第1話

文字数 1,726文字

新小学1年生の義人(よしと)と沙美(さみ)がその人を見かけたのは、入学して2週間ほどたった日の下校途中だった。
午後2時過ぎ頃、通学路にある公園には、小さな子を遊ばせている母親が数人とベンチでひなたぼっこをする老人がいる、いつもののんびりした光景があった。
その公園の道路際にある低木の前で、その人は木に咲いた白い花をせっせとスケッチしていた。丸い眼鏡をかけ、野球帽をかぶった、人の良さそうな「お兄さん」だった。
慣れた手つきで鉛筆をササッと動かし、白い画用紙に白い花を描き写している。花がそっくりそのまま画用紙に移植されたように見え、その巧みな技を目撃した義人は、鉛筆に魔法が隠されているのではと怪しんだ。

「ねえ、何描いてるの?」
人懐っこい義人は、何のためらいもなくスケッチしている人に近寄って尋ねた。
一方、義人と幼稚園が同じで家も近所のため当面一緒に下校するよう言われている沙美は、あわてて義人を制止しようとした。
「ダメだよ、義君、知らない人に話しかけられても返事しないようにって、先生言ってたでしょ」
「僕から話しかけてるんだから、いいんだよ」
義人は沙美の注意をうるさそうにはねつけた。
メガネのお兄さんは二人に気付いて、スケッチブックから目を離して二人に柔和な顔を向けた。
「ん、これ? コデマリっていう花なんだよ。小さい花が寄り集まってて、可愛いだろ?」
言われて義人は花をのぞき込んだ。
「へー、よく知ってるね」
「実は、植物図鑑をここに持ち歩いてるんだ」
お兄さんは背中のリュックを指で示した。
義人はそのリュックに魔法の道具が入っているかのように、羨望の眼差しで見た。
「お兄さん、何者? なんでこんなところで絵を描いてるの」
お兄さんは、真剣に自分の正体を知りたがっている義人を興味深そうに見て答えた。
「僕はね、アニメーターっていって、絵を描くのがお仕事なんだ。今日は仕事はオフなんだけど、お休みの日は外に出てスケッチするんだよ。ほら」
といってお兄さんはスケッチブックの中をめくって見せた。そこには、空や木や花や人、家、電柱など、街の風景がスケッチで描かれていた。
義人には、街の風景が魔法によってスケッチブックの中に取り込まれたように見えて、彼自身魔法にかかった顔つきになった。
お兄さんはさらに話した。
「アニメの主役のキャラクターデザインもとってもすごい仕事なんだけど、アニメはみんなが共同で作るものだから、色彩担当の人とか背景担当の人もいるんだ。僕は背景を担当して、主人公たちがリアルに生きて動ける世界を描きたいんだよ。そのために町の風景をスケッチしているんだ」
お兄さんがそう夢を語ると、その夢はシャボン玉のように空中にふわふわ浮いて、その表面に公園の景色を写し取った。
「アニメーターか。面白そうな仕事だね」
「うん。僕はまだアニメの会社に入ったばかりなんだ。君たちも新入生? なら同じだね」
「へえー、お兄さんも新入生なんだ」と義人が感心したように言った。
「そうだ、せっかくだから、君たちを描いてあげる。そこに並んで立って」
それまで少し離れて様子を見ていた沙美は、そう言われて、大縄跳びの縄の中に入るように義人の横に立った。
「黄色いカバー付けてるけど、その下のランドセルの色、ちゃんと見て」
と義人が注文した。

それから2年後、3年生になった義人は、夜家でテレビを見ていた。
やっていたのは、去年公開された小学生と犬を主人公にしたアニメ映画で、制作したアニメ会社の社員が多数、悲惨な事件によって命を落としたということを、義人は理解していた。
主人公が小学生というので見始めたが、見ているうちにどんどん作品世界に引き込まれていった。
公園のシーンで義人は「あっ!」と叫び声を上げた。
それは白い花を付けた木のある、通学路の公園に似ていた。さらに主人公の背景には、ブラウンとラベンダーのランドセルをしょった小学生が二人描かれていた。
それが自分と沙美だと、義人はすぐにわかった。

「ランドセルの色、ちゃんとその通りに描いてくれたんだ」
義人は嬉しさと同時になぜか悲しみがこみ上げてきた。

(了)
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