出会った二人

文字数 3,724文字

スクロール、スクロール、だめ、だめ、だめ、お! 結構いいじゃん、なかなかの額、え、寄付も申告もきっちりやってこれ? すごい! 素敵! 私この人のお陰で暮らしてるようなもんじゃん。もう好き、もう惚れた、競争率高そう〜、でもここで怯んじゃダメ、よし、イイねありがと送ろうっと。

時間が許せば、結婚相談所のサイトを見てる。私はステータスでいうと最低ランク、非正規どころか、無職の期間が長かったのだ。それでも二十代女、というだけで婚活市場ではかなりのアドバンテージ、沢山の男性会員からイイねをもらえる。今のうちだ。背後から音もなく刻々と迫りやって来る三十路の影に追いつかれる前に、ゴールテープを切ってしまいたかった。

イイねありがとを送り返してマッチングした蝋斗(ろうと)という年上の男と会うことが決まった。私はそそくさと準備をして家を飛び出す。

「今日はありがとうございます! まさか蝋斗さんみたいなステータストップの方とマッチングするとは思ってなくて」
燦薙(さんな)さん、そんなこと気にしてたんですか?」
「私、あんまり稼げてないから……」
「仕方ないんじゃないですか、不景気で、就職難もありましたし」
「や、優しい。あ、私の方がめっちゃ年下だし、敬語じゃなくていいですよ」

コーヒーとヌンゴロケーキが美味しくて有名なカフェに入る。隣の席との間隔が広く、落ち着いた、ゆっくりと時間が流れる空間が広がっていた。
私と蝋斗はすぐに打ち解けた。物知りな彼の話は面白かった。

「かつてはブランドもののバッグを持つことや高級車に乗ることがステイタスだったんだよ」
「またまたぁ」

私は頬をふくらまして蝋斗を見る。

「私がなんにも知らないと思って」
「ほんとさ、ほらこれなんか」

私は彼の差し出した端末に浮かぶ画像を見る。なんか尖ったところの多い白くてでかい三角の物体が海の上に浮いている。

「何ですか? これ」
「クルーザーさ」
「何するものなんですか?」
「何もしないよ。持っている、ということが重要なんだ」
「うそ」
「ほんとさ。いくらすると思う?」
「んー、このでかいの動かすのにエンジンついてるんですよね?」
「ガソリンエンジンだよ」
「一千万くらい?」
「お、正解。二千、三千なんてのもあるよ」
「絶句!」
「声出てるよ」
「そんなものに価値があったの? ひとに見せびらかすだけのものに? 住みよい暮らしを手に入れるより?」
「クルーザーは企業にも需要があったよ。なんと耐用年数が四年なんだよ」
「え! みじか! なら二千万円としても減価償却で」
「年間五百万円の経費さ」
「せこーい!」

私はソファの背もたれにのけぞって呆れる。

「ほんとにわかんない。税金抑えるためにいらないクルーザーに年間五百万円の経費計上するくらいなら、いっそまるっと税金五百万円納めた方が気持ちよくないですか?」
「俺もそう思うよ。だから今はそうなったんだろうし。でもまあ金を使いたいなら好きに使えばいいさ、そこで経済がまわる、ってのもあるし、実際に海風を感じてクルージングするのが気持ちいい人もいるだろうしね。ところがもっと悪質なものがあったんだよ」
「粉飾決算?」
「それはもちろん悪質だけど、当時でも取り締まりの対象だった。そうじゃなくて」

眉をしかめて考えるものの、答えが思いつかない私に蝋斗が言う。

「概念が節税策になってたんだ。障害補償重点期間設定型長期定期保険って言ってね」
「え? 何て?」
「障害補償重点期間設定型長期定期保険」
「え?」
「俺に障害補償重点期間設定型長期定期保険って言わせたいだけだろ、いわゆるフェニックスさ」
「何ですか? それ」

蝋斗はコーヒーをすする。

「経費として落とすためにはさまざまな条件があるだろ? その穴をついて、経費の顔して実は資産、っていう商品を保険会社が売り出したんだ」
「それは悪質」
「すぐにバレて、消えたけどね」
「なんでそこまでして税金納めたくなかったんだろ。行き先が、保険会社か、公的機関かの違いで、どのみちお金が出ていくことには変わりないのに」
「まあフェニックスに関しては、後から金が戻って来るのがウリだったんだけどね。でもそれでも税金対策のために加入するような保険商品は腐るほどあったな」
「金が税金で取られるくらいなら、保険会社に支払う損金で構わない、って考えなのか。不思議ー。私が生まれる前にそんなことがあったんですね」

