第1話

文字数 2,022文字


 人生を時計で表すなら、今は23時59分だ。
 もう死ぬ。
 3度目の死だ。
 孫や子供たちの声が遠く小さくなっていく。
 視界は暗く、体は冷え切り、すべての感覚が消え去っていく。
 そして、3度目の光に包まれる。

「おはよう……啓治」
 この光景を見るのは実に4度目だ。
 時計で表すなら午前0時。
 母が柔らかく花のような笑顔を浮かべて僕の顔を覗き込んでくる。
 舌の感覚がまだ完全に通っていないため、母に返事をすることはできないが、焦る必要はない。
 2度目の時、急に饒舌にしゃべってしまったことで両親に気味悪がられた失敗を思い返して、今度の人生はちゃんと自然にふるまおう。
 3度目の時は両親を助けられなかった。今度こそは自分の思うように人生が運べるように努力しよう。
 ――今度の人生こそ、心残りのないように謳歌しよう。
 とりあえず、2度目のころから夢だった医者になる。
僕は目的を頭に思い描き、笑いを表に出す。
「あら、あなたの顔をみて笑ってるわ」
「あはは、お父さんだぞー」
 僕の可愛さに盲目となっている両親は気づかずにガラガラを鳴らして必死に僕をあやしている。
 ……うん、すごくいい気分。
 ……でも、おなか空いたな……よし、泣くか。
 心の中で、「飯いいぃぃぃ!」と叫びながら4度目の人生初めての叫び声をあげた。

 ……立って歩けるようになったし、もうそろそろ言語っぽいものを解禁するか。
 ある日、僕は無表情で、母のエプロンをつかみ、「かあ……」とだけ発声する。
 それをするだけで母は顔をほころばせ、テンションをぶち上げる。
 この表情は何度見ても僕のお気に入りだ。
「ただいま」
 家はボロアパートの角部屋、裏に線路が通っていて、電車が通るとすごくうるさい。
 かといって、母に迷惑をかけるわけにはいかない。
 泣くなら昼間、母が新聞を読んだり、暇そうにしているとき。
 あとは父がいれば泣く条件は整う。
 とにかく二人が僕のせいで消耗しないことを心掛けて今日も、ちやほやされる。
 
 時は流れ、僕は小学校高学年になった。
 この時の僕はまさに天才と呼ばれている。
「狩野くん、ここ教えてー」
「狩野ー、宿題移させてー」
 人生において一番褒められまくる気持ちいい時代。
 ……必要とされている僕……しゅきぃ……。
 だが、それが過ぎれば、地獄が始まる。
 中学校からが、僕の人生の本編だ。
 貧乏な家のために僕が出世しなければならない。
 1度目の人生では中学校で遊び、高校でも遊び、大学になってからでは何もする気が起きず、結局自分だけが生きるために必要なお金しか稼ぐことができなかった。
 だからこそ、3度目ともなれば同じ過ちは犯さない。勉強も苦ではない。
 高校生活は2度目の時に充分楽しんだ。
 だから僕は両親を救うために医学の道へ進む。
 3度目の時には結局医者にはなれず両親を楽しませるだけになってしまった。
 ここまでは僕の人生の定石。

 だが、ここで人生の岐路が訪れる。
 母が病に侵され、気を病んだ父も、ともに病床に伏す。
 今までの人生で、両親を救えたことは一度もなかった。
 そして今度も……。
 僕はどうやら根底から医者には向いていないらしい。
 無慈悲に送られてきた2度目の不合格通知。
 母が寝ているベッドの横で、祈るように思考を巡らせる。
 3度の人生をかけても、医者にはなれなかった。
 3度の人生をかけても、両親を救えなかった。
 3度の人生をかけても……。
「……ごめん……母さん」
 その時、僕の頭に母の手が乗せられる。
 母のこの行動は初めて見た。
「……あんたが頑張っているのは知っているから……もう頑張らなくていいわ……」
 柔らかな笑顔で、穏やかな口調で、母はそういった。
「私やお父さんが疲れているときに泣かないでくれてありがとう……私たちの生活が苦しいのを気遣ってくれてありがとう……私を助けようとしてくれてありがとう」
 僕は何も言っていない。
 なにも事情は話していない。
 それなのに、母はすべてを分かっているような目で僕を見つめた。
「……でも、私が死ぬ前に今回の彼女は紹介しなさいね」
「え?」
 その後間もなく母はこの世を去った。
 去り際も「今回も楽しかったわ」と僕の耳を疑うような発言を残して。
 4度目の人生。
 両親がこの世を去ったのに、心が苦しくない。それどころかすべてが晴れ渡って見える。
  
 月日は流れ、僕はまたしても老衰のため静かな部屋に寝かされていた。
 しくしくと子供たちや孫の声が聞こえる。
「……」
「お父さん!」
「……今回の人生も……楽しかったなぁ……」
 鉛のように思い腕を布団から出して娘の頬を撫でる。
 娘は僕の腕をしっかりと握りしめ、涙を浮かべた目で僕を見つめる。
 そして、僕は4度目の死を迎えた。
 心残り……。
 気になることはあるが、母が僕の背中に触れて笑っている気がした。
 ……ま、4回も同じ人生やってれば、いい加減飽きるわな。
 ……僕はもう頑張らなくていいらしい。
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