第1話

文字数 1,893文字

「優奈さん、こんなこと言うと嘘くさいと思うかもしれないけど、君は運命の女性だと思っている。僕と結婚してほしい」
 優奈は微笑んでみせた。


 優奈が彼に初めて会ったのは幼少の頃の夢の中であった。度々夢に出てきた見知らぬ少年は、苦しみも喜びも分かち合い、共に成長していった戦友のようなものだった。大学受験で志望校に落ちてしまった時に見た夢では、青年になった彼が側に来て『優菜はやるべき事をやったのだから、恥じることはない』と、慰めの言葉をかけてきた。彼が声をかけてきたのはその時が初めてではなく、辛い時にいつも寄り添ってくれ、一番欲しい言葉を言ってくれた。勿論全て、夢の中の出来事だ。
ーーいつか、この青年と現実で出会えたりするのだろうかーー
 淡い恋心が夢の青年にそっくりな男に会って、はっきりとした感情に成長するのは当然とも言えた。友人に紹介された男は守沢有吾と名乗った。物腰が柔らかな所も落ち着いた低い声も理想そのもので、すっかり心が落ち着かなくなってしまった。
「優奈、一目惚れでしょう。実は守沢君に優菜の写真を見せたら向こうから会いたいって言って来たんだよね」
 友人は嬉しそうに優奈の肩を叩いた。
「優奈さん、来月誕生日なんですね。お祝いさせてください」
 有吾の微笑みには不思議と抗えないものがあると感じていた。夢の青年に現実で会えた嬉しさと、ふとした有吾の視線から逃げたくなるような不思議な感覚もあった。こういう時こそ、夢で青年に会いたいと願ったが、なかなか現れてくれない。それは、現実世界で会えたからなのだろうか。
「生まれ変わりってあると思う?」
 有吾は、食後の珈琲を美味しそうに飲みながら、そう問いかけた。
「生まれ変わり、ですか」
 何故か心臓がドキンと跳ねた。
「僕は信じてるんだ。出会う人の殆どが、前世でも繋がりがあった人だって聞いたことがあってね。面白いし、その通りだと思うんだ」
 熱のこもった目で優奈を見つめた。それを嬉しく思う反面、彼の奥底にあってたまに見せる執着心が少し怖かった。
「前世なんてあるのかしら。あったとして、気付くものなの?」
「君だって、夢で会ったんだろう? 運命の人とやらに」
 有吾には一度も夢の話をしたことが無かったのに、何故知っているのだろうと冷たいものが背中に走る。
「話したこと、ないよね?」
「そうだったかな、君の友達から聞いたのかもね」
 そしらぬ顔で珈琲のおかわりを頼んでいる。優奈のカップに新しい珈琲を注がれているのをぼんやりと見ていた。
「これを飲んだら帰ろうか」

 その日の夜、やっと夢に出てきた青年は有吾に檻に閉じ込められていた。何度も止めるように叫んだが声は届かず、檻に入れられたまま暗闇に消えた。
『もう、役目は終わったんだ。あとは僕が上手くやる』
 それは死の宣告に聞こえた。
 朝、目覚めると涙で頬が濡れていた。きっと檻に入れられたのは自分自身だ。

「有吾さん、この間の生まれ変わりの話、聞いても良い?」
「優奈さんはあまりそういう話が好きじゃないのかと思ってたんだ。嬉しいな」
 読んでいた新聞を閉じて横に置き、珈琲のおかわりを店員に頼む。
「スピリチュアルの話が好きな友人に聞いたんだ。僕も半信半疑だったんだけど、君に会ったときにある種の懐かしさみたいなものを感じて、ああ、ずっと前から知っていたんだって分かったんだよ。きっと、前世でとても近い存在だったんだろうな」
 それを聞いて、ほっとしていた。もっとずっと根深い因縁のようなものがある気がしたからだ。馬鹿な妄想だったのだ。
「そう、なんか良いわね」
「っていうのが、一般的な答えかな」
「え?」
「僕はもっとはっきりとした確信があるんだよ。前世の記憶っていうのかな。前世の君は、僕に献身的な妻だったんだよ。ふふ、子供も二人いてね、楽しい家庭だと思ったんだけど」
 何度、互いの肉体が朽ち果てようとも、生まれ変わった魂を見つけ出す。魂に匂いがあるとしたら、その匂いを嗅ぎ付けるように。
「死神みたいね」
「え? 何か言った? 」
 死神は優しく微笑んだ。
「こんなこと言うと嘘くさいと思うかもしれないけど、君は運命の女性だと思っている。僕と結婚してほしい」
 優奈は微笑み、男の胸にナイフを突き刺した。
「そんなことしても無駄だよ」
 有吾は、ゆっくり椅子から崩れ落ちた。悲鳴が上がり、警備員が優奈の身体を拘束する。
「檻になんか入らない」
 警備員の一瞬の隙を付き、スカートをひるがえし走り出す。
 車のクラクションが鳴り響いた。

『大丈夫だよ、きっとまた君を見つけ出す』
 静かに閉じた優奈の瞼に、誰かがそっと触れて消えた。

 了
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