第1話

文字数 1,965文字

「僕と付き合ってください。」
 秋の夕暮れに、佐藤優は彼女に告白した。どこにでもある公園で、どこにである台詞で、率直に思いを伝えた。彼女とは二年前に出会って、それからずっと好きだった。しばらく、彼女の言葉をひたすらに待った。風が吹いて、木の葉が揺れていた。夕日が少しずつ沈んでいった。そして、おもむろに彼女は言った。
「ごめん、好きな人がいるから。だから、ごめん。」
 彼女は会釈をして、踵を返した。

 佐藤優は彼女の伸びた影を踏んでいた。

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「ちょっと、ちょっと。え。待ってどういうこと」
 私、追いかけられてる?なんで?
 付き纏われている気がした。試すように走ってみたら、近くも遠くもない後ろから、ざっざっと地面を勢いよく蹴る音がした。明らかに、私の歩調に合わせている。人気のない公園に連れ出されたと思ったら、まさかこんな強引な手段で打って出てくるなんて、そんなの思いもしなかった。とやかく考えている暇もない。家は遠いし、ここら辺の土地鑑はないし、どうすればいい?
 私は必死に逃げるしかなかった。とにかく、逃げた。叫んでも、誰にも声は届かなかった。きっと声が出ていない。思うように声帯が震えない。辺りは何軒かの家が点在するだけで、ほとんどが自然に覆われている。
 誰かの家に突っ込んでみる?もし留守だったら逃げ場が無くなる。
 このまま逃げ続けるか?私よりも男の方が持久力がありそうだ。
 振り返って戦うか?勝ち目はない。

 林に囲まれた急こう配の坂で、ひとつまみほどの大きさの住宅街へと、男に追われながら下っていく。


 坂の中腹付近で、あっという間に彼女は力尽きた。叫びながら走ったのだから、みるみるうちに体力が消耗していくのは当然だ。振り返ると、男は、私のすぐ後ろに立っていた。気味の悪い薄笑いを浮かべたまま、目と鼻の先まで近づいてくる。ぶつぶつと声が聞こえた。鼻息が私の唇に触れていた。手が私の頬に添えられていた。私だけの空間にずかずかと入り込んでいた。存在を確かめるように、男は少しうろたえる様子を見せながら、唇を前に、不格好に突き出した。
 限界まで使い果たした体は言うことを聞かなかった。だらんと力が抜けていた。もう二秒もあれば接触する。万事休すだ。無理なものは無理だったのだ。私は目を閉じた。

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 ;佐藤優;
 断られたら、無理やりにでも手に入れる。何事においても最初が大事なのだ。振られて、そのまま諦めてしまったら、もう二度と彼女に近づくことはできなくなる。だから、今しかなかった。そう考えながら、また、かわいらしいポニーテールがゆらゆらと揺れるのを見ながら、彼女を追いかけていた。
 数分の追いかけっこを経て、ようやく捕まえることができた。ゆっくりと、ぺたりと地面に座り込む。彼女は僕を、恋に落ちたときのような虚ろな目で、じっと見つめている。思わず笑みがこぼれる。なんて可愛らしいのだろうか。透き通っていて大きな目。純白の肌に華奢な体。スッと通った鼻に薄い唇。彼女の顔を、全身を、間近でなめまわすように凝視する。今すぐ僕のものに、今すぐ、僕のものに。僕は彼女に顔を近づけた。嬉しいことに、彼女は目を閉じてくれた。
「受け入れてくれたんだね。ありがとう。付き合えてうれしい。」
 僕はそう言って、頬に手をのばした。唇を近づけた。
 その時だった。右で何かが動いているのをとらえた。
 僕は思考を巡らした。
 
 そのすぐに、考える一瞬の時間も与えられないまま、僕は、吹っ飛ばされた。道路の真ん中からごろごろと地面を転がって、小さな縁石に背中を強くぶつけた。

 ちゃりちゃりと車輪が空回りする音が響く。「いっ、たい。なんだ。めちゃ、痛い。」アスファルトに打ち付けられた頭を上げて、音の鳴る方に注意を向ける。自転車だ。自転車が僕を傷つけたんだ。僕の、唯一の濃密な時間を邪魔したんだ。体を震わせながら立ち上がろうとするにもうまく立ち上がれない。ああ、本当に、あと少しだったのに。あと少しで、僕は彼女と付き合えたというのに。最初が大事なのに。
 
 僕は少しずつ目を閉じていった。

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 ある男が私を一瞥する。彼は携帯を耳に当て、何かを喋り始めた。その後、彼は佐藤優に近づいてしばらく眺めたかと思うと、横たわる自転車を勢いよく立たせて、何も言わずに去っていった。ほんの少しも動けない私を尻目に彼は住宅街へと下って行った。入れ替わるように救急車が昇ってきた。雲一つない夜が地上を覆っていた。







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