第1話

文字数 4,792文字

この話は、私が高校生だった頃の話である。特に何か凄い事が起きたわけではない。でも、思い出すと、ちょっと心が救われる。だから文字にして残しておきたいと思った。ただそれだけだけど、思い出すだけで、私は少し前を向くことができる。だから、そんな人がもう1人でも増えればいいなと思う。
「新聞部」と扉に書かれた小さな部室は、昇降口の横にあった。毎朝、全校生徒がその部室の前を通過するのに、気に留める人は誰もいなかった。もしかすると、部室の方が誰にも見つけてほしくなかったのかもしれない。そう思えるほど、ひっそりと息を殺して、隠れているようだった。高校2年生の夏、私はその部室を見つけてしまった。
今、その部室の中の様子を思い出すと、全部がセピア色に色付いている。それは現実にその色だったかもしれない、と思うほど鮮明で、全く抜けない。きっと、それは私の頭の中のイメージの色で、ノスタルジック色なのだと思う。セピア色に染まったその部室は、ゆっくりと、深く呼吸をしているような場所だった。
私が通っていた公立高校は、単線の電車に乗って通学する、とても長閑な場所にあった。片田舎にあるごく普通の高校だった。偏差値、スポーツ、学校の雰囲気、生徒。どれをとっても平均的だ。そんな学校に通っていた私自身も何の特徴のない普通の女子高生だった。成績はその中でも普通より下だったかもしれない。毎日学校には行っていたが、やる気があるわけではなく、ないわけでもない。テスト前だけそれなりに勉強して、赤点にならない程度の点数で乗り切り、適当に話せる友達を作り、他愛のない会話をし、時々ずる休みをしたりした。特に楽しいこともなく、信じられないくらい時間を無駄にして過ごしていた。
そんな私に一番興味があったのが恋愛だった。今思えば、女子高生特有の熱病のようなものだったように思う。新しい彼氏ができると、勉強そっちのけで、彼氏にのめり込んだ。
当時付き合っていた彼氏は野球部で、部活が終わるのが遅く、帰宅部の私は彼の部活が終わるのをずっと待っていた。でも、待っているのが先生に見つかると、怒られるのだ。私はそれが嫌でたまらなかった。恋愛ドラマのヒロインにでもなった気分で「私達を引き離すなんて、酷い!」と真剣に思っていた。熱病に侵された女子高生なのだから、仕方ない解釈だと思う。
そんな私は、どうすれば先生に見つからず、彼氏を待てるか真剣に考えた。教室で待てば必ず見つかるし、食堂は閉まってしまう。1度体育倉庫で待ってみたが、体育館で部活をしている生徒に見つかって、変な目で見られてしまった。あと、校舎の片隅で待ったりもしたが、冬は寒いし、夏は暑いし、夜は異様な暗さになり、怖くて耐えられなかった。そんな時、ふと目に留まったのが「新聞部」の部室だった。その時の私には、静かな佇まいのあの部室が神々しく光って見えた。「何だ!あの眩しい空間は!」と私は導かれるようにその神聖な場所の前に立っていた。「新聞部」そんな部活があったのか、と思うのと同時にこの場所を手に入れることを思付いた。ここで待っていれば怒られないはずだ。とても安直な考えだが、彼氏のことで頭がいっぱいだった私は、待つ場所を手に入れる事以外何も考えられなかった。そんなおバカな女子高生は早速新聞部に入ることを決めた。
私は、野球部に彼氏を持つ友達に声をかけ、部室を手にいれるメリットを説明し、一緒に「新聞部」に入ろうと説得した。その友達も、待つ場所には悩んでいたようで、すぐに話が決まった。そして2人で意気揚々と入部届を出しに職員室へ向かった。
