第1話

文字数 1,873文字

息子を寝かしつけてしまった後、1日の仕事を全て片付け終えた気分になり、しばらくの間スマホを眺めながら物思いにふけっていた。最近の社会情勢のこともあり、今日は外出も控えて家の掃除に励んだせいもあってか、いつも以上に疲労感を感じてなかなかリビングから動けずにいた。ふと時計に目をやると、いつの間にか日付を越していたので重い腰を上げて寝室に入った。
息子の寝顔を見て目を閉じてしばらくした後、枕もとのスマホが振動しているのを感じた。伯父からだった。
「こんな時間に電話なんて、いったい何があったのだろう…」
高齢の祖父母の顔がふと脳裏に浮かぶ。言葉で言い表せないほどの不安を感じ、なかなか指を動かせずにいたが覚悟を決めて電話に出る。
「実は、義兄さんが事故に遭って危篤状態になっている。医師からは脳死とも言われていて、もう長くないかもしれない」そう伝えてくれた伯父の声は震えていた。
想定していた異常の事態に打ちひしがれ、しばらく何も考えることができなかった。残った家事をしてくれていた妻に伝えるためにリビングに戻ると、話し声が聞こえていたのか心配そうな表情で私を見つめてきた。父のことを伝えると、妻も言葉を失っていた。
「難しいかもしれないけど、少し休んだ方がいいよ」
妻は私の状態を気遣ってくれた。今すぐにでも父のもとへ向かいたかったが、離島に勤務しているために翌朝まで本土に向かう船に乗ることはできなかった。弟も遠方に住んでいるため、翌朝の飛行機が出るまで向かうことはできず、隣県に住む妹だけがすぐにかけつけてくれることになった。到着後に父の様子を知らせてくれるという妹の連絡を待ちながら仮眠をとることにしたが、いろいろな思いがこみ上げてきて全く眠れる気がしなかった。30数年の人生経験の中で感じたことがないほど、時間がたつのが恐ろしく長く感じた。
どれほど時間がたったのだろう、何回もスマホで時間を確認していると、とうとう妹が病院に着くはずの時間になっていたが、連絡はまだない。不安に押しつぶされそうになりながら過ごしていると、スマホに通知が来る。妙な胸騒ぎを感じながらそれを確認する。妹が到着するのを待っていたかのように、病室に入った後間もなく亡くなってしまったというのだ。感情を抑えることができず、私は枕を濡らした。外では春の訪れを告げる雨が降っていた。
息子が目覚めると、大好きな「じいじ」に会いに行くことになったと伝える。高速船に乗り、港に着くとレンタカーに乗り実家へと向かう。1時間ちょっと運転を続け、実家が近づいてきたころに息子が「じいじと遊ぶ」と言った。眼からあふれ出しそうになるものを必死にこらえながら、息子に父が亡くなったことを伝えた。
「ごめん、もうじいじと遊べないんだ。じいじ、天国に行っちゃった」
「じいじ、いないの?」
何が起こったのかわかっていない息子は、実家に到着するとすぐに玄関を開けて家の中へと入っていった。仏間にはもう目を覚ますことはない父が横になっていた。
「じいじ、寝てるの?」
3歳ながらに何かを察したのか、息子の様子もいつもと違う。変わり果てた父の姿を見てまた私の目にも涙があふれて来た。
その夜、父との思い出にふけりながらアルバムを見ていた。母との新婚旅行に行った時の写真。母だけに見せる特別な笑顔の父の姿がそこにはあった。妹のテニスの試合を見に行っている写真。妹が苦しい時には応援してくれる父の姿がいつも力になってくれていた。1カ月前に行われた弟の結婚式の写真。家族で集まって取った最後の写真になってしまった。銀婚式の記念に私と両親で伊王島に旅行した時の写真もあった。仕事で悩んでいた私を気遣って、父は2人だけの旅行に私を誘ってくれた。長男でありながら家業を継がずに別の仕事に就いたことに、本当にこれでよかったのかと負い目を感じていた部分が少なからずあった。父も、本当は私に理容室の跡を継いでほしい思いもあったに違いないが、「本当にやりたい思いがないとやっても意味がない」と言って自由に進路を選ばせてくれた。そのおかげで今の私があるのだ。「お父さん、本当にありがとう。」
思い返すと、いつも家族の中心には笑顔の父がいた。いつも自分のことではなく家族のことを一番に考えてくれていた父。伝えたかったのに言えなかった感謝の言葉がある。謝りたかったこともある。これからもっと恩返しもしたかった。だが、別れはあまりに早すぎて突然だった。
息子を抱きしめながら私は心に誓った。父が私にしてくれたように、たくさんの愛情を家族にそそいでいこうと。
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