松田先輩

文字数 1,969文字

 茶道部、と言っても作法やなんかは対して教わることもなく。豊田くんも松田先輩も私も、お菓子目当てで入部したのである。週に一度の部活動の日。私たちはいつものように、先生がお茶を立てて、それを見よう見まねで真似し、薄まってざりざりしたお抹茶を飲んでいた。

「なんだよ豊田、お前、和室なのにトランプって」
茶道部では、お茶を立て終わった後はほとんど暇つぶしのようにお喋りをしたり、読み札や絵札を投げて遊んでいるうちに43音しかなくなったカルタで遊んだり、ボードゲームなんかをしていた。飽きた頃に誰かが適当なおもちゃを持ってくるので、おもちゃに事欠くことはなかった。
「こないだゲーセンで獲れちゃって。何かに使えるかなって思ったんだけど」
それは普通のトランプの半分くらいのミニトランプだった。箱には『もふっこたらし』という可愛らしいマスコットのイラストが書いてある。
「和洋折衷、てことで、ババ抜きしようよ」
「ジジ抜きの方が好き」
「じゃあそれで。なんだこれ、絵札全部もふっこの絵柄じゃないんだ」
豊田くんがひらひらとジャックのカードを見せる。トランプらしい色合いで書かれた絵札が厳粛な顔でそこにいた。
「ジョーカーはもふっこだね」
「どうでもいいよ。配るから座って」
そう言いながら先生がトランプをさくさくとシャッフルし始めた。

「よーっしゃ、上がり!」
「あー!また!」
遊んでみればそれなりに楽しめる、古き良き遊びだ。松田先輩がクイーンの絵札を畳に叩きつける。
「行儀が悪いぞ」
「先生もトランプで盛り上がってたのに、何を今更」
そんな大騒ぎする三人が好きだった。

──来週、松田先輩は部活を引退する。受験シーズン、というやつだ。とはいえ、松田先輩は進路なんてとっくに決まっていて、それも勉強しなくていいように、なんて選び方をした学校らしく、本当は引退なんて必要ないんじゃないかと思ってしまう。私たちはそれぞれの家のことなんて知らないから、部活での姿しか知らないから、その日まで、誰もそれを口にすることはなかった。
「先輩、来週で引退ですね」
「そうそう、だからなんか、豪勢なお菓子持ってくるよ」
そんな話をしながら、私たちは帰り支度を始めた。先生はのんびりと新しいお茶をすすっている。今日の分の余ったチョコを山分けして、その日の部活はいつも通りに解散した。

 引退の日。部室の扉に手をかけた私は、すでに中から話し声がすることに気付き、なんとなく、聞き耳を立てた。普段ならば先生が一人で支度をしているか、私がその次に教室に入って、松田先輩と豊田くんは大抵、部活が始まって20分くらいした頃に来るのだ。それが、どうやら中には、遅刻組の二人がいるようだった。今日で最後だから、それ自体は特に不思議に思うことはない。この日くらいは、と思ったのかもしれない。ただ、中から聞こえてくる声は、なんだか、踏み入れづらい声なのだ。
「先輩、ねえ、本当に辞めちゃうわけ?」
「明日から自由登校だもん。学校なんて、来なくていいなら来ないところだよ」
普段の喧しい二人からは想像できないような、小さな声でぼそぼそと喋っている。隙間から覗くと、二人は密着して、ほとんど抱き合うように座っていた。
「毎日、家に行っていい?」
「やだよ。ストーカーか?」
松田先輩も満更でもなさそうだ。私は初めて、二人が、特別な関係だったことに気が付いた。

「どうした?」
突然後ろから話しかけられ、私は3センチほど飛び上がった。
「先生」
「戸を開けてくれないか?両手が塞がってて」
私は慌ててドアを開けた。開けてから、今開けたらまずかったかもしれない、と思い出した。部屋の中には今にもキスをしそうな二人がいた。二人は一瞬固まったけど、そのまま、私と先生に見せつけるようにふざけてキスをして、余裕ぶった顔で離れた。先生は肩をすくめて、何事もなかったかのように支度を始めた。私ばかりが気まずい中、部活は滞りなく進み、粉っぽいお茶にむせて、お菓子の時間になった。

「豪勢って言ってなかった?」
「なんだよ、豪勢じゃん」
松田先輩から一人ひとつずつ、メロンパンが配られた。大きなメロンパンは、まだほんのり温かい。
「引退おめでとう、松田くん」
「めでたいのかな……まあ、あざっす」
へらへらと笑いながら松田先輩は言った。隣で豊田くんが、メロンパンを抹茶に浸して、一口かじり、渋い顔をした。
「スバルちゃん、豊田と先生をよろしくね」
「よろしく、されましても……」
ぼろ、と涙が溢れた。その涙の理由は、松田先輩が引退する事でも、部室の三人が欠ける事でもないと気付いたのは、今更のことだった。部屋の隅には先週遊んでそのままの、置き去りになったクイーンの絵札がこちらを見ていた。
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