日向ぼっこ

文字数 1,980文字

 ウッドデッキに積んだ段ボールのブルーシートを剥がしたら猫が飛び出してきて驚いた。その跡を見ると生まれたばかりの子猫が三匹。生後間もなくでまだ目も見えない感じ、泣き声もあげない。やむなく小さい紙箱に布切れを敷きソット移し、親猫が引き返してきた時に気が付くように飛び出していった通路の脇に置いた。目撃した妻によれば、そのあと帰ってきた親猫は通りすがりに箱の子猫に気づくとギクッとして歩みを止め、一匹をくわえて安全な場所を探し始めた。なかなかいい場所が見つからないのかくわえたままウロウロして見ている方も落ち着かない気持ちだったとのこと。そのうちに三匹とも居なくなってホットした。
 数日後再び荷物の整理でシートを外したら親猫がまた飛び出してきて、子猫も三匹居たのにはこれまたびっくり。子猫は前の時より大きくなり目もしっかりしてきた感じ。再び紙箱に入れて通路わきに置いたら親猫がどこかへ運んだ。二回の引越しで猫も学習したのか三回目ということは無かった。

 田園の長閑な生活をしようと還暦を過ぎてから引っ越して来て早くも十七年。四季折々の草花、新鮮な野菜が食卓を彩る。柿、梅、キウイフルーツ、柚子、すだち、蕨など、庭の草むらの中のくるみを捜すのもまた楽しい。時には招かねざる客、蛇の訪問もあった。東日本大震災の折には狸も気が動転したのか、昼日中に庭の金魚の水槽へ水を飲みに来るという椿事もあった。一体どこに住んでいたのだろうか。
 しかし寄る年波には勝てず、家庭菜園の仕事はまだしも成長する樹木の剪定でハシゴから落ち顎を二、三針縫った。車の運転も以前のようにはいかない。スーパーや駅、医療機関まで歩くと四、五十分。バス停までは徒歩二十分、朝夕の通勤時でも一時間に二、三本、それ以外の時間は一本あるかないか。
 妻と二人でこれまでなんとかやってきたが、どちらかの具合が悪くなった日には途端に生活が成り行かないことに気がついた。
 隣町の駅近くに、クリニックやスーパーなどへ徒歩五分の物件を見つけ移ることにした。引越し先のマンションは2LDK、敷地面積がこれまでの二十五分の一と小さくなるうえに物の収納スペースがほとんど無い。一軒家暮らしで膨張した生活用品や家具など一挙に減らす必要がある。
 整理してゆくと小学生の時の習字や写生画も出てきた。高校時代の謄写版印刷の日焼けした冊子をついつい読むと教室の三階のベランダから立ち小便をした猛者がいたという記事にびっくり。大学の寮では夜中にこの人工降雨で驚いたが、高校生が昼ひなかにやっていたとは!
 本、置物、陶器、民芸品など諸々の処分、歳のせいか決断が遅く断捨離が進まない。良寛さんは四畳半の庵に住んでいたと聞くが、詩歌の世界に住み足るを知る人なのだろう、人間本来無一物の姿。しかし凡人の哀しさおいそれと真似ができない。
 一、二ヶ月で引っ越せると思ったが大きな間違い。自分関係のものは本や趣味で作った陶器などが主であるが、食器や寝具、衣類、家具など生活必需品の大半のものは妻でなくては処分できなく、そんな一、二ヶ月では出来ないと言う。考えてみればその通り、期限を考えないで自然体でゆくことにし、整理できたものから順次車で約四十分の引越し先へ運び、最後に大物は運送屋さんに頼むことにした。先の猫を驚かせたウッドデッキの荷物も含めて大まかな整理に半年以上掛かった。

 引っ越してみて分かったがマンションには太陽がない。洗面所など窓がない部屋は昼でも薄暗い。電気をつければ明るくなるが入った瞬間の暗さが鬱陶しい。前の家では浴室や納戸にまで窓があった。このマンションの部屋は東向きなので朝には太陽が差し込んで有難いがそれも冬は十時ころまででそのあとは日陰になる・・・。一軒家暮らしで楽しめた日向ぼっこが懐かしい。
 すきま風が無いのは有難い。住まいは夏向きを旨とすべしと昔の人は言ったが、マンションは季節知らず。
 前の町では小学校が廃校になるなど子供が少なかったが、ここでは朝夕に十数人単位の児童がワイワイガヤガヤと通学で賑やかだ。昼食に近くのスーパーで中華弁当を買おうとして種類の多さに驚き、食べてみてまた驚いた。前に住んでいたところのスーパーに比べボリュームがあり腹一杯になる。なるほどここは四、五年前に成長率日本一とか言われただけあって若い人たちが多く、弁当も若者向けにタップリ入っているのだと納得。
 傘寿を目前にして再び引越しをするとは考えてもいなかったが医食住がコンパクトにまとまっており高齢者にはありがたい。これから何年過ごすことになるのだろうか・・・。
 それにしても自然豊かな田園に最期まで住み続けることができなかったということは残念なことだ。

 日向ぼつこ 
   日向がいやに
     なりにけり(久保田万太郎)

 遠い夢の夢となった。


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