第1話

文字数 1,820文字

元にしたのは、その頃学校を騒がせていた不審者情報と、ありがちな昔話だった。
夏祭りの夕方、〇〇神社の境内に行くと真っ黒な男の人がいて、その人に願い事を伝えれば叶えてくれる。そんな稚拙な作り話を私は学校の裏サイトに書き込んだ。
学校で広まって、あの子の耳に入れば良いと思った。その子がどうしても叶えたい事があるのを知っていた。
どうしてあの子の事があんなにも嫌いだったのか、今考えると分からない。
クラスで人気のある方ではあったけれど、一番ではなかった。うらやむほどかわいいわけでも、頭がよかったわけでも、運動ができたわけでもない。特別な特技があるかも知らない。その程度の仲だった。ただ少し上擦るような話し声が、やけに耳についた。薄い布にまとわりつかれているようで、近くで話されるとひどくイライラした。
けれど、彼女のその声で噂話が語られた時だけはときめきに似た気持ちが胸にわいた。
私の作った話は、書き込まれた場所が場所だけにひっそりと生徒たちの間に広まった。話す時はみんな自然と声を潜めた。彼女の声もかすれるようにささやかで、蝶の翅音が聞こえたらこんな音だろうと思えた。
ずっとこの声で話してくれたら良いのに。そうしたら、彼女のことも好きになれるのに。あの当時の私は本気でそんな事を考えていた。
私の話は一度は広がりをみせたものの、夏休みに入ってしばらくすると誰も口にしなくなった。児童館でも学校のプールでも。あまりがっかりはしなかった。まあそんなものかと思った。
夏祭りは、夏休みの中頃にあった。参道と神社前の通りに屋台が並び、町中をお神輿が練り歩く。その日だけは五時を知らせる放送もない。スピーカーからは絶えることなくお囃子が流れ続け、ぬるい空気の中を人は歩いていく。
当日は私もその一人だった。友達数人と屋台を梯子して、少ないお小遣いの中で頭を悩ませながら買い物をしていた。
行き交う人混みの中に彼女を見た。挨拶もした。あの子の朝顔の描かれた浴衣、ひらひら揺れる兵児帯を私は目で追った。私は親に浴衣を買ってもらえなかった。
夏祭りは緩やかに終わりに近付く。お神輿が参道を抜けていく。屋台が火を止め始める。人が少なくなった道にお囃子がちいさくなり続けている。私も母に頼まれた煮いかを買って、友達と別れた。
その日の深夜に家の電話が鳴った。あの子の父親からの電話だった。娘がまだ家に帰って来ないと言う。
話を聞いた町内会の人たちが集まって、捜索が始まった。騒ぎに起きてきた私を見て、父が靴をはきながら、寝ていなさい、外には行かないように、と硬い声で言った。
私は部屋に一度戻り、しばらくしてからこっそりと家を抜け出した。不謹慎な胸の高まりがあった。
あの子はきっと神社の境内にいる。私の噂を信じて。確信があった。あの子の母親が重い病気で入院しているのはクラスメイトなら誰でも知っていた。
大人たちはどこを探していたのだろう。夜の街はしんとしていた。お祭りの賑やかさはもうどこにもない。
月の明るい夜だった。アスファルトに練り込まれたなにかの欠片がきらきらと光っていた。
きらめく道を私は走った。誰かに見つからないうちに神社へとたどり着かなくてはいけない。街を走り、境内を抜け、その先の階段を登る。汗が顎から滴った。
境内に、彼女はいなかった。
私は肩で息をしながら周囲を見回した。月明かりの差さない雑木林があるばかりだ。影絵のように真っ黒な木立を見ながら、呼吸が整うにつれ、私の胸もすっと冷えていった。そうすると途端に夜が怖くなって、私は家に帰ろうとした。
風が吹く。葉擦れの音と混じって、なんだか嫌な臭いがした。
そこでどうして帰らなかったのか。勘か、あるいは罰だったのかもしれない。私は臭いを辿って、神社の裏に回った。
そこに彼女がいた。手足を投げ出して、地面に転がっていた。月明かりに彼女の肌は青白く光っていた。手と足の爪にほどこされたマニキュアがちかちかと光った。そんな気がした。尿と土の臭いがする。他に知らない、妙な匂いもした。
兵児帯は解け、乱れた浴衣から覗く胸に、太ももに、はっきりと足跡が残っているのを夜の中でも私は確かに見た。
足跡ではなく、靴跡だったと、そんな事は考えずとも分かる。でもその時の私は、なにか大きな獣が彼女に襲いかかったのだと、そう思った。
彼女の死は私の噂話よりも、夏祭りよりもよほど人々を賑わせた。
犯人はいまだ捕まっていない。私は夏が来る度に思い出す。
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