第1話

文字数 2,073文字

峠道の女
 僕の地元には棚の上と呼ばれている折りたたまれた峠道があり、そこには幽霊がでるという噂があった。しかし、いざ肝試しに行こうとなって調べてみると、棚の上というのは、もともとその峠道を上りきったところにあるトンネルを指していたことがわかる。しかも、良家のお嬢さんが自殺した場所という触れ込みだったそのトンネルの話でさえ、元をたどれば、そのお嬢さんが亡くなったのは別の丘にあったサナトリウムで、死因も自殺などではなく、療養生活の末に倒れてしまったという悲しい話があるだけだった。
 そんなことを大学で同じサークルに所属する丹羽さんに食事をしながら話す。
「へえ、噂ってそんなに変化するんだね」
 食べるのに夢中、というかそんなに興味がなさそうだ。毛先をゆるく巻いたミドルボブが日替わりランチのハンバーグに掛かりかけている。
「結構な美人だったらしいですよ。いいとこの娘だっていうのもあるだろうけど、容姿がよかったから人気もあって、結構悼む声も大きかったみたいです」
「そりゃ結構なことだねぇ。親類が騒ぐから、外野がひそひそ盛り上がって波及していったとかかな」
 そんなところだろう。僕はうなずく。
「そっか。ていうか、なんでそんなに調べたの?」
「うーん、可哀そうだったからかな。幽霊になる人って、やっぱりものすごい情念があって、この世に残りつづけてるとされるわけじゃないですか。最初はそう思われてる原因が気になってたんですけど、そのうちお嬢さんが気の毒になってきて」
「関係のない人の手によって、夜の峠道に置き去りにされた病弱な少女、みたいな」
 丹羽さんが急に嫌なイメージを提示してきた。僕は言葉に詰まると、丹羽さんが虎みたいに笑って言った。
「じゃあ、いっちょお嬢様でも救いに行きますか」
嫌な予感がする。こういうところがなければ、丹羽さんも彼氏とかできるのに。

 丹羽さんの荒い運転に揺られて、僕は有名な怪談を思い出していた。
 夜、山道を走っていると、女がひとり立っている。どうしてこんなところにと、不思議に思って声をかけてみると、彼氏に置き去りにされたという。下心と不憫さで車に乗せてやると、いつのまにかその女が座席から姿を消していた。驚いて車を事故らせる、窓の内側に手形がついているなど、オチは何パターンかあるが、だいたいはそんな感じだ。
「まあ、どうしてもその怪談のイメージが先行するから、お嬢さんはトンネルから峠道に這い出てきたんだろうね」
「また怖いこと言わないでくださいよ」
エンジンの音に紛れて、カーステレオからぼそぼそと稲川淳二の声が聞こえる。聞こえないのがかえって不気味だし、心霊スポットに行くのに怪談を流すのは意地が悪すぎるだろと丹羽さんを呪う
「仮説を立てよう」
丹羽さんが声を張った。
「これは民俗学の領域ではないのだとしよう。噂話が変遷していったのではない。女は噂話に乗じて、狩場を変えていったのだとしたら」
 仮にお嬢さんはなんらかの恨みを残してこの世を去った。自分の近親者を襲うために屋敷へ帰り、噂をする人間を取り殺すためにトンネルへと籠る。そして、土地の名前が移り変わるのにしたがって、新たな犠牲者を求めた彼女は、病に侵された身体を引きずりながら峠道へとゆっくりと這い出てきた。
「幸いというか、ここは見通しも悪い。地元のヤンキーがヤンチャして事故を起こすなんてしょっちゅうだろう。そんな地の近くに心霊スポットがあったなら、人は必ず因果を結びつけてしまう。狙い目だろうね」
「幽霊なんて本当に実在すると思ってるんですか」
 さぁね、そんなの知らないよ。あっけらかんと答えられたので、面食らってしまった。
「じゃあなにしに来たんですか」
 峠道に差し掛かる麓のコンビニで、丹羽さんは車を停めた。
「本当に女が車に乗って消えるのなら、消えた後はどこへ行くのだろうなと思って」

 コンビニの店員に話を聞いてみると、深夜に白い服の女が現れて店内をぐるぐる回る噂があるのだという。それだけだと普通の話だが、その右手には生首を持っていて、監視カメラには映らない。自分は見たことがないが、実際に見たと言い張る人が何人かいて、バイトがすぐ辞めてしまうので困っているとのことだった。
「移動してますね」
「峠道で走り回った連中はだいたいここで一休みするんじゃないかなぁ。大方、そいつらが話してた怪談が店員の耳に入ったんでしょ」
「噂の変容としては雑じゃないですか? それにたぶんここが今のところ終点ですよね。あんまり分かったことがないというか」
 丹羽さんは呆れた様子で
「いやだから、噂話に乗じて狩場を変えてきたって言ったでしょ。私たちが今してるのって何? だいたい大学で言ったじゃん、拾いに行きますかって」
 は? という僕に丹羽さんが重ねて言う。
「良かったじゃない、念願かなって。昔は呑みの席で、深窓の令嬢と同棲したいとか言ってたもんね。お持ち帰りよ、お持ち帰り」
丹羽さんは"丹羽専用"と刺繍された御守りを振る。
 誰もいないはずの真後ろ、耳元になにかの息遣いを感じた気がした。
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