第1話

文字数 2,000文字

16歳の春、ボクの命は幕を下ろす。
もう、これは決定事項なので変更はない。
産まれた時に、宣告された余命よりは随分長く生きたと自分に感心している。まあ、自分が本当に生きているかどうかなんて、誰にも正解などわからない。生きているという定義が、心臓が鼓動していて、肺が呼吸しているというのであれば、今のボクには確かに当てはまるかもしれない。
 小学校に入学するまでは、なんとか動けていたが徐々に病がボクの自由を奪っていった。産まれた時から、覚悟は決まっている。そういう風に育ってきた。動かなくなってきたカラダが悲鳴を上げだした頃、ボクは病院という終の棲家に住まうこととなった。両親は、嘆き悲しんだのだけれども、ボクに命を与えたあなたたちが命を終える者を見守るのは大人の責任だろう。

予定日も近くなった3月のある日のこと。ボクは、外を見渡せるロビーで流れる雲を見上げていた。
「雲同士でぶつかることもあるんだな」
空を吹いている風は、高度によって風向きが変わると聞いたことがある。きっとその狭間を、泳いでいた気まぐれな雲だったんだなと思っていると後ろから突然声がした。
「残り少ない命を、数えてるのかと見てたら違ったんですね」
振り向いたそこには、見覚えのある背の高い細身の若い女の子が立っていた。
ボクの隣の病室に、出入りしている女の子だと思い出した。
「永遠に続くかと思える時間を、過ごしている人もいるというのに」
「誰にボクのことを」
「そんなの、ここにいればどこからともなく聞こえてくるモノなの」
彼女は、ゆっくりとボクに近づいて横に立って言った。
「あなた、本当に生きているの?そんなあなたでも、死ぬのは怖い?」
「ボクは、産まれた時から限られた時を生きてきた。だから、今さらそんなことは思わない」
「そう」
「なぜ、そんなことを聞くんだ」
彼女は、ボクの乗った車椅子のフレームをつかんで自分がいる方向に向けた。不意を突かれて、振り落とされそうになるボクは、必死にバランスを取って彼女を見上げた。
「それはね、あなたが生きているように見えないからよ。生きていることを感じられる環境にまだあるのに、生きることを諦めてるように見えるから」
彼女は、ボクを見下ろして言い放った。
「ボクの命を、どんな風に使おうとキミには関係ないことだ」
その言葉を聞いて彼女は、踵を返してボクの前から立ち去った。

次の日、ボクの部屋を訪れた一番親しい看護師に、隣にいる患者と出入りしている女性のことについて聞いてみた。
「他の患者さんのことは言っちゃいけないんだけどね。あなたならいいかな」
と前置きして、話をしてくれた。
「5年前、家族で買い物に行った帰り道で、交通事故に遭ったらしいの。お父さんは亡くなって、お母さんは脳に損傷を負って意識が戻らない。今、来ている娘さんは重傷だったんだけど奇跡的に回復したの。それから毎日、ああやってお母さんに会いに来てるのよね」
「彼女、ひとりなんだね」

彼女の事情を知った次の日、いつものように空を見上げていると、ガラスに彼女の姿が映り、ゆっくりと近づいてきた。
「ねえ、あなたはいつ死ぬの?」
「ああ、そうだな。桜が散り始めたらにしようかと思ってる」
「そうなのね」
「キミは、まだ死ねないんだよね」
「ええ、死ねないわね」

桜の花が咲き始めて、そして空に花びらが舞い始めた頃、ボクはカレンダーに終わりの時を書き込んだ。
最後の景色を見ようと思い、いつもの場所に行く。眼下には淡い色の風景が広がっていた。
今日は、風が強そうだ。枝を揺らす風が、ボクの目の高さまで花びらを吹き上げてくる。
「あなたは、今日死ぬのね」
「そうだね。ボクは今日死のうと思う」
「あなたは、いくつなの?」
「16歳」
「ほんとうだったら、一番楽しい時なのかもしれないのにね」
「そうなんだろうか。でも、すべての苦しさから逃れられるボクは、今しあわせなのかもしれない」
「そうかもしれないね」
二人は、窓際で桜を見下ろす。
「じゃあ、ボクはゆくよ」
「じゃあ、またね。さようなら」
「うん。さようなら」

「薬を入れますよ」
ボクの腕に繋がっている生理食塩水の点滴に、小さな注射器から薬が入れられる。
ゆっくりと点滴液が、一滴ずつ落ちてゆくのをボクは眺めている。
そのうち、ボクの瞼は重くなり、周りの光が感じられなくなってゆく。
呼吸も深くなり、痛みも感じられなくなってゆく。
後悔はしていない。この日だと決めていたのは、随分前のような気がしていた。
薄れゆく記憶の中で、ボクの最初の記憶が蘇る。
桜の下で、頭に降り注いだ花びらを一枚一枚取ってくれている母親の姿だった。
「これから、毎年たくさんの桜が見られるといいね」
そんなことを言われていたのを思い出していた。
そして、今最後の記憶となるのは、真っ暗なボクの心に沈んでゆく淡く光る桜の花びらだった。
「もっと、見ていたかったな」
それが、最後に心に響いた言葉となった。
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