トンネルの壁は、かまぼこ

文字数 1,957文字

 そのトンネルの壁は、かまぼこであった。

 表面をスプーンで削ると、一口大の練った白身魚を掘り出すことができる。スプーンをひっくり返すと、それは重力に従って下へ落ちていく。それがあまりに面白いから、私は夢中で壁を削っていた。削っては落とし、削っては落とし、もし白身魚が私の素足にのっかれば、宙を蹴るようにそれを払った。払った白身魚は、素足で踏んでいた透明な床をすり抜け、目下30メートル地点のバリアの下で群がる、巨大な魚や動物や得体のしれない生き物へと届く。そいつらは絶対に自分が食べてやるとばかりに口を開いて待っており、天から与えられる『エサ』を奪い合っては食らうのだ。私はそれを見て「すげ〜」と口を開けた。
 ここは天国の一大観光施設『みんなで体感!系統樹動物園』。番組のようなネーミングはさておき、生命の祖先から現代の生き物に至るまで、地球上で生まれ、そして死んでいった種達の最初の個体が生きた姿で保存されている。保存というよりは「その種のはじめ」という貧乏くじを引いたが故に、その起源を遺すという名目で、現世で死亡後あの世で強制収容されているというのが正しい。彼らは輪廻から外れた存在である。
 さて私が、そんな特異な存在の上に浮き、削ったかまぼこを落として「すげー」なんて言ってられるのか…。それは私が観光客で、エサやり体験をしている最中だからだ。
 この「半自動エサやりシステム かまぼこトンネルβ」は、水族館のガラス張りトンネルよろしく、透明な空気の床の上を歩き、生き物たちへ直接エサやりができる動物園の中でもトップクラスに人気のアトラクション。『半自動』の由来は、このトンネルのかまぼこは自動で生成されており、削っても削っても何らかの力で復活するから。しかしその摩訶不思議パワーがあるにも関わらず、下の生き物にエサを与えるのは観光客がやりなさいとのことだった。まぁ飼育員が世話するのも面倒だし、観光資源にもなるしで一石二鳥なんだろう。


 …そろそろ飽きたし、そろそろ別のアトラクションに行くか。
 私がトンネルの出口へ歩いていたところで、やけに必死こいて壁を削っている女性を見つけた。
「食べてよ!アダム…」
 彼女にはドス黒い目の隈が出来ており、血走った目からは涙がボロボロと溢れ出ていた。
あ、あれがこの動物園のヘビーユーザー、年パス勢のイブさんか。かの有名なアダムさんが収容されてしまったので、食いつく所をひと目見るためにかまぼこを削り続けているとSNSで有名である。おお、本人だ、すげえ。
「一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」
 せっかくなので聞いてみると、彼女は眉間に皺を寄せ、肩を震わせた。
「あなた…こんな状態の私に、よくそんなひどいこと言えるわね!!」
「え、まぁ、すみません」
 何だか気分が悪いなら、やめておこう。
「かまぼこを、かまぼこを食べて、アダム」
 私は出口に向かって歩みを進めたが、離れていくイブさんからずっとそんな声が聞こえていた。
 正直、私には彼女が理解できなかった。
 主に2点。1つは彼女が私に怒った理由。もう1つはアダムさんに向けてかまぼこを落とすのに何の意味があるのか。食ったって何にもならない。あの生物たちは腹が減ってるから食いつくわけだが、食べなくても死なない。なぜならここはもう死んだものが居る世界だから。それでも、あそこまでするのはなぜなんだろう。
 ということが気になったので、トンネルで掃除をしていた動物園のスタッフさんに聞いてみた。
「その理由はね、このトンネルのかまぼこの原料と一緒さ」
 おじいちゃんスタッフはニコリと笑った。
「かまぼこの原料ですか」
「そうだよ。ここに残った人はね、みんなそれを知ってる。あと…彼女もね」
「それは何ですか」
 単刀直入に聞いた。自分で考えてね的な、まわりくどい推測パートはゲームも小説も嫌いなタイプだから。
「本当に知りたいのかい。なら、かまぼこを食べてみるんだ。ただし、食べたらもう戻れないよ」
 だからまわりくどいのは嫌いだと、早く答えを言ってくれと苛ついた。あぁもう、食えばわかるなら食うわ。私は爪で適当に壁を削り、かまぼこを食べた。
 …その時、ビリリと、ふわりと、全身に何かが宿った。
 ふとイブさんを見る。喉が枯れ悲痛な叫びを続けている。そうだ、アダムさんがあんな魑魅魍魎の中にいるんだ。あぁ、あぁ、なんて残酷なんだ!
 途端に、自分がイブさんにさっきしてしまった事を激しく後悔した。あまりにもイブさんの気持ちを考えられていなかった。…傷つけてしまった!
「あぁ、何だか、怖いです。おじいさん、このかまぼこは、一体何なんです。私は何を食べたんですか!」
「それは、前世へ生き返りたいと思わないように、私たちから抜き取られた、愛というものだよ」
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