「新聞部」の顧問の先生は眼鏡をかけた、鉛筆のようにやせ型の男の先生だった。先生は私達を見て、あからさまに驚いた顔をしたが「新聞部」にはしばらく部員がいなかったらしく、喜んでくれた。それから簡単に「新聞部」の活動内容を説明してくれた。活動内容は1年に数回校内新聞を発行する。といった単純なものだった。それなのに、居場所の獲得だけが目的だった私は、しまった。と思った。そんな面倒なことがあの神聖な場所を手に入れる条件になるとは思っていなかったのだ。それぐらいやる気のない人間だったのだ。でも、顧問の先生のきらきらした目を前にして、不純な動機で入部しただけで、校内新聞を発行するのは面倒だ、とは言えるはずもなかった。仕方なく校内新聞の発行することを約束した。
私達は顧問の先生に連れられて、部室へ向かった。いよいよその扉が開く時が来たのだ。ゆっくり木の扉が開いた。部室は4帖半ほどの大きさで、小さな窓から光が差し込んでいた。天井まである高い本棚に本や書類が雑多に詰め込まれていて、埃っぽかった。たくさんの写真が至る所に置いてあり、歴代の高校生達の若く輝く時間がそこに映し出されていた。その写真の生徒達は永遠に高校生のまま、そこで時間を止めているように見えた。私はその写真を見て、ふと、自分の時間が進んでいることを感じた。高校生活をどう過ごそうが、皆平等に3年間しかなく、もう半分が過ぎ去っていることを急に体感した。この写真に写っている生徒達が、大学生や社会人になっていると思うと、急に自分も写真の中で時間を止めてしまいたいような衝動にかられた。今思えば、あの時、私を突き動かす何かを感じていたのかもしれない。
部員2人の「新聞部」は、私が部長を務めることになった。私が友達を誘ったのだから当然だろう。そして部活に入ったからには、活動をしなければならない。仕方なく校内新聞の作成に向けて、動き出すことにした。
2人で話し合った結果、私達の校内新聞第1号は、学校の近くにある喫茶店やパン屋等のお店を紹介する記事を書くことにした。私達は早速、学校の近所を散策した。おススメメニューを紹介したり、お店の人にインタビューをしたりして記事を書いた。それが、思いの外楽しかった。私達は夢中になって新聞を作った。完成した初めての校内新聞を見たときは、興奮したのをよく覚えている。自分たちの手で作られた言葉や写真が全校生徒に読まれると思うとワクワクした。校内新聞が配られる前の晩は、楽しみで眠れなかったほどだ。
記念すべき校内新聞第1号が配られたその瞬間のクラスメイトの反応を、注意深く見守った。残念なことに、誰も何の反応もなかった。新聞を目を通すことなく鞄にしまう人がほとんどだった。仕方ない。以前の私だって、校内新聞なんて読んだことがない。自分が作った新聞だから、皆が読む、そんな都合のいいことがあるはずがないのだ。私はがっかりした。でも、がっかりなんてずっとしてなかった私には、それすらちょっと新鮮だった。そして、その出来事が、私の中の秘めた闘志に火をつけた。私が部長になったからには、皆が笑って読む校内新聞を作ってやる。そう思った。
それから、第2号の作成のためのミーティングが始まった。私達が行きついた答えは、高校生は文字を読まない、だった。紙面をほぼ写真で埋め尽くす。それが、私達が考えた第2号の校内新聞だった。
顧問の先生に借りたカメラを手に、校内を歩き回り、気になるものにレンズを向けてシャッターを押した。当時のカメラはフィルムで、今みたいに、必要ない画像は消去することはできなかった。だからこそ、シャッターのひと押に重みと価値があり、写真を撮るのがとても楽しかった。体育祭が近かったため、体育祭当日の写真もたくさん撮った。もちろん全校生徒の写真を紙面に載せることは不可能だったが、できるだけたくさんの生徒の写真を紙面に載せた。その写真の載せ方にも工夫を凝らした。色んな形に切ってみたり、写真をストーリー調になるようにしたりした。たった2人の新聞部員の脳みそを絞りに絞って作った第2号校内新聞だった。
