
「……したくないよ。だから」
「うそだ。だって知ってるんだぞ。ミズキがスケート大好きなこと」
小さい頃から励んできたスピードスケート。
一緒に滑ったり遊んだりしたこともあったのだ。好きでなければ数年も続けられないし、数々の大会で優勝もしていない。
高校で続けるには近くのクラブに入るか、強豪校に入るかしか道はない。そこに、この近くに強豪校はあってもクラブがない、という条件を考慮すると。選択肢は絞られる。
追加条件として、うちは裕福でない。俺の大学進学とミズキの高校進学。どちらもは無理だ。
遠方で探すにしても、強豪の私立が徒歩圏内にあるのだからわざわざ選ぶ強い理由もない。
となると、ミズキがスケートに打ち込むのなら強豪の私立高校。その一択。
何も言い返せない自分が悔しいのか、ミズキは俯いた。隠せないほど多量の涙を流す妹に胸が苦しくなった。
妹を泣かせてしまうとは情けない。兄失格だ。
自分を叱責し、顔を覆うミズキの両手をそっと掴む。
「ミズキ、聞いてくれ」
「……なに?」
「お兄ちゃんはな、ミズキがプロになれると思ってる」
そんなことないと首を振るミズキに、そんなことはないと返す。
「ミズキはプロになれる、なってほしい」
「……いいの?」
「お兄ちゃんのことはいいんだ」
兄の諦観に近い感情を感じ取ったのか、傷つき今にも壊れそうな表情を見せる。
違うぞ。頭を撫でて不安を和らげる。
目を合わせ、しっかりと伝える。
「ミズキの才能は本物だ」
俺なんか到底届かないくらい。
「ミズキの才能には未来がある」
すぐには潰えないほど。
「父さんも母さんも俺も、そう思ってる。だから私立高校に行っていいんだよ」
「で、でも! もし私が失敗とかしてダメだったらお兄ちゃんは……」
「それは絶対にない」
信じてるから。失敗するだなんて俺たちは微塵も思っていない。
ミズキの才能も、メンタルの強さも、スケートにかける情熱も。
ミズキを信じてる。プロになるに決まってる。ただそれだけで十分なんだ。
安心させるように泣きじゃくるミズキを抱きしめる。
「ミズキならできる」
「お兄ちゃん……」
「自慢の妹で、母さんたちにとっても自慢の娘なんだから」
「……ご、めんなさい」
ぎゅっと俺にしがみつくミズキが謝罪の言葉を口にした。
そうじゃない。妹が謝るのも違うだろ。
「『ごめん』よりも『ありがとう』の方が嬉しいんだぞ」
「お兄、ちゃん……ありがとう」
ぐちゃぐちゃになった笑顔でやっと言ってくれた。
全部が全部納得できたわけでもないだろうけど、ひとまず説得は出来たはずだ。
「ああ。……じゃあ帰ろうな。母さんも夕飯作って待ってる」
「……うん」
ミズキをおんぶして、帰路につく。
練習後にこの公園までダッシュしてきたんだ。疲れたに違いない。早くも背後からはすやすやと寝息が聞こえてくる。
「今日もお疲れ」
俺の背中で眠ってしまった妹に思いを馳せる。
俺は諦めた。だから俺の未来と時間を差し出した。
ミズキには圧倒的な才能がある。
そして俺は賭けた。それでもまだ足りないくらいの価値があると本気で思うから。
筋違いにも俺の分までと願ってもいた。早々に見切りをつけた兄が何を今更とも思えるが、できるのはこれくらいしかない。
せめて、妹の未来まで諦めるようなことはあってはならない。
兄だから妹を思う、のではない。
妹をしっかり思ってこそ、兄と名乗れる、勝手ながらそう心に刻んでいる。
兄ならば、それだけは絶対に譲れない。
穏やかな声音を意識して、妹のミズキに声をかける。
「ここにいたんだな。母さんたちも心配するだろ。帰るよ」
「……お兄ちゃん」
家を飛び出した時はまさに怒号を飛ばしていたというのに、今はすっかり意気消沈の域だ。
「どうして、お兄ちゃんは大学進学しないの」
まだ例のことで納得していないらしい。
ミズキが家を飛び出した理由。
家族で出した結論に反対なのはミズキだけ。普段から贅沢を言わないミズキが大声を上げた時は驚きのあまり、家を出ていくまで反応が出来なかったくらいだ。
とにかく、妹を説得しなければならない。
さらに距離を詰める。
「そーだな。お兄ちゃんの学力じゃ難しいから、かな」