ヌンゴロケーキが運ばれてきた。ひとくち目でおいしさがわかる。ねっとりと濃厚で、人気商品であるのも頷けた。

「ほいひ〜(おいし〜)」
「そんなに?」
「蝋斗さんも食べます?」

注文したのは私だけだったから、私はヌンゴロケーキをひとくち分すくうと、蝋斗の口の前にフォークを差し出した。
彼はぱくっと食べた。

「はわひ〜(かわい〜)」
「何?」
「いえ。おいしいですよね?」

私はしばらくヌンゴロケーキと目の前に座る蝋斗を堪能する。通った鼻筋が頭の良さを物語る。紳士的な空気を醸し出す銀縁のメガネ、その奥で私を見つめる三白眼気味の瞳は、優しさを装ってその実獲物をロックオンした猛獣のようで、私は痺れて頭がクラクラとした。

「ひあわへ〜(しあわせ〜)」
「何?」

私はごまかすために話題を戻す。

「それにしても、なんでなんだろ。一体いつから税金を納めることを、そんな嫌悪するようになったんでしょうね」
「俺もそこまでは知らない。まるで洗脳されていた気分だよ。みんながみんな、こぞってどれだけ少なくするかに心血注いでたからね」
「ふうん。じゃあなんで、今は正常に戻ったんだろ」
「そりゃあんな目にあえば嫌でも目が覚めるさ。俺はまだ小さかったけど、臭くて真っ暗な街の様子は覚えてる」
「あ、歴史で習いました。蝋斗さんあの街のご出身なんですか?」
「そうさ。公園の花は枯れ、街路樹は生い茂り、ゴミの収集が来なくなり、街灯は消え、俺の入学するはずだった小学校からは案内も何も来なくて」
「え! 学校、行けなかったんですか?」
「小学校の一年生をやってない、なんて、黒歴史になるからあんまり言いたくないんだけどね。行政が機能し出して、二年生の途中からは行ったぞ」

そう言って、得意げに鼻の穴を広げた彼の様子はかわいかった。黒歴史とは思わないけど、入学式がなかったなんて、ちょっとかわいそう。

「税金がうまくまわらなくて、行政が破綻すると、そんなことになるんですね」
「金にも意識、みたいなもんがある。気持ちよく納めると、そのまま気持ちよく使われるんだ」
「そうですよね。今ではすっかり納税額がステータスの基準になったけど、せこせこ抑えるのがいいとされてたなんて信じられません。気持ちよく納めて、みんなを幸せにするなんて、蝋斗さんかっこいいです」
「ありがとう。それでも、自分だって、その恩恵を受けてるからね。いつどうなるかなんてわからないし。いざ、という時助けてくれる社会が整備されている、と思えるのは、心強いよ」

おかわりしたコーヒーも飲み終わった。そろそろ解散の時間だった。

「楽しかったよ、また会える?」

蝋斗に気に入られたことがわかり、ソファから飛び上がって「ぜひっ!」という言葉が口からこぼれて、私は慌てる。

「……って言いたいところですけど」

私はソファに座り直す。

「何かまずいことでも?」
「蝋斗さんは素敵です。でも、納税ステータス最低の、私とは釣り合わない気がして」
「ステータスなんて、婚活サイトの中だけの話だろ」
「でも、税金って、実生活に直結してますよね」

私は思いきって告白する。

「正直、私は負債抱えてる立場なんです。長いこと所得税も住民税も非課税だったし、その間納めたのは消費税くらい。なのに警察や消防に守られて、安全で快適な暮らしを享受して。その上、求職者支援訓練でお世話にまでなってしまった」

蝋斗は優しく頷く。

「だからせめて恩返しのように今働いてるんですけど」
「そうやって助け合うから生きていけるんだと思うよ。各々ができることをする、納税は俺らみたいなのに任せてよ」
「ほんと、今まで顔も名前も存じてませんでしたけど、私が生きてるのは蝋斗さんのお陰です」
「大袈裟だなあ」
「お礼も言わずに、のうのうと生きてきて申し訳ない」
「いや待ってよ、あぐらかいて傲慢になるのはどうかと思うけど、罪悪感を持たなくてもいいんじゃないかな。みんなだって、燦薙さんが生きててくれた方が嬉しいんだから」
「そうなの?」
「少なくとも、俺は燦薙さんが生きててくれて嬉しいよ。こうして出会えて」
「や、優しい」
「釣り合うか釣り合わないかは、これからわかるだろ。例えば体の相性とかね」
「え! 自信あります」
「試してみる?」
「きゃー、恥ずかしいです。てかいきなり下品!」
「だめだった?」
「嫌いじゃないです!」

手を取り合ってカフェを出て、インターロッキングのジグザグ模様が美しい歩道を歩く。
楽しいなー、と私は思う。興味深い昔話を聞けた上、私は彼の考えをすっかり尊敬していた。たとえこのまま私と付き合うことにならなくても、蝋斗と出会えて私は幸せだった。彼のような人たちに支えられて、この世はまわっている。
安心、安全で、秩序が保たれて、輝かしい世界が私を包む。街路樹のクチナシの甘い香りが私に香る。
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