いよいよ第2号校内新聞が配られた当日。私はクラスメイトの様子じっくりと観察した。第1号が配られた時とは、少し反応が違っていた。手を止めて、新聞を見ている生徒がいるのだ。新聞を指さして友達と笑いながら話しをしている人もいた。その様子を見た時の私は、血液が逆流するほどの興奮を感じた。頬を赤らめて笑みを浮かべ、やった!勝った!と心の中で叫んだ。何に勝ったのかはよく分かっていなかったが、今思うと、自分は何もできない人間なのだと思い込んでいた自分に勝ったのだと思う。それは私にとって、承認欲求が満たされた初めての経験だった。高まる気持ちと、その裏側に沸いた安心感に似た、何とも心地よい感情は今でも忘れられない。誰かに認められることがこんなにも幸福な気持ちにしてくれる事を初めて知った。
その日から部活を引退する日まで「楽しく読まれる校内新聞」をモットーに精力的に活動した。第2号が発行されてから引退までの間に、部員は6人になり、小さな部室はいっぱいになった。部室の壁には私達が撮った日々の瞬間を貼られ、何を書けば生徒の心を惹きつけることができるかを話し合うミーティングが日々行われた。それは本当に充実した、心地よい日々だった。
新聞部は周りから見れば、取り柄のない生徒達が、遊び半分で集まった部と思われていたかもしれない。でも、私達には明確な目標があり、それを実現させるための熱量を持っていた。なぜそんなにも校内新聞を書くことに熱中したのか。それは、もともと何もなかったからだと思う。だから何でもよかったし、どんなものでも入った。それがたまたま「校内新聞」だったのだ。何者でもない自分が作ったもので、誰かが笑ったり、気持ちを動かされたりすることがある。そんな奇跡が私達に起こった。それがたまらなく快感だった。
それと「新聞部」でもう1つ嬉しい体験をした。それは社説を書いた事だった。校内新聞でも社説は書かなくてはならなかった。それがなかなか大変な作業で、その担当がなぜか毎回部長の私だった。毎回頭を悩ませながら、少ない語彙力で必死に書いた。最後の「校内新聞」を作った時、私は社説に新聞部に入った本当の理由を書いた。最初は彼氏の部活が終わるのを待つ場所を手に入れたかっただけだった、と正直に書いた。でも、そこから始まった私達の活動は大きく目的を変えて行った。そして最終的に、自分達の最高の居場所を作った。不純な動機だったかもしれないが、手に入れたものは大きかった。そんな内容だった思う。その最後の社説は、先生や保護者からも評判がとても良かった。それは思いがけないことだった。特に担任の先生がとても褒めてくれた。その担任の先生は国語の先生で、3者面談の時、大学は国文科に進んでみたらどうか、と勧めてくれた。何もない私に、何かあるかもしれないと思った瞬間だった。
どんなきっかけであれ、そこから人生の方向が決まる出来事がある。あれから何年も経った今も、私は色んなことで迷ったり悩んだりしている。そんな時「新聞部」の事を思い出す。あんなに無防備で純粋な気持ちで何かに取り組んだことはない。今は、あの時みたいに満ち足りた感情を持つことはない。そんな毎日は物足りなくて、虚無で、空しい。光のない空間を迷いながら歩き、ただ時間だけが過ぎて行く。誰か、どうか私に何か与えてください。そんなことまで思う。でも、何かを見つけるためには「新聞部」の扉を開けたように、動かなくてはならない。神様は何も与えてくれないし、奇跡なんて起きない。間違ってもいい、あの時の「新聞部」のような扉を、次々と開けて行くしかない。すぐに見つかるなんて思ってはいけない。そんな簡単には見つからない。でも、動き続けよう。求め続けよう。そうすればきっと見つかる。今の私の「新聞部」が。そこには、たくさん豊かな時間がある。それが生きる意味になり、目的にさえなりうるだろう。諦めないでずっと前を向いて進み続けようと思う。



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