「だって知ってるよ。いい点数のやつは隠してるもん」
「いやいやミズキも見てきただろ。50点も届いてないテストばっかりだって」
「模試の全国順位すごいじゃん」
親にも隠していたのに……まさかバレていたとは。ということは親にも勘付かれてるかも。
実際進学したいのも確かだ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。兄として。
「なんにしても進学はしないよ」
「私の、せい……? だったら私が公立にいけば──」
優しく、妹の名前を呼んで制止する。言わせてはいけない。
「ミズキはスケートしたくないのか?」
「……したくないよ。だから」
「うそだ。だって知ってるんだぞ。ミズキがスケート大好きなこと」
小さい頃から励んできたスピードスケート。
一緒に滑ったり遊んだりしたこともあったのだ。好きでなければ数年も続けられないし、数々の大会で優勝もしていない。
高校で続けるには近くのクラブに入るか、強豪校に入るかしか道はない。そこに、この近くに強豪校はあってもクラブがない、という条件を考慮すると。選択肢は絞られる。
追加条件として、うちは裕福でない。俺の大学進学とミズキの高校進学。どちらもは無理だ。
遠方で探すにしても、強豪の私立が徒歩圏内にあるのだからわざわざ選ぶ強い理由もない。
となると、ミズキがスケートに打ち込むのなら強豪の私立高校。その一択。
何も言い返せない自分が悔しいのか、ミズキは俯いた。隠せないほど多量の涙を流す妹に胸が苦しくなった。
妹を泣かせてしまうとは情けない。兄失格だ。
自分を叱責し、顔を覆うミズキの両手をそっと掴む。
「ミズキ、聞いてくれ」
「……なに?」
「お兄ちゃんはな、ミズキがプロになれると思ってる」
そんなことないと首を振るミズキに、そんなことはないと返す。
「ミズキはプロになれる、なってほしい」
「……いいの?」
「お兄ちゃんのことはいいんだ」
兄の諦観に近い感情を感じ取ったのか、傷つき今にも壊れそうな表情を見せる。
違うぞ。頭を撫でて不安を和らげる。
目を合わせ、しっかりと伝える。
「ミズキの才能は本物だ」
俺なんか到底届かないくらい。
「ミズキの才能には未来がある」
すぐには潰えないほど。
「父さんも母さんも俺も、そう思ってる。だから私立高校に行っていいんだよ」
「で、でも! もし私が失敗とかしてダメだったらお兄ちゃんは……」
「それは絶対にない」
信じてるから。失敗するだなんて俺たちは微塵も思っていない。
ミズキの才能も、メンタルの強さも、スケートにかける情熱も。
ミズキを信じてる。プロになるに決まってる。ただそれだけで十分なんだ。
安心させるように泣きじゃくるミズキを抱きしめる。
「ミズキならできる」
「お兄ちゃん……」
「自慢の妹で、母さんたちにとっても自慢の娘なんだから」
「……ご、めんなさい」
ぎゅっと俺にしがみつくミズキが謝罪の言葉を口にした。
そうじゃない。妹が謝るのも違うだろ。
「『ごめん』よりも『ありがとう』の方が嬉しいんだぞ」
「お兄、ちゃん……ありがとう」
ぐちゃぐちゃになった笑顔でやっと言ってくれた。
全部が全部納得できたわけでもないだろうけど、ひとまず説得は出来たはずだ。
「ああ。……じゃあ帰ろうな。母さんも夕飯作って待ってる」
「……うん」
ミズキをおんぶして、帰路につく。
練習後にこの公園までダッシュしてきたんだ。疲れたに違いない。早くも背後からはすやすやと寝息が聞こえてくる。
「今日もお疲れ」
俺の背中で眠ってしまった妹に思いを馳せる。
俺は諦めた。だから俺の未来と時間を差し出した。
ミズキには圧倒的な才能がある。
そして俺は賭けた。それでもまだ足りないくらいの価値があると本気で思うから。
筋違いにも俺の分までと願ってもいた。早々に見切りをつけた兄が何を今更とも思えるが、できるのはこれくらいしかない。
せめて、妹の未来まで諦めるようなことはあってはならない。
兄だから妹を思う、のではない。
妹をしっかり思ってこそ、兄と名乗れる、勝手ながらそう心に刻んでいる。
兄ならば、それだけは絶対に譲